湯場忠志

湯場 忠志
基本情報
本名 湯場 忠志
階級 スーパーウェルター級
身長 183cm[1]
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1977-01-19) 1977年1月19日(47歳)
出身地 宮崎県北諸県郡三股町
スタイルボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 58
勝ち 46
KO勝ち 33
敗け 10
引き分け 2
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湯場 忠志(ゆば ただし、1977年1月19日 - )は、日本の元プロボクサー宮崎県北諸県郡三股町出身。第47代日本ライト級王者。第28代日本スーパーライト級王者。第43代・第45代日本ウェルター級王者。第34代日本スーパーウェルター級王者。第55代日本ミドル級王者。日本王座5階級制覇王者[注 1]。都城レオスポーツジムに所属していた。宮崎日本大学高等学校卒業。

来歴[編集]

17歳の時にオスカー・デ・ラ・ホーヤのビデオを観て、そのボクサーとしての紳士的なあり方に近づきたいと考え、ボクシングを習うようになった。高校卒業後、19歳の時にアマチュアの試合に勝利し、ボクシングを本格的に志した[2]

1996年4月14日、プロデビュー戦に4回判定勝利を収めた。2戦目は前博志に4回判定で敗れるも、3戦目に2回KOでリベンジに成功した。

1997年2月15日、青木政孝を1回KOで破り、4連勝で全日本スーパーライト級新人王を獲得した。1999年2月22日に木村登勇を破って日本5位となり、同年9月20日には防衛18度のリック吉村の日本ライト級王座に挑戦した。戦前の予想を覆しダウンを奪ったが、10回引き分けで戴冠はならなかった。

日本王座5階級制覇[編集]

ライト級獲得[編集]

2000年10月16日、日本ライト級暫定王座小野淳一と争い、6回負傷判定勝利で暫定王者となった。11月、リック吉村が22度目の防衛達成後に正規王座を返上したことにともない、正規王者と認定された。この時期、畑山隆則WBA世界同級王者だったこともあり、この11月には東京で「ライト級は日本に世界チャンピオンがいることだし、来年(2001年)は無理としても、再来年には(世界戦を)やりたいと思っています」と語っている[3]

2001年2月17日、両国国技館で行われた畑山 vs. リック吉村のアンダーで木村登勇と対戦し、負傷引き分けで初防衛を果たした。さらに大久保純斗を退け2度防衛後の9月17日、同王座を返上した。

スーパーライト級獲得[編集]

2002年3月23日、横浜アリーナ前田宏行が返上し空位となった日本スーパーライト級王座を足立浄と争い、7回TKO勝利で2階級制覇を成功させた。

2003年2月15日、元WBF世界スーパーライト級王者でPABAスーパーライト級王者のアジブ・アルバラードを退けた次の防衛戦を、親交のある佐々木基樹と行った。戦前の予想通りにはならず9回TKO負けを喫し王座から陥落、引退を考えるが6か月後に復帰した。

ウェルター級獲得[編集]

2005年1月16日、5連勝で前田宏行が返上し空位となった日本ウェルター級王座を竹中義則と争い、2回TKO勝利で3階級制覇を達成した。同年9月23日、防衛1度の後パシフィコ横浜で行われた大曲輝斎との防衛戦で1回40秒KO負けを喫し、王座から陥落した。

その後、元PABAウェルター級王者のファルカド・バキロフとの対戦ではダウンを奪いながら負傷判定で自身初の2連敗を喫し、引退も考えたが、その8か月後オペティ・タギを相手に復帰を果たし[4]、続く新井恵一との試合で2連勝となった。大曲との再戦が決定したが、大曲が眼筋麻痺の治療のために王座を返上したことにより、6位の古川明裕と王座決定戦を行うことになった。

ウェルター級再獲得[編集]

2007年4月20日、古川明裕と日本ウェルター級王座決定戦を行い、開始早々から立て続けにダウンを奪って1回1分32秒でKO勝ち。日本王座に復帰した[5]。同年12月6日に行われた牛若丸あきべぇ(現・渡部あきのり)との2度目の防衛戦では、開始早々ダウンを奪われたものの直ぐに2度ダウンを奪い返し、1回1分30秒KO勝ちで防衛に成功した[6][映像 1]。2007年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で努力賞・KO賞の両賞に選出された。

