清瀬一郎

清瀬 一郎
きよせ いちろう
1953年
生年月日 1884年7月5日
出生地 日本の旗 日本 兵庫県飾磨郡夢前町(現・姫路市
没年月日 (1967-06-27) 1967年6月27日(82歳没)
出身校 京都帝国大学(現・京都大学
前職 弁護士
東京裁判日本側弁護団副団長
所属政党立憲国民党→)
革新倶楽部→)
(革新党→)
国民同盟→)
翼賛政治会→)
大日本政治会→)
日本進歩党→)
(無所属→)
改進党→)
日本民主党→)
(自由民主党→)
(無所属→)
自由民主党
称号 従二位
勲一等旭日桐花大綬章
衆議院永年在職議員
法学博士

日本の旗 第49-50代 衆議院議長
在任期間 1960年2月1日 - 1963年10月23日
天皇 昭和天皇

日本の旗 第73代 文部大臣
内閣 第3次鳩山内閣
在任期間 1955年11月22日 - 1956年12月23日

選挙区 兵庫県第4区
当選回数 14回
在任期間 1920年5月11日 - 1945年12月18日
1952年10月2日 - 1953年3月14日
1955年2月28日 - 1967年6月27日
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清瀬 一郎(きよせ いちろう、1884年明治17年〉7月5日 - 1967年昭和42年〉6月27日)は大正昭和時代の日本弁護士法学者政治家。弁護士としては極東国際軍事裁判東條英機の弁護人などを務め、また政治家としては文部大臣衆議院議長を歴任。学位は法学博士。東京弁護士会会長。従二位勲一等旭日桐花大綬章

来歴・人物[編集]

兵庫県飾磨郡夢前町(現、姫路市)出身。弁護士としては小作争議裁判や思想事件等の他、特許事件を多く手掛けて著作物も多く、工業所有権法知的財産法)の分野においては実務・学問の両面において草分け的な存在であった。

政界入りしてからは普通選挙運動の推進や台湾議会設置運動への支援、治安維持法への反対などリベラルな政治家として知られてきた。しかし1930年代以降親軍派に転向し五・一五事件の裁判において、被告側の弁護人を務めた。

1945年第二次世界大戦敗戦直後、この時点で依然日本国籍を有していた旧植民地出身者の参政権行使を恐れ、参政権を停止(実質剥奪)するよう主張した。清瀬の主張もあり、同年12月の衆議院議員選挙法改正により、参政権停止は実行された。

1946年1月、戦前の親軍転向を理由にGHQから公職追放された。極東国際軍事裁判では、日本側弁護団副団長と東條英機元首相の主任弁護人を務めたことでも知られる[1]

追放解除後も憲法改正を主張するなど典型的な戦前派の保守政治家と目されたが、清廉さを身上とするが故に政界復帰後はハト派の三木武夫と行動をともにした。衆議院議長に就任した際も「公平さを期するため」と党籍を離脱した。当時は議長・副議長の党籍離脱は慣例化しておらず、清瀬の党籍離脱は異例ともいえる。

文部大臣の在任時に、教育委員を公選制から任命制にした。それまで地方教育行政に関する制度の中核を定めていた旧・教育委員会法(昭和23年法律第170号)を廃止した上で1956年6月30日に「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の公布が行われた。教育委員会の設置関係規定の施行も同日に行われた。同年10月1日からは、その他の規定もあわせて施行されている。「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」は、「新・教育委員会法」などと呼ばれることもある。旧・教育委員会法は、教育委員会の委員を住民による公選としていたが、この法律では、地方公共団体の首長が地方議会の同意を経て任命することに改められた。

安保条約承認に際して会期延長を宣言する清瀬。

衆議院議長在任中の1960年6月19日から20日にかけて、衆議院本会議で日米安全保障条約(新安保条約)の採決が行われた。採決の前、日本社会党の議員や秘書団が清瀬を議長室に閉じ込めていたが、警官隊がこれを排除。清瀬は救出に来た金丸信に抱えられて議事堂に入るが、入場の際に扉に左足首(日経新聞の記事では右足首とされているが、産経新聞の写真で左足首にギプスを巻いているのが確認できる[2])をぶつけて骨折している。議長席についた清瀬はそのまま大混乱の中で会期延長を強行採決し、日付が変わった直後に条約批准案を可決させた[3]。なんとか可決にこぎつけ疲労困憊の清瀬は、ソファに横たわりながら記者らの取材を受けた[4]

黒い霧事件」など政界の汚職事件については、自民党綱紀粛正調査会会長に就任し調査、粛党答申をまとめ政界浄化を訴えた。

世界連邦運動の推進団体である世界連邦日本国会委員会の第5代会長であった。

1967年6月27日死去。享年83。衆議院議員選挙の当選回数は、通算14回[1]

後継者は秘書だった戸井田三郎、同じ選挙区の対立候補に同じ三木派の河本敏夫

略歴[編集]

