源実基

 
源実基
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 正四位下左近衛中将
主君 後一条天皇
氏族 醍醐源氏高明流
父母 父:源経房、母:藤原懐平の娘
兄弟 実基、定良、良宗、藤原良頼
不詳
知綱、尋源、源俊房
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源 実基(みなもと の さねもと)は、平安時代中期の貴族歌人醍醐源氏高明流、権中納言源経房の長男[1]官位正四位下左近衛中将

経歴[編集]

長和4年12月26日(1016年2月7日)に元服する[1]

寛仁2年(1018年)11月に春日祭使を務め、摺袴を与えられる[2]。この当時左近衛少将治安3年(1023年)還昇されている[3]ため、これ以前に昇殿を許されていた。同年中には四位に昇っている。後、右近衛少将に転じ、万寿3年(1026年)頃には右近衛中将に任ぜられる。さらに長元2年には左近衛中将に転ずる。

長元5年(1032年)に内大臣藤原教通の次男・通基、三男・信長が元服した際に、左近衛中将・藤原良頼と共に理髪を務めた[4]美濃守を経て、最終的には正四位下まで昇った[5]

歌人としても活躍し、『千載和歌集』に歌が残っている。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 小右記長和4年12月26日条
  2. ^ 小右記寛仁2年11月1日条
  3. ^ 『小右記』治安3年正月10日条
  4. ^ 『小右記』長元5年11月26日条
  5. ^ 尊卑分脈』醍醐源氏