2008年4月20日、地元宮崎県体育館で行われた防衛戦で沼田康司に4回KO負けを喫し、王座から陥落した[7]。この試合ではを2か所骨折し、ブランクを余儀なくされたが、11月16日に復帰戦の決定発表とともに現役続行を表明した。この後は東京やタイでの練習を増やし、体幹トレーニングなども採用した[8]

スーパーウェルター級への転向[編集]

2009年1月22日、4階級目となるスーパーウェルター級に階級を上げ、寺田千洋に1回KO勝利を収めて再起を果たした。同年5月19日、スーパーウェルター級8回戦で日本同級7位として日本ミドル級5位・OPBFミドル級12位の中堀智永と戦い、ボディへの一撃で自身初の2戦連続となる1回KO勝利を収めた[9]。11月3日には都城市で行われた都城レオスポーツ主催興行で日本スーパーウェルター級6位・OPBF同級13位としてミドル級を主戦場とする戸高不乱拳大樹とスーパーウェルター級8回戦で対戦し、3回TKO勝利を収めた[10]

2010年2月22日、OPBF東洋太平洋スーパーウェルター級8位・日本スーパーウェルター級4位として、OPBF東洋太平洋ミドル級11位・日本ウェルター級6位の渡部あきのりと2年2か月ぶりの再戦をスーパーウェルター級8回戦で行い、初回は攻勢をとりながら2回からはペースを譲る展開となったが、5回に左アッパーから連打をまとめて、この回TKO勝利を収めた[11]

2010年6月29日、チャーリー太田の持つ日本スーパーウェルター級王座への挑戦者決定戦として行われた同級8回戦で、同2位として6位の西禄朋と対戦。2回にダウンを奪い、この回TKO決着により再起後5連続KO勝利とし、挑戦権を獲得した[12][13]

2010年9月4日、WBA世界スーパーウェルター級13位のチャーリー太田が持つ日本スーパーウェルター級王座とOPBF東洋太平洋同級王座に日本1位・OPBF4位として挑戦。8回終了時点の採点はドローであったものの終盤にポイントを失い、プロ45戦目にして初めて12回を戦って0-3の判定負けを喫したが、試合直後に現役続行の意思を表明した[14][15]

2011年5月19日、チャーリー太田との再戦では、チャーリーの持つOPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王座と日本スーパーウェルター級王座に挑戦。2度の公開採点ではいずれも優勢であったが、9回にタオル投入によるTKO負けを喫して日本王座の獲得に失敗し日本王座4階級制覇にも失敗、OPBF王座の獲得にも失敗した[16]、この試合でも顎を骨折。沼田・渡部戦に次ぐ3度目の骨折だった[17]。その後ミドル級へ転向した。

ミドル級獲得[編集]

2011年10月29日、再起戦で胡朋宏に3回TKO勝利を収め、日本ミドル級王座への挑戦権を獲得。コーチの加山利治によると、ミドル級では減量の必要がないという。日本ではスパーリングパートナーを探すことが困難なため、湯場の練習拠点はタイとなっているが、この年9月下旬から10月中旬までの期間もタイでムエタイの練習をする白人選手を相手に調整をした[17]

2012年2月4日、カルロス・リナレスとの日本ミドル級王座決定戦に出場。この試合のために12月下旬から4週間、タイで体重が80kgある(ライトヘビー級超の)イギリス人などのキックボクサーと毎日、ミット打ちとヘッドギアなしのスパーリングをした。試合序盤はリナレスのプレッシャーとクリーンヒットにボディーを返しながらも守勢に回り、セコンドからの「絶対にチャンスが来るから」焦らずに凌げという指示通りに試合を進めた。4回に入り、湯場陣営の思惑通りにリナレスが徐々に失速し始めたところを、左フックでダウンを奪った。しかし湯場は試合の3日前に左肩を脱臼し、ストレートは打てたが、フック系のパンチが打てなくなっていた。これを空振りしていたなら再び症状を悪化させかねない状態であった。5回には再びリナレスが猛攻を仕掛けたが、セコンドからの指示は諦めずに再び我慢しろというもので、湯場もこれを得策と考えた。ペースを取り戻そうとしたリナレスは急速に疲労を蓄積させ、6回には2度目のダウンを追加、5回か6回に湯場は顎を痛めたが[注 2]、7回にはカウンターの左ストレートでリナレスを倒してカウントアウトさせ、7回TKOで勝利[19][映像 2]。日本ミドル級王座を獲得し、史上初の日本王座4階級制覇を達成した。

