田口息継

 
田口息継
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下右中弁
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇
氏族 田口氏
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田口 息継(たぐち の おきつぐ)は、平安時代初期の貴族官位正五位下右中弁

経歴[編集]

延暦16年(797年従五位下叙爵し、雅楽助次いで鋳銭次官に任ぜられる。延暦25年(806年桓武天皇の葬儀に際して、養役夫司を務める。

大同3年(808年右少弁次いで左少弁に任官する。嵯峨朝に入り大同4年(809年)10月に従五位上に叙せられる。また、翌11月には右近衛中将藤原真夏左馬頭藤原真雄らと共に平城京に建設する宮殿の敷地占定を行い、さらに右兵衛督藤原仲成と共に平城宮に派遣されて宮殿を造営を行うなど、平城上皇の腹心と共に上皇が平城京に移るための準備業務を担当している。

大同5年(810年)9月に薬子の変が発生した際には、正五位下・権右中弁の官職にあったが、嵯峨天皇側に付いて正官の右中弁に昇格している。弘仁3年(812年)2月に民部大輔に転じるが、8月には右中弁に復した。

官歴[編集]

六国史』による。

脚注[編集]

参考文献[編集]