田中雅彦

田中 雅彦
東北楽天ゴールデンイーグルス ニ軍バッテリーコーチ #96
ヤクルト時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府富田林市
生年月日 (1982-01-09) 1982年1月9日(42歳)
身長
体重
175 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手二塁手三塁手
プロ入り 2003年 ドラフト4巡目
初出場 2007年5月27日
最終出場 2015年8月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

田中 雅彦(たなか まさひこ、1982年1月9日 - )は、大阪府富田林市出身の元プロ野球選手捕手内野手、右投右打)、野球指導者。

NPB千葉ロッテマリーンズ東京ヤクルトスワローズに所属していた。2016年限りで現役を引退した。2017年から2019年まで、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の福井ミラクルエレファンツで指導者(初年度はバッテリーコーチ、2018年より監督)を務めた。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

PL学園では田中一徳と同期で、1年次の秋から捕手としてベンチ入りし、1998年第70回選抜大会ではベスト4、第80回全国選手権はベスト8まで進出。地方大会では出場はなかったものの、本大会準々決勝の対横浜戦では正捕手の石橋勇一郎が負傷したため急遽出場した(PL学園対横浜延長17回の項目も参照)。甲子園初出場となったこの時は地に足がつかず、気付けば試合が終わっていたという[1]。その経験から努力を重ねて2年次の秋以降はレギュラーとなり、1999年選抜大会の頃には河野有道監督から配球を全て任せられるほどになった[1]。選抜本大会はベスト4に進出し、夏の選手権大会は大阪府大会ベスト4だった。

高校卒業後は近畿大学に進み、1年春からレギュラーとなる。2000年の1年秋の関西学生野球連盟秋季リーグでは近平省悟や同期の野村宏之とバッテリーを組んで優勝し[2]ベストナインにも選ばれた。2年次の秋季リーグでも優勝、2002年の3年次は春季リーグで優勝してベストナインに選ばれたが、大学野球選手権は三回戦で敗退した。秋季リーグでは同志社との優勝決定戦で渡辺亮から決勝タイムリーを放って三期連続優勝を果たし[3]MVPとベストナインに選ばれた。4年次の2003年は春季リーグで優勝し、ベストナインに選出され、大学野球選手権は二回戦で敗退した。リーグ通算成績は91試合出場、280打数75安打、打率.268、3本塁打、34打点。

強肩などが高く評価されたことから、2003年度プロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから4巡目指名を受け、契約金7,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した[4]。背番号は「39」。

ロッテ時代(2011年)

ロッテ時代[編集]

2004年には、持ち味の俊足と打力を生かす目的で、イースタン・リーグの公式戦に二塁手三塁手としても出場。最初に出場した試合でも三塁の守備に就いたが、一軍公式戦での出場機会がなかった。

2005年には、イースタン・リーグ公式戦で打率.280、10盗塁をマーク。2006年にも打率.254、11盗塁を記録したが、いずれも一軍昇格には至らなかった。

2007年には、イースタン・リーグ公式戦で好成績を残すと、5月27日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)9回表に代打で一軍公式戦にデビュー。6月14日の対広島東洋カープ戦(千葉マリンスタジアム)では、途中からの出場で一軍初安打を放つと、チームの勝利によってヒーローインタビューを初めて経験した。6月30日の対福岡ソフトバンクホークス11回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)では、当時のレギュラー内野手西岡剛に代わって、「1番・三塁手」として一軍公式戦初のスタメンに起用。しかし、前述の初安打以降に安打を放てなかったため、一軍公式戦全体では打率.063でシーズンを終了した。イースタン・リーグでは、二塁手として21試合、三塁手として8試合、捕手として11試合、遊撃手として11試合に出場。しかし、三塁手として出場した8試合で3失策を記録したため、全ポジションでの通算守備率は.792にとどまった。

2008年には、オープン戦での好調を買われて、自身初の開幕一軍入りを果たした。当時のロッテの捕手陣は、相手が左投手の時は里崎智也、右投手の時は橋本将という田中より打撃力のある二人を併用していたため、田中が故障で離脱した中盤戦を除いて3番手捕手として一軍に帯同。(田中も十分捕手としては打撃力はあるが) 捕手としてだけではなく、二塁・三塁の守備要員や、代走としても出場した。打撃面では、前半戦こそ不調だったが、北京五輪期間中には西岡が離脱したため、根元俊一との併用で1番打者を任されるほどの成長を見せた。