地方ジムに所属しての記録達成について湯場は、大手だと縛られるが自由にできたことがよかった、「そのほうが本人の責任になる」から、と語っている[19]。「勝っても負けても引退」を決意して臨んだ試合であったが、勝利後はこれを撤回し、5階級制覇への意欲を示した[20]

この4階級制覇達成の記録には、同年現在住まいのある都城市と出身地の三股町が即座に対応し、同月のうちにそれぞれ市民栄誉賞[21]・町民栄誉賞[22][23]を贈った。また湯場はこの勝利で第33回チャンピオンカーニバルの最優秀選手賞に選出された[24]

2012年6月11日、プロ50戦目となる試合で日本同級1位で指名挑戦者の氏家福太郎に2回TKO勝利を収めて初防衛に成功したが[25][映像 3]、同年10月8日、6位の佐々木左之介に4回KO負けを喫して王座を失った[26]

スーパーウェルター級王座獲得[編集]

この後、再びスーパーウェルター級へ転向。2013年2月20日、同級8回戦で日本同級4位の十二村喜久と対戦し、2-1の判定で勝利[27]。同年6月10日には長島謙吾との同級8回戦に3-0の判定で勝利した[28][29]

2013年8月12日、同年5月4日にOPBF東洋太平洋ミドル級王者淵上誠を破りOPBF2階級制覇を果たしていた柴田明雄が同年7月5日付で日本スーパーウェルター級王座を返上したため、後楽園ホールで行われた「ダイヤモンドグローブ&DANGAN80」で日本スーパーウェルター級2位の切間庸裕と日本スーパーウェルター級王座決定戦を行い、2度のダウンを奪った後、1回2分36秒KO勝ちで切間を降し、日本人史上初の5階級制覇を達成した[映像 4]。試合後には、防衛戦よりも村田諒太との対戦実現を優先させたい意志を表明した[30]

2013年11月29日、後楽園ホールにて、十二村喜久と対戦し、2-1(97-95、96-95、95-96)の判定勝ちを収め初防衛に成功した[31]

2014年3月4日、後楽園ホールにて、細川貴之と対戦し、0-2(93-97、94-96、95-95)の判定負けを喫し2度目の防衛に失敗、王座から陥落した[32]

2014年7月30日、後楽園ホールにて、ドンドン・ラプスと対戦し、初回2分42秒KO勝ちを収め再起に成功した。

2014年12月18日、後楽園ホールにて、沼田康司の引退に伴うOPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王座決定戦でデニス・ローレンテ英語版と対戦したが、6回2分38秒TKO負けを喫し王座獲得に失敗した[33]。この試合を最後に引退を表明した。

人物[編集]

東京でのトレーニングは当初ワタナベボクシングジムを拠点として行っていた。当時同ジムに所属していた加山利治と親友関係になり、加山が引退後に設立したフリージム「EBISU K's BOX」の特別トレーナーを選手活動と並行して務めている[34]

長男の海樹もプロボクサー[35]

戦績[編集]

