海堀あゆみ

海堀 あゆみ
名前
愛称 かい[1]
カタカナ カイホリ アユミ
ラテン文字 KAIHORI Ayumi
日本語 海堀 あゆみ
基本情報
生年月日 (1986-09-04) 1986年9月4日(37歳)
出身地 日本の旗 日本京都府長岡京市
身長 170cm
体重 64kg
選手情報
ポジション GKFW
ユース
日本の旗 長岡第四サッカースポーツ少年団
日本の旗 ラガッツァFC高槻スペランツ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2007 日本の旗 スペランツァF.C.高槻 58 (0)
2008-2015 日本の旗 INAC神戸レオネッサ 157 (0)
2017-2018 日本の旗 熊本ルネサンスフットボールクラブ
代表歴2
2008-2015 日本の旗 日本 53 (-48)
獲得メダル
女子サッカー
女子W杯
2011 ドイツ
2015 カナダ
オリンピック
2012 ロンドン 女子
1. 国内リーグ戦に限る。2015年11月8日現在。
2. 2015年7月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

海堀 あゆみ(かいほり あゆみ、1986年9月4日 - )は、京都府長岡京市出身の女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。ポジションはゴールキーパーフォワード

経歴、人物

小学2年生からサッカーを始め、長岡京市第四小スポーツ少年団で男子に交じってプレーしていた。サッカーを始めた当初はDFであった[2]。 小学校高学年になると、男子をも驚かせるほどの当たりの強さであったとのことで、少年団の代表曰く、「あゆ(海堀の愛称の一つ)を振り切れる男は見たことがなかった」とのこと[2]。当時、同郷で同学年の家長昭博の所属するチームと試合で対戦しており、家長は「封じられた記憶あり」と回想している[3]

中学入学と同時にスペランツァFC大阪高槻の下部組織に入団。しかし、経済的負担や姉の影響等の理由で、京都府立乙訓高等学校に進学した際、一旦サッカーを断念してテニス部に入部した。当時のテニス部の顧問は、「次に来るボールを予想して走り出す、動物的な勘のようなものがあった」と回想する。高校2年生の終わりごろにはテニス部