田中勝春

田中 勝春
2023年フェブラリーSパドック
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道三石郡三石町
(現・日高郡新ひだか町
生年月日 (1971-02-25) 1971年2月25日(53歳)
身長 154.5cm
体重 48.0kg
血液型 AB型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 美浦・藤原敏文(1989.3 - 1996.9)
美浦・小林常泰(1996.9 - 1996.12)
美浦・フリー(1997.1 -)
初免許年 1989年
免許区分 平地[1]
騎手引退日 2023年12月31日
重賞勝利 61勝(中央51勝、地方9勝、海外1勝)
G1級勝利 皐月賞(2007年)
安田記念(1992年)
シンガポール航空国際C(2007年)
全日本2歳優駿(2005年・2010年)
通算勝利 20657戦1812勝(中央)
263戦30勝(地方)
調教師情報
初免許年 2024年1月1日
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田中 勝春(たなか かつはる、1971年2月25日 - )は、北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身の調教師、元騎手。愛称は「カッチー[2]シンクバンク所属[3]

来歴[編集]

初騎乗は1989年3月4日中京競馬場の第2競走でチャンピオンミナミに騎乗し6着。その後ストレスからバセドウ病を患い半年間休養している[4]。その年にデビューした新人騎手の中で初勝利はもっとも遅く、10月21日東京競馬場の第6競走、セキテイボーイだった。なお同馬の勝利が、大種牡馬テスコボーイ産駒の最後の勝利ともなった。

同期に佐藤哲三角田晃一らがいる。

重賞初勝利は1990年9月9日京王杯オータムハンデキャップでオラトリオに騎乗しての勝利だった。GI初勝利は1992年安田記念ヤマニンゼファーに騎乗し、大外枠を苦にせず優勝。ゴール前では派手なガッツポーズを見せた。その後もコンスタントに勝ち続け、関東リーディングでは毎年上位につけている。

そして2004年9月11日には中山競馬場第10競走でヒシフェアレディに騎乗し1着、中央競馬通算1000勝を達成した。当時、中央競馬史上20人目で現役では9人目の記録達成であった。

2007年皐月賞ヴィクトリーに騎乗し勝利、クラシックかつ八大競走初制覇となる、ヤマニンゼファー以来となる15年ぶり(騎乗機会では140戦ぶり)の中央競馬でのGI(表記はJpnIである)制覇となった。さらにはシャドウゲイトに騎乗し、シンガポール航空インターナショナルカップに挑戦し、日本国外でもGIを制覇した。夏の新潟開催では17勝し、2年ぶり5度目のリーディングを獲得した。さらに10月28日までに関東所属騎手の中で1位となる中央で99勝を挙げたことから11月8日第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへの出場が発表された。なお、同シリーズには初出場となる。そして11月11日に自身初のJRA年間100勝を達成した。

2016年4月10日福島第4競走で中央競馬史上12人目のJRA通算1700勝を達成した[5]

2019年の函館記念マイスタイルで制し、4年3か月ぶりに重賞を制覇し、重賞通算50勝を達成した。

2023年12月7日、2024年度の新規調教師免許試験に合格した事がJRAより発表された。自身3度目の調教師免許受験で合格となった。現役騎手が新規に調教師免許を取得した際の特例を用いず、翌2024年1月1日付で調教師免許が発効となるため、2023年12月31日をもって騎手免許を返上し、引退となった[6][7][8][9]。12月28日の中山競馬終了後に引退式が行われた[10][11]

2024年1月1日、調教師免許を取得、当面は技術調教師として活動する。

エピソード[編集]

好不調の波が激しく、まったく勝てない日も多いが、勝つ時は一日に何勝もする。

新潟競馬場や東京競馬場を得意とする。関西圏では長らく重賞を勝てず、2010年中京記念をシャドウゲイトで制したのが関西圏での初重賞勝ちだった。京都・阪神・小倉では重賞未勝利であった。1999年バイオマスターに騎乗して阪神競馬場アーリントンカップで1位入線はしているが、進路妨害により2着降着となっている。

エッセイストの安西美穂子と親しく、安西とともに書店などで安西の本を買うと田中がサインをする形式でサイン会を開催したことがある。

実家は競走馬の生産牧場を経営している。父の田中春美[12]は生産牧場を経営するかたわら、日本中央競馬会の馬主登録もしており、"幻の関西重賞初制覇"を演出したバイオマスターや、北海道の静内農業高等学校高校生が生産を手がけたユメロマンなどを所有している。また地方競馬の馬主として所有馬に「カツハル」という名前を付けて走らせたことがある[12]。自身の生産馬および所有馬に息子が騎乗することも多く、特に所有馬の勝ち星のうちおよそ半数を息子が挙げている[13]

