白金台

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白金台6-10-16
白金台交差点より外苑西通り(プラチナ通り)を望む
白金台交差点より外苑西通り(プラチナ通り)を望む
白金台6-10-16の位置(東京23区内)
白金台6-10-16
白金台6-10-16
白金台の位置
北緯35度38分16.5秒 東経139度43分34.08秒 / 北緯35.637917度 東経139.7261333度 / 35.637917; 139.7261333
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 港区
地区 高輪地区
面積
 • 合計 1.00 km2
人口
2019年(令和元年)8月1日現在)[2]
 • 合計 11,883人
 • 密度 12,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
108-0071[3]
市外局番 03[4]
ナンバープレート 品川
※座標は白金台駅付近[5]

白金台(しろかねだい)は、東京都港区にある地名。住居表示実施済み地区であり、現行行政地名は白金台一丁目から白金台五丁目。高輪地区総合支所管内に属する地域である。郵便番号は108-0071(高輪局管区)[3]

概要[編集]

東京都港区の西南端に位置し、西部で渋谷区恵比寿品川区上大崎東五反田に隣接し、東部で高輪に、北部で白金にそれぞれ接する。目黒通りと外苑西通り桜田通り国道1号)沿いには商店マンションが点在する。町内には、歴史的建造物が所在する明治学院がある。

武蔵野台地の東縁に所在する住宅地の一つであり、住宅地として好適な環境を持つ土地として知られてきたが、バブル景気後半頃より洒落たレストランやカフェ、ブティックが目立ち始め、それらに伴い高級マンションが建つようになり、近年は高所得の住民が増加している。いわゆる、高級住宅街として知られる。その一部の女性住民がマスコミにより「シロガネーゼ[注釈 1][注釈 2]として取り上げられた。

俗に「しろがねだい」と読まれる場合があるが、町名の正しい読みは「しろかねだい」である。「白金 (東京都港区)#「白金」の読み」も参照。

歴史的には、白金御料地と呼ばれ、近世には高松藩松平家の下屋敷があった。明治期には日本初の大規模屠殺場が開かれ、陸軍火薬庫が一時置かれ、後に皇室財産(旧朝香宮邸)となっている。

歴史[編集]

沿革[編集]

変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
白金台一丁目 1969年1月1日 芝白金台町一丁目、芝白金今里町
白金台二丁目 芝白金今里町、芝白金猿町、芝二本榎西町
白金台三丁目 芝白金台町一丁目、芝白金台町二丁目、芝白金今里町
白金台四丁目 芝白金台町一丁目、芝白金台町二丁目、芝白金三光町
白金台五丁目 芝白金台町二丁目、芝白金三光町

世帯数と人口[編集]

2019年(令和元年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
白金台一丁目 492世帯 1,039人
白金台二丁目 1,551世帯 2,878人
白金台三丁目 1,995世帯 3,954人
白金台四丁目 1,217世帯 2,144人
白金台五丁目 1,056世帯 1,868人
6,311世帯 11,883人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]

丁目 番地 小学校 中学校
白金台一丁目 全域 港区立白金小学校 港区立高松中学校
白金台二丁目 全域
白金台三丁目 全域
白金台四丁目 1〜5番
7〜19番
その他 港区立白金の丘学園 港区立白金の丘学園
白金台五丁目 1〜12番
その他 港区立白金小学校 港区立高松中学校

施設・名所[編集]

白金台一丁目[編集]

白金台二丁目[編集]

白金台三丁目[編集]

白金台四丁目[編集]

白金台五丁目[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 実際にはマスメディアがいうところの「シロガネーゼ」に当たるのはほんの一部の住民であった。しかしそのようにマスコミが仕掛け大々的に取り上げたこともあり、外苑西通りは別名プラチナ通りと呼ばれるようになり、通り沿いを中心にレストランカフェブティックなどが増え、次第に目黒通り沿いにも同様の光景が見受けられるようになった。その後、地価の急激な高騰と昨今の長期的不況により、店の入れ替わりがいっそう激しくなり、開店して1年も経たずに店が入れ替わるケースもある。
  2. ^ 旧白金台町は空襲の被害を受けなかったことや、長らく住宅街としての位置づけにあったこともあり、目黒通り周辺には近年まで戦前から残る家屋も並んでいた。しかし、地価の高騰や地下鉄開業、目黒通りの拡幅工事によって、地権者や建造物の入れ替わりが進み、他の東京の地区と同様にマンションやオフィスビルが多くを占めるようになっている。

出典[編集]

  1. ^ 平成27年国勢調査による各総合支所管内別の町丁目別面積・昼夜人口等”. 港区 (2015年10月1日). 2019年9月8日閲覧。
  2. ^ a b 各月1日現在の各総合支所管内別の町丁目別人口・世帯数(平成14年〜平成31年・令和元年)”. 港区 (2019年8月1日). 2019年9月8日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧 publisher=総務省”. 2018年1月7日閲覧。
  5. ^ Google Earthより
  6. ^ 平井ほか 1979 pp.244-245
  7. ^ 東京都中央卸売市場 食肉市場・芝浦と場ホームページ 東京食肉市場の歩み 参照。なお、すき焼き専門店今半の「今」は、明治初期に今里村にあったこの屠牛場から牛肉を仕入れていたことに由来する。
  8. ^ a b 渡辺勇助 『明治学院八十年史』 明治学院、1957年、169-179頁
  9. ^ 港区立小・中学校通学区域一覧表”. 港区 (2015年4月1日). 2019年9月8日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]