玉井一貫

 
玉井一貫
時代 江戸時代中期
生誕 享保7年(1722年
死没 寛政4年2月21日1792年3月13日
別名 通称:嘉兵衛、左源太、文平
:文郷
:小周
墓所 徳応寺山口県周南市
主君 毛利広豊広寛就馴
周防徳山藩
氏族 玉井氏
父母 父:玉井方敬、母:玉井方殷の娘
女(玉井忠道正室)
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玉井 一貫(たまい かずつら)は、江戸時代中期の徳山藩士。通称嘉兵衛。徳山藩の藩校鳴鳳館無方流剣術指南役を務めた。

生涯[編集]

享保7年(1722年)、徳山藩士・玉井方敬の長男として周防国熊毛郡小周防村で生まれる。生地に因んで「小周」と号した。

剣術棒術槍術のいずれも達人であったことから、天明5年(1785年)に藩校鳴鳳館が創設されると無方流剣術の指南役に就任し、金200疋を与えられた。当時、徳山藩士の3分の2が一貫に剣を学んだと伝えられており、『剣技伝』を著した。また、一貫は文事を好んで国富鳳山に師事し、晩年には学監となっている。

寛政4年(1792年2月21日に死去。享年71。娘婿の玉井忠道家督を相続した。


参考文献[編集]