1961年頃

家族[編集]

法学者清瀬信次郎言語学者清瀬義三郎則府は、一郎の次男と三男。

所属政党[編集]

著書[編集]

  • 『工業所有権概論』三書樓、1911年5月。NDLJP:796585 
  • 『不当利得論』波多野重太郎、1912年5月。NDLJP:791721 
  • 『発明特許制度ノ起源及発達』清瀬一郎、1915年9月。 
    • 『発明特許制度ノ起源及発達』学術選書、1970年3月。 
    • 『発明特許制度ノ起源及発達』学術選書、1997年2月。 
  • 『債権各論』巌松堂書店、1918年1月。 
  • 『特許法原理』中央書店、1922年10月。NDLJP:971304 
    • 『特許法原理』(復刻版)特許法原理覆刻刊行委員会、1985年6月。 
  • 『普選法大意』清瀬一郎事務所、1926年10月。NDLJP:919581 
  • 『清瀬一郎政論集』人文会出版部、1926年12月。NDLJP:1018379 
  • 『第五十二議会に於ける余の機密費事件演説』新使命社、1927年4月。NDLJP:1272105 
  • 『新時代の雄弁法』 上篇、帝国教育会出版部〈現代生活叢書 第1期 第2輯〉、1929年5月。NDLJP:1035165 
  • 『新時代の雄弁法』 下篇、帝国教育会出版部〈現代生活叢書 第1期 第15輯〉、1929年11月。NDLJP:1090706 
  • 『政界革新の先決問題(選挙法の根本的改革)』大日本アジア会、1932年9月。NDLJP:1444995 
  • 『造化の秘鍵 五・一五事件の弁論』日本講演通信社、1933年10月。 
  • 吉村千鶴編纂 編『人一代の法律』東京開成館、1934年11月。 
  • 『東亜省を設立せよ 附・国家総動員法案の成立を望む』研文社出版部、1938年2月。NDLJP:1456220 
  • 『時代を搏つ』金星堂、1938年9月。NDLJP:1268062 
  • 『有田外務大臣に与ふる公開状』清瀬一郎、1940年3月。NDLJP:1436897 
  • 『浅間丸事件の処理と対英外交のからくり』清瀬一郎、1940年4月。NDLJP:1094395 
  • 『拷問捜査 幸浦・二俣の怪事件』日本評論新社、1959年5月。 
  • 『秘録東京裁判』読売新聞社、1967年3月。 
    • 『秘録東京裁判』(改訂版・解説長尾龍一読売新聞社、1975年8月。 
    • 『秘録東京裁判』(解説長尾龍一)中央公論社〈中公文庫〉、1986年7月。ISBN 9784122013421 
    • 『秘録東京裁判』(改版、解説長尾龍一)中央公論新社〈中公文庫〉、2002年7月。ISBN 9784122040625 

編・共編[編集]

  • 『政治は生きている』東京潮文社、1959年11月。 
  • 中塚正信と共 編『日本海事判決先例全集』海陸運輸時報社、1917年7月。 
    • 中塚正信と共 編『日本海事判決先例全集』(改版)海陸運輸時報社、1926年5月。 

校閲[編集]

  • 読売法廷記者共著『25被告の表情』東京潮文社、1948年4月。 
    • 読売法廷記者共著『25被告の表情 東京裁判A級戦犯』(復刻版)諏訪書房、2008年7月。ISBN 9784903948232 

評伝[編集]

  • 黒沢良『清瀬一郎 ある法曹政治家の生涯』駿河台出版社、1994年。第一部評伝、第二部資料篇

清瀬一郎役を演じた俳優[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 清瀬一郎「憲法改正条項私見」 1945年12月22日 | 日本国憲法の誕生”. www.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2019年1月19日閲覧。
  2. ^ INC, SANKEI DIGITAL. “揺れた日本の記憶 秘蔵写真でたどる「60年安保」”. 産経フォト. 2019年1月22日閲覧。
  3. ^ 身代わり出馬でトップ当選(政客列伝 金丸信)”. 日本経済新聞 電子版 (2011年8月7日). 2019年1月22日閲覧。
  4. ^ 揺れた日本の記憶 秘蔵写真でたどる「60年安保」”. 産経フォト (2015年6月21日). 2019年1月22日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

映像外部リンク
天皇制を論ず - NHK放送史
議会
先代
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日本の旗 衆議院議長
第49・50代:1960年 - 1963年
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先代
松浦五兵衛
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第21代:1928年 - 1930年
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先代
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日本の旗 衆議院懲罰委員長 次代
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公職
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松村謙三
日本の旗 文部大臣
第73代:1955年 - 1956年
次代
灘尾弘吉
党職
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松村謙三
日本民主党政務調査会長
第2代:1954年
次代
自由民主党へ合同
先代
三木武夫
改進党幹事長
第2代:1953年
次代
松村謙三