湯原王

湯原王(ゆはらおう/ゆはらのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代皇族歌人天智天皇の孫で、二品志貴皇子の子。無官位か。

経歴[編集]

天智天皇の孫でありながら各種史書上に叙位任官の記録がなく政治面での足跡は残っていない。一方で、『万葉集』に天平年間初期(730年頃以降)に詠まれたと想定される和歌作品が19首採録されており、万葉後期の代表的な歌人の一人となっている。勅撰歌人として『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集にも4首が採られている[1]

没後の宝亀元年(770年)に兄弟の白壁王が即位(光仁天皇)し、志貴皇子の子女を親王・内親王として扱うこととしたため[2]湯原親王とも記される[3]

人物[編集]

壬申の乱以降、天武系の皇統が続く中で、天智系の諸王皇位継承において微妙な立場にあったことから、本心や才能を隠しつつ政争から逃れ、風流に徹した人生を送ったと想定される[4]

『万葉集』には、ある娘との相聞歌が12首(うち湯原王作は7首)残されており[5]、その娘と激しい恋に落ちていたことを物語っているが、結局この恋は成就しなかったらしい。この悲恋は平安時代初期に成立した『伊勢物語』にも影響を与えたらしく、物語の中で「むかし男」が伊勢斎宮を思って詠んだとする歌が[6]、湯原王作の相聞歌の1つ[7]と非常に似た内容となっている[8]

歌風[編集]

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『勅撰作者部類』
  2. ^ 『続日本紀』宝亀元年11月6日条
  3. ^ 『日本後紀』延暦24年11月12日条
  4. ^ 竹下[1984: 91]
  5. ^ 『万葉集』巻4
  6. ^ 『伊勢物語』73段
  7. ^ 『万葉集』巻4-632
  8. ^ 竹下[1984: 89]
  9. ^ 宝賀[1986: 121]

参考文献[編集]

  • 竹下数馬「伊勢物語と湯原王・穂積皇子」『立正大学文学部論叢』78号所収、1984年
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年