プロボクシング:58戦46勝 (33KO) 10敗 (6KO) 2分

日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1996年4月14日 勝利 4R 判定 吉田康成 (中内) 日本の旗 日本 プロデビュー戦
2 1996年6月22日 敗北 4R 判定 前博志 (広島) 日本の旗 日本
3 1996年8月16日 勝利 2R 0:29 KO 前博志 (広島) 日本の旗 日本
4 1996年10月5日 勝利 1R 1:50 KO 大野一 (冷研鶴崎) 日本の旗 日本 西部日本スーパーライト級新人王トーナメント決勝戦
5 1996年11月2日 勝利 3R 1:25 KO 池田直樹 (畑中) 日本の旗 日本 中日本・西部日本スーパーライト級新人王対抗戦
6 1996年12月9日 勝利 6R 判定 江村昌之 (江坂) 日本の旗 日本 全日本スーパーライト級新人王西軍代表決定戦
7 1997年2月15日 勝利 1R 2:32 KO 青木政孝 (山神) 日本の旗 日本 全日本スーパーライト級新人王決定戦
8 1997年4月26日 勝利 5R 2:09 KO 桑名竜一 (トヤマ) 日本の旗 日本
9 1997年8月3日 勝利 8R 判定 吉村保徳 (三松スポーツ) 日本の旗 日本
10 1997年11月18日 勝利 2R 3:01 KO 池畑泰士 (陽光アダチ) 日本の旗 日本
11 1998年4月26日 勝利 8R 判定 タタ・アバスタス フィリピンの旗 フィリピン
12 1998年9月27日 勝利 7R 1:37 KO 赤峰大士 (大分) 日本の旗 日本
13 1999年2月22日 勝利 10R 判定2-0 木村登勇 (八戸帝拳) 日本の旗 日本
14 1999年9月20日 引分 10R 判定 リック吉村 (石川) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 日本ライト級タイトルマッチ
15 1999年11月28日 勝利 2R 2:27 KO ドドング・バサロ フィリピンの旗 フィリピン
16 2000年4月25日 勝利 10R 判定 戸田憲士 (オークラ) 日本の旗 日本
17 2000年10月16日 勝利 6R終了 負傷判定 小野淳一 (新日本木村) 日本の旗 日本 日本ライト級暫定王座決定戦→正規王座認定
18 2001年2月17日 引分 5R 1:57 負傷判定 木村登勇 (横浜光) 日本の旗 日本 日本ライト級王座防衛1
19 2001年7月9日 勝利 4R 1:17 TKO 大久保純斗 (草加有沢) 日本の旗 日本 日本ライト級王座防衛2
20 2001年11月11日 勝利 2R 1:15 KO 大塚晃司 (福岡帝拳) 日本の旗 日本
21 2002年3月23日 勝利 7R 1:33 TKO 足立浄 (ハラダ) 日本の旗 日本 日本スーパーライト級王座決定戦
22 2002年7月20日 勝利 9R 3:01 KO アジブ・アルバラード (北陸石丸) インドネシアの旗 インドネシア 日本スーパーライト級王座防衛1
23 2002年11月30日 勝利 1R 1:59 KO チョッチョーイ・13リアンタワー タイ王国の旗 タイ
24 2003年2月15日 敗北 9R 2:40 TKO 佐々木基樹 (協栄) 日本の旗 日本 日本スーパーライト級王座陥落
25 2003年8月2日 勝利 7R 1:17 KO レックス・マルサン フィリピンの旗 フィリピン
26 2003年11月15日 勝利 1R 1:54 KO 陳京哲 大韓民国の旗 韓国
27 2004年1月17日 勝利 2R 1:29 TKO 盧錫根 大韓民国の旗 韓国
28 2004年4月17日 勝利 10R 判定3-0 北川純 (いわき協栄) 日本の旗 日本
29 2004年9月21日 勝利 2R 0:36 KO チャイナラーイ・ウアサムパン タイ王国の旗 タイ
30 2005年1月16日 勝利 2R 1:07 TKO 竹中義則 (尼崎亀谷) 日本の旗 日本 日本ウェルター級王座決定戦
31 2005年4月17日 勝利 1R 2:39 TKO 阪東竜 (三迫) 日本の旗 日本 日本ウェルター級王座防衛1
