渋川敬典

渋川 敬典(しぶかわ よしのり、天保9年(1838年) - 明治37年(1904年))は、幕末・明治期の天文学者江戸幕府最後の天文方である。渋川敬直の嫡男。通称孫太郎。

8歳の時に天保の改革の反動によって父が廃嫡・流刑となったため、家督は叔父の渋川佑賢が継ぐことになる。ところが、安政4年(1857年)に天文方を継いだばかりの佑賢が急死したため、翌年急遽、敬典が天文方を継承した。明治2年(1869年)に天文方が廃された後は、大学星学局に属した後、東京天文台職員として出仕した。

渋川家の代々の墓所は品川東海寺大山墓地だが、敬典の墓石は存在していない。

参考文献[編集]