2009年には、5月に一軍へ昇格すると、シーズン終了まで一軍へ帯同。前年に続いて、内野の守備要員、三番手捕手、右の代打、代走と多岐にわたって起用されながら、チーム3位の6盗塁を記録した。6月11日の対広島東洋カープ戦(千葉マリンスタジアム)6回裏には、「1番・遊撃手」としてスタメンに起用された早坂圭介の代打として犠飛を放ったことによって、チームが1イニング14得点(NPB一軍公式戦での新記録)を樹立[5]8月4日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)では、故障の正三塁手・今江敏晃に代わって「1番・三塁手」としてスタメンに起用されると、3回表1死1塁で迎えた打席で一軍初本塁打を放った[6]

2010年には、イースタン・リーグ公式戦で正捕手の座を確保。その一方で、一時は二塁を守った。一軍では、公式戦への出場機会を減らしたものの、3番手捕手や代走として起用された。

2011年には、一軍公式戦で主に捕手として起用。正捕手・里崎の故障を背景に、22試合でスタメンマスクを任された。

2012年には、一軍公式戦で自己最多の50試合に出場。二番手捕手としても、34試合でマスクを被った。

ヤクルト時代[編集]

2013年3月25日に、川本良平との交換トレードで東京ヤクルトスワローズへの移籍が発表された[7]。背番号は「28」。移籍後は、正捕手・相川亮二の故障を背景に、捕手としてのスタメン出場が多かった。5月12日松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)での阪神タイガース戦で、捕手として外野からの返球を待っている間に、三塁から走り込んだマット・マートンのタックルを受けて交代。後に左鎖骨の骨折が判明したため、出場選手登録を抹消された。この負傷が2016年の「コリジョンルール」導入のきっかけとなった[8] 他、田中に「次やったら、俺がやり返してやるから」と約束していたチームメイトの相川亮二が、9月14日に自身がマートンのタックルを受け乱闘事件を起こしている[9]

2014年には、一軍公式戦への出場機会がなかった。チームに故障者が続出した影響で、イースタン・リーグ公式戦では、ロッテ時代の2011年以来となる二塁・三塁守備を経験した。

2015年には、6月30日に一軍へ昇格すると、シーズン最終盤まで二番手捕手として一軍に帯同。しかし、一軍の捕手陣が正捕手・中村悠平との2名体制を取っていたことから、一軍公式戦への出場試合数は6試合に終わった。

2016年には、一軍公式戦への出場機会がなかった。10月1日に球団から戦力外通告を受けた[10] ことを機に、現役を引退。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示[11]

現役引退後[編集]

NPBの球団へ指導者として復帰することを視野に、2017年から、BCリーグ・福井ミラクルエレファンツのバッテリーコーチを務める[12][13]。2017年12月15日、北村照文の後任として監督への就任が内定したと発表された[14]

監督初年度となる2018年は、前期に3年ぶりの半期優勝を達成[15]、後期は2位だったものの、地区チャンピオンシップには勝利し、チームとして3年ぶりにリーグチャンピオンシップに進出した[16]。リーグチャンピオンシップは初戦に勝利(チームとして初)したがその後3連敗を喫して、「悲願」のリーグ優勝には届かなかった[17]2019年は前期5位、後期4位の成績に終わる。シーズン終了後の10月30日に、今シーズン限りでの退任が発表された[18]

2020年は古巣のロッテに戻り、千葉県内の子供に野球を教える「マリーンズ・ベースボールアカデミー」のコーチを務める[19]

2022年にはJFE東日本のコーチに就任。

2023年から東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍バッテリーコーチを務める[20]

選手としての特徴・人物[編集]

ロッテ時代の2009年頃までのイースタン・リーグ公式戦には、捕手として毎年10試合以上出場したものの、内野手として起用されることが多かった。

ロッテで初めて一軍に昇格した2007年から2009年までは、かつて捕手として在籍していた定詰雅彦応援歌であった「ギンギラギンにさりげなく」を、自身の応援歌に使用。当初はオリジナルの歌詞を付けていたが、後に定詰の応援歌の歌詞を流用した。なお、2010年からは、応援歌をムラマサ☆の「サクラ舞い散る夜は」に変更した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2007 ロッテ 14 19 16 4 1 0 0 0 1 1 0 0 2 0 1 0 0 5 0 .063 .118 .063 .180
2008 45 73 66 8 17 2 0 0 19 5 2 0 2 0 5 0 0 13 0 .258 .310 .288 .598
2009 41 75 64 13 17 3 0 1 23 8 6 1 4 2 5 0 0 17 1 .266 .310 .359 .669
2010 11 6 6 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 1 .000 .000 .000 .000
2011 30 72 67 5 14 4 0 0 18 2 0 0 2 0 3 0 0 16 1 .209 .243 .269 .512
2012 50 95 83 10 17 2 0 0 19 8 1 0 4 0 7 1 1 17 2 .205 .275 .229 .504
2013 ヤクルト 23 48 41 6 10 1 0 0 11 0 0 0 2 0 5 0 0 14 0 .244 .326 .268 .594
2015 6 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
NPB:8年 220 392 347 49 76 12 0 1 91 24 9 1 16 2 26 1 1 87 5 .219 .274 .262 .538