32 2005年9月23日 敗北 1R 0:40 KO 大曲輝斎 (ヨネクラ) 日本の旗 日本 日本ウェルター級王座陥落
33 2006年2月8日 敗北 9R 2:21 負傷判定0-3 ファルカド・バキロフ ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
34 2006年10月3日 勝利 3R 1:36 KO オペティ・タギ フィジーの旗 フィジー
35 2007年1月21日 勝利 4R 1:08 KO 新井恵一 (高崎) 日本の旗 日本
36 2007年4月20日 勝利 1R 1:32 KO 古川明裕 (ワールド日立) 日本の旗 日本 日本ウェルター級王座決定戦
37 2007年8月18日 勝利 7R 1:51 負傷判定3-0 新井雅人 (18古河) 日本の旗 日本 日本ウェルター級王座防衛1
38 2007年12月6日 勝利 1R 1:30 KO 牛若丸あきべぇ (協栄) 日本の旗 日本 日本ウェルター級王座防衛2
39 2008年4月20日 敗北 4R 2:13 KO 沼田康司 (トクホン真闘) 日本の旗 日本 日本ウェルター級王座陥落
40 2009年1月22日 勝利 1R 3:07 KO 寺田千洋 (新日本タニカワ) 日本の旗 日本
41 2009年5月19日 勝利 1R 2:38 KO 中堀智永 (本多) 日本の旗 日本
42 2009年11月3日 勝利 3R 0:32 TKO 戸高不乱拳大樹 (ミサイル工藤) 日本の旗 日本
43 2010年2月22日 勝利 5R 1:05 TKO 渡部あきのり (協栄) 日本の旗 日本
44 2010年6月29日 勝利 2R 2:21 TKO 西禄朋 (川崎新田) 日本の旗 日本 日本ウェルター級挑戦者決定戦
45 2010年9月4日 敗北 12R 判定0-3 チャーリー太田 (八王子中屋) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 日本・OPBFスーパーウェルター級タイトルマッチ
46 2011年1月8日 勝利 8R 判定3-0 細川貴之 (六島) 日本の旗 日本 日本スーパーウェルター級挑戦者決定戦
47 2011年5月19日 敗北 9R 0:15 TKO チャーリー太田 (八王子中屋) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 日本・OPBFスーパーウェルター級タイトルマッチ
48 2011年10月29日 勝利 3R 2:09 TKO 胡朋宏 (横浜光) 日本の旗 日本
49 2012年2月4日 勝利 7R 0:39 KO カルロス・リナレス (帝拳) ベネズエラの旗 ベネズエラ 日本ミドル級王座決定戦
50 2012年6月11日 勝利 2R 2:04 TKO 氏家福太郎 (新日本木村) 日本の旗 日本 日本ミドル級王座防衛1
51 2012年10月8日 敗北 4R 2:15 TKO 佐々木左之介 (ワタナベ) 日本の旗 日本 日本ミドル級王座陥落
52 2013年2月21日 勝利 8R 判定2-1 十二村喜久 (角海老宝石) 日本の旗 日本
53 2013年6月10日 勝利 8R 判定3-0 長島謙吾 (角海老宝石) 日本の旗 日本
54 2013年8月12日 勝利 1R 2:36 KO 切間庸裕 (折尾) 日本の旗 日本 日本スーパーウェルター級王座決定戦
55 2013年11月29日 勝利 10R 判定2-1 十二村喜久 (角海老宝石) 日本の旗 日本 日本スーパーウェルター級王座防衛1
56 2014年3月4日 敗北 10R 判定0-2 細川貴之 (六島) 日本の旗 日本 日本スーパーウェルター級王座陥落
57 2014年7月18日 勝利 1R 2:42 KO ドンドン・ラプス フィリピンの旗 フィリピン
58 2014年12月18日 敗北 6R 2:38 TKO デニス・ローレンテ英語版 フィリピンの旗 フィリピン OPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王座決定戦
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獲得タイトル[編集]