2023年12月28日の騎手引退式では、田中にとって思い入れのある馬主の安田修新興産業創業者、「シンコウ」の冠名)の勝負服である黒を左半分に、同じく鈴木芳夫(元エイチ・アイ・エス会長)の勝負服である茶、黄袖を右半分にデザインした勝負服を着用して出席した。いずれも引退式の時点で故人となっており、「2人ともこの日を楽しみにしてくれていたと思うんだけど、亡くなられた。きっと今ごろ天国で2人で酒でも飲んでいるだろうね」とコメントしている[14]

田中勝春とGI[編集]

2023年現在で通算1800勝以上していながら、近年の西高東低と言われる全体的な関東馬不振の流れの影響などを受けたのか、1992年の安田記念での初勝利からは、長期間GIを勝てずにいた。2004年の優駿牝馬(オークス)ではウイングレットに騎乗し7着。このレースでGI・100連敗という不名誉な記録を達成。2005年になってもなお勝てず、朝日杯フューチュリティステークスでも4着に敗れ、GI競走125連敗(内訳は中央競馬が121、地方競馬開催の統一GIが4)となっていた。その間、2着9回・3着7回。

しかし、2005年12月21日川崎競馬第10競走の全日本2歳優駿グレイスティアラで制し、およそ13年ぶりにGIを制覇した。なお、全日本2歳優駿は「全日本3歳優駿」という名称だった1998年にもアドマイヤマンボで勝っているが、当時は統一GIIだった。

中央競馬のGIに限ればその後も連敗が続いたが、2007年に第67回皐月賞ヴィクトリーに騎乗し勝利、15年ぶりに中央競馬のGI競走制覇を果たして連敗記録を139でストップした。さらには、同年挑戦したシンガポール航空インターナショナルカップシャドウゲイトに騎乗し日本国外の国際GIでも勝利している。

長く連敗が続いた原因の一つとして有力馬の騎乗が少なかったという事情もある。ヤマニンゼファーセキテイリュウオーにまつわるエピソードも、もとはといえばセキテイリュウオーが所属厩舎(当時)の馬であり、自厩舎の馬を優先させたという事情があった。また、1番人気での騎乗は日本で2回・日本国外で1回(2000年安田記念:スティンガー2002年朝日杯フューチュリティステークス:サクラプレジデント2007年シンガポール航空インターナショナルカップ:シャドウゲイト)で、2番人気での騎乗も4回(2003年皐月賞・東京優駿(日本ダービー):サクラプレジデント、2004年宝塚記念ゼンノロブロイ2007年日本ダービー:ヴィクトリー)しかなかった。また、岡部幸雄の騎手引退後に田中を主戦騎手の一人にしていた藤沢和雄厩舎もGIになると有力馬の騎乗を外国人騎手に乗り替わらせることが多かった。

もっとも悔しい敗戦は1993年天皇賞(秋)でセキテイリュウオーに騎乗しハナ差に敗れたことだと語っている(レース後に悔し涙にくれたエピソードがある)。このときの優勝馬は、前年の安田記念で自身が騎乗して優勝したヤマニンゼファーであった。1997年の安田記念でもジェニュインに騎乗し同馬をかつてお手馬にしていた岡部騎乗のタイキブリザードハナ差まで迫ったことがある。