年度別守備成績[編集]


捕手 二塁 三塁 一塁





































2008 10 22 5 0 0 1.000 2 2 1 1 .500 24 30 52 2 8 .976 4 0 0 0 0 .000 -
2009 2 6 1 0 0 1.000 0 1 1 0 .000 7 11 22 0 4 1.000 12 8 21 1 2 .967 -
2010 6 6 0 0 0 1.000 0 0 0 0 .000 - - -
2011 28 131 19 1 3 .933 3 23 15 8 .348 - - -
2012 34 108 17 1 0 .994 2 20 12 8 .400 - - -
2013 17 74 6 0 1 1.000 2 8 7 1 .125 - - 1 1 0 0 0 1.000
2015 6 12 1 0 0 1.000 0 0 0 0 ---- - - -
通算 103 359 49 2 4 .995 9 54 36 18 .333 31 41 74 2 12 .983 16 8 21 1 2 .967 1 1 0 0 0 1.000

記録[編集]

背番号[編集]

  • 39(2004年 - 2012年)
  • 28(2013年 - 2019年)
  • 96(2023年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 朝日新聞、1999年4月4日付朝刊、大阪地方面
  2. ^ 朝日新聞、2000年10月25日付朝刊、P.25
  3. ^ 朝日新聞、2002年10月24日付朝刊、P.17
  4. ^ 読売新聞、2003年11月23日付朝刊、P.18
  5. ^ この後に「2番・一塁手」として途中出場の堀幸一が適時打を放ったため、記録は15得点まで伸びた。
  6. ^ 日刊スポーツ 2009年8月5日付
  7. ^ 田中選手と東京ヤクルトスワローズ川本選手のトレードについて
  8. ^ “【これでいいのか!?コリジョンルール(上)】大久保博元氏、導入の仕方を問題視”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2016年6月21日). https://www.sanspo.com/article/20160621-PXU3WNWWENJOBGSDQ7FJTZBVHU/3/ 2018年2月17日閲覧。 
  9. ^ “【相川亮二のインサイドワーク】阪神・マートンとの乱闘事件の真相”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社). (2018年1月22日). https://www.sanspo.com/article/20180122-SSEMKZJOPFKDDLGW3PHNJHDGPA/ 2018年2月17日閲覧。 
  10. ^ 戦力外通告について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
  11. ^ 自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  12. ^ バッテリーコーチ内定のお知らせ 福井ミラクルエレファンツ公式サイト 2016年12月7日掲載
  13. ^ ヤクルト田中雅、BC福井でコーチ 極貧生活も覚悟”. 日刊スポーツ (2016年12月31日). 2016年12月31日閲覧。
  14. ^ 来季監督内定のお知らせ - 福井ミラクルエレファンツ(2017年12月15日)
  15. ^ “エレファンツ、3年ぶり前期優勝 田中雅彦監督、就任1年目で結果”. 福井新聞. (2018年6月22日). http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/606484 2018年10月2日閲覧。 
  16. ^ “エレファンツが3年ぶり地区優勝 西地区CS、富山に2連勝”. 福井新聞. (2018年9月17日). http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/701708 2018年10月2日閲覧。 
  17. ^ “福井、3連敗でリーグVならず”. 福井新聞. (2018年10月1日). http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/710916 2018年10月2日閲覧。 
  18. ^ 田中雅彦監督 退任のお知らせ”. ベースボール・チャレンジ・リーグ (2019年10月30日). 2019年10月30日閲覧。
  19. ^ コーチ紹介 千葉ロッテマリーンズ”. 2020年10月27日閲覧。
  20. ^ 楽天、大村三郎氏の退団発表 田中雅彦氏、西村弥氏が新たに入閣…来季組閣も更新”. Full-Count(フルカウント) ― 野球ニュース・速報・コラム ― (2022年11月12日). 2023年1月7日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]