受賞歴[編集]

  • プロ・アマチュア年間表彰
    • 2007年度プロボクシング部門 努力賞[36]
    • 2007年度プロボクシング部門 KO賞[36]
  • 三股町功労賞(2001年・体育部門)[23]
  • 三股町町民栄誉賞(2012年)[22][23]
  • 都城市市民栄誉賞(2012年)[21]
  • 第33回チャンピオンカーニバル最優秀選手賞(2012年)[24]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 日本王座の複数階級制覇の最多記録である。詳細は複数階級制覇 (ボクシング)#日本王座における複数階級制覇を参照。
  2. ^ 『ボクシング・ビート』編集部による取材の際、湯場はその経験律から顎を骨折したものとして語っていた。編集部が正確を期して試合5日後の2月9日に確認したところ、入院を嫌って病院へは行かず自然治癒にまかせることにしたとのことであった[18]

出典[編集]

  1. ^ “湯場の国内4階級制覇ならず”. 読売新聞. (2010年9月4日). オリジナルの2010年9月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100910085313/http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20100904-OYT1T00865.htm 2012年3月3日閲覧。 アーカイブは現在閲覧不可能。
  2. ^ 宮崎西ロータリークラブ週報抜粋 第2351回例会/ゲスト:湯場忠志 2008年2月8日閲覧[リンク切れ]
  3. ^ 『日本ボクシング年鑑2001』、10頁。
  4. ^ 「湯場選手、再起の試合を応援!!」のウラ話 テレビ宮崎 2006年10月7日放送分[リンク切れ]
  5. ^ 湯場、92秒で王座復帰-日本ウェルター級戦 「月刊ボクシングワールド」オフィシャルサイト 2007年4月20日閲覧(記事はWeb魚拓)
  6. ^ ダウン喫し、気合入った-逆転KOの王者湯場 「月刊ボクシングワールド」オフィシャルサイト 2007年12月6日閲覧(記事はWeb魚拓)
  7. ^ 湯場3度目の防衛ならず 宮崎日日新聞 2008年4月21日閲覧(記事はWeb魚拓)
  8. ^ スーパーウエルター級・湯場、挑む 初の4階級制覇 朝日新聞 2010年9月4日(記事はWeb魚拓)
  9. ^ ボクシング 日本スーパーウエルター級 湯場/1回KO勝ち 2試合連続 4階級制覇へ前進 宮崎日日新聞 2009年5月20日閲覧(記事はWeb魚拓)
  10. ^ 湯場、故郷でTKO勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2009年11月4日
  11. ^ スリル再び 湯場、渡部を5回TKO撃退 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月24日
  12. ^ チャーリー“東洋”初防衛 湯場は2回で挑戦権獲得 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年6月29日
  13. ^ 湯場が王座挑戦権獲得 日本Sウエルター級8回戦 西日本新聞 2010年6月30日閲覧(記事はWeb魚拓)
  14. ^ 湯場、国内初の4階級制覇ならず (1/2)(2/2) サンケイスポーツ 2010年9月4日閲覧(記事はWeb魚拓)
  15. ^ チャーリー、湯場の大記録阻む 小差判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2010年9月4日
  16. ^ “湯場4階級制覇失敗”. 日刊スポーツ. (2011年5月20日). https://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20110520-778379.html 2012年2月5日閲覧。 
  17. ^ a b 『ボクシング・ビート』 & 2011年11月号、72頁。
  18. ^ 『ボクシング・ビート』 & 2012年3月号、130頁。
  19. ^ a b 『ボクシング・ビート』 & 2012年3月号、31頁。
  20. ^ “湯場4階級制覇! 史上初快挙”. 日刊スポーツ. (2012年2月5日). https://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20120205-899462.html 2012年2月5日閲覧。 
  21. ^ a b “ボクサー湯場さんに市民栄誉賞 宮崎・都城”. 朝日新聞. (2012年2月23日). http://www.asahi.com/sports/spo/SEB201202220030.html 2012年2月23日閲覧。 [リンク切れ]
  22. ^ a b 重春次男 (2012年3月3日). “意欲満々、国内プロ4階級制覇の湯場選手 都城が市民栄誉賞、三股が町民栄誉賞/宮崎”. 毎日新聞宮崎版. http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20120303ddlk45050590000c.html 2012年3月3日閲覧。 [リンク切れ]
  23. ^ a b c 三股町初! 湯場忠志選手へ町民栄誉賞!”. 三股町 (2012年). 2012年3月3日閲覧。
  24. ^ a b “日本4階級王者35歳湯場がMVPnewspaper=日刊スポーツ”. (2012年5月10日). https://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20120508-947438.html 2012年5月10日閲覧。 
  25. ^ 湯場圧勝 日本ミドル級戦”. ボクシングニュース「Box-on!」 (2012年6月13日). 2012年6月18日閲覧。
  26. ^ “4階級王者湯場がKO負け”. 日刊スポーツ. (2012年10月8日). https://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20121008-1029896.html 2012年10月9日閲覧。 
  27. ^ “湯場2-1判定で再起戦飾った”. デイリースポーツ. (2013年2月21日). https://www.daily.co.jp/ring/2013/02/21/0005756505.shtml 2013年2月21日閲覧。 
  28. ^ “4階級制覇の湯場が転級後2連勝を飾る”. デイリースポーツ. (2013年6月11日). https://www.daily.co.jp/ring/2013/06/11/0006066851.shtml 2013年6月11日閲覧。 
  29. ^ 椎野が2回KOでOPBF新王者に”. ボクシングニュース「Box-on!」 (2013年6月10日). 2013年6月11日閲覧。
  30. ^ 湯場、史上初の日本5階級制覇達成 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年8月12日
  31. ^ 湯場が初防衛成功、辛くも乱戦制す Boxing News(ボクシングニュース) 2013年11月29日
  32. ^ 湯場が王座陥落、細川が日本タイトル獲得 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年3月4日
  33. ^ 湯場忠志、6回TKO負けでOPBF王座獲得失敗 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年12月18日
  34. ^ “元王者加山さんがジム開く 湯場もサポート”. Box on. (2010年10月26日). https://boxingnewsboxon.blogspot.com/2010/10/blog-post_26.html 
  35. ^ 元日本5階級王者の長男 湯場海樹がプロデビュー戦TKO勝ち スポニチ.(2017年3月1日)
  36. ^ a b 2007年度年間優秀選手表彰式開催”. 日本ボクシングコミッション (2008年1月23日). 2012年2月21日閲覧。