騎乗成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1989年3月4日 1回中京1日2R アラ3歳上700万下 チャンピオンミナミ 11頭 7 6着
初勝利 1989年10月21日 4回東京5日6R 3歳上400万下 セキテイボーイ 9頭 6 1着
重賞初騎乗 1990年4月29日 2回東京4日11R 4歳牝馬特別 エイシンキャロル 16頭 16 9着
重賞初勝利 1990年9月9日 4回中山2日11R 京王杯AH オラトリオ 12頭 9 1着
GI初騎乗 1990年11月18日 4回京都6日10R マイルCS オラトリオ 18頭 13 13着
GI初勝利 1992年5月17日 2回東京8日10R 安田記念 ヤマニンゼファー 18頭 11 1着
障害初騎乗 1989年3月26日 3回中山2日5R 障害400万下 コッレオーニ 11頭 11 5着
最終騎乗 2023年12月28日 5回中山9日12R ファイナルS ブランデーロック 16頭 6 14着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1989年 5 3 10 63 .079 .127 .286
1990年 41 40 41 436 .094 .186 .280
1991年 63 61 45 505 .125 .246 .335
1992年 64 62 43 563 .114 .224 .300
1993年 67 69 64 622 .108 .219 .322
1994年 74 67 66 646 .115 .218 .320
1995年 62 59 70 641 .097 .189 .298
1996年 63 68 52 609 .103 .215 .300
1997年 64 47 56 570 .112 .195 .293
1998年 63 72 61 644 .098 .210 .304
1999年 50 54 38 591 .085 .176 .240
2000年 81 69 51 735 .110 .204 .273
2001年 93 88 83 839 .111 .216 .315
2002年 84 70 70 808 .104 .191 .277
2003年 79 79 40 757 .104 .209 .262
2004年 64 62 68 782 .082 .161 .248
2005年 96 91 75 901 .107 .208 .291
2006年 60 78 60 811 .074 .170 .244
2007年 108 73 71 823 .131 .220 .306
2008年 51 58 65 748 .068 .146 .233
2009年 65 61 53 753 .086 .167 .238
2010年 56 54 49 685 .082 .161 .232
2011年 50 49 45 722 .069 .137 .199
2012年 52 60 52 758 .069 .148 .216
2013年 58 57 50 740 .078 .155 .223
2014年 48 54 57 704 .068 .145 .226
2015年 34 27 41 615 .055 .099 .167
2016年 20 24 40 488 .041 .090 .172
2017年 22 22 37 492 .045 .089 .165
2018年 23 25 24 484 .048 .099 .149
2019年 18 18 18 345 .052 .104 .157
2020年 14 13 19 284 .049 .095 .162
2021年 6 7 12 165 .036 .079 .152
2022年 8 17 11 182 .044 .137 .198
2023年 6 10 3 146 .041 .110 .130
中央 1809 1766 1640 20657 .088 .173 .253
地方 30 38 26 263 .114 .259 .357

※他に障害2戦0勝, 海外3戦1勝

主な騎乗馬[編集]

テレビ出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月7日閲覧。
  2. ^ 「カッチー」田中勝春騎手がJRA通算1600勝達成!”. netkeiba.com. 2015年7月1日閲覧。
  3. ^ 芸能事務所に所属の競馬騎手は、他にも後藤浩輝オスカープロモーションに、藤田菜七子ホリプロに在籍している、あるいは過去に在籍していた事例がある。
  4. ^ “カッチー”田中勝春も今や48歳。騎乗減少もまだまだ衰えていない。”. Number Web (2019年7月12日). 2019年7月12日閲覧。
  5. ^ 田中勝春騎手が史上12人目のJRA通算1700勝達成”. 予想王TV@SANSPO.COM (2016年4月10日). 2021年8月27日閲覧。
  6. ^ 2024年度 新規調教師免許試験合格者 - JRAニュース(日本中央競馬会)2023年12月7日
  7. ^ JRA、2024年度の新規調教師免許試験合格者を発表 秋山真一郎騎手や田中勝春騎手など9人 女性も合格 - 競馬実況web(ラジオNIKKEI)2023年12月7日
  8. ^ カッチーに春! 田中勝春騎手が調教師試験に合格、JRA・G1は2勝 - 日刊スポーツ 2023年12月7日
  9. ^ 田中勝春騎手、3度目の正直で難関突破し調教師へ「相撲部屋のような厩舎に」 - サンスポZBAT! 2023年12月8日
  10. ^ 田中 勝春騎手の引退式等の実施 - JRAニュース(日本中央競馬会)2023年12月12日
  11. ^ 田中勝春騎手が年内いっぱいで引退へ 12月28日に中山で引退式を実施 - 競馬実況web(ラジオNIKKEI)2023年12月12日
  12. ^ a b 「トピックス『ユニーク馬名2頭が初顔合わせ』」『ハロン』、地方競馬全国協会、1999年1月、71頁。 
  13. ^ 田中春美の馬主成績|競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2021年3月15日閲覧。
  14. ^ 田中勝春騎手が亡きオーナー2人の勝負服 騎手仲間は青のTシャツで参加/引退式 - 日刊スポーツ 2023年12月28日
  15. ^ 2015年福島牝馬ステークスレース結果 - netkeiba.com、2015年4月27日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]