映像資料[編集]

  1. ^ 湯場忠志選手 防衛戦2!! VS 牛若丸あきべえ (試合全容). 会場観戦者によるYouTube動画. 6 December 2007. 2012年6月18日閲覧[出典無効]
  2. ^ 4階級制覇 湯場 忠志 VS カルロス・リナレス (試合全容). 会場観戦者によるYouTube動画. 6 February 2012. 2012年6月18日閲覧[出典無効]
  3. ^ 日本ミドル級タイトルマッチ 湯場 忠志 VS 氏家 福太郎 (試合全容). 会場観戦者によるYouTube動画. 15 June 2012. 2012年6月18日閲覧[出典無効]
  4. ^ Tadashi Yuba (red glove) x Yosuke Kirima vacant Japan super welterweight title match 2013/8/12 (試合全容). 会場観戦者によるYouTube動画. 12 August 2013. 2013年8月31日閲覧[出典無効]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

暫定王座決定戦 対戦者
小野淳一
日本ライト級暫定王者
2000年10月16日 - 2000年11月27日
次暫定王者
正規認定により消滅
空位
前タイトル保持者
リック吉村
第47代日本ライト級王者

2000年11月27日 - 2001年9月17日(返上)

空位
次タイトル獲得者
木村登勇
空位
前タイトル保持者
前田宏行
第28代日本スーパーライト級王者

2002年3月23日 - 2003年2月15日

次王者
佐々木基樹
空位
前タイトル保持者
前田宏行
第43代日本ウェルター級王者

2005年1月16日 - 2005年9月23日

次王者
大曲輝斎
空位
前タイトル保持者
大曲輝斎
第45代日本ウェルター級王者

2007年4月20日 - 2008年4月20日

次王者
沼田康司
空位
前タイトル保持者
淵上誠
第55代日本ミドル級王者

2012年2月4日 - 2012年10月8日

次王者
佐々木左之介
空位
前タイトル保持者
柴田明雄
第34代日本スーパーウェルター級王者

2013年8月12日 - 2014年3月4日

次王者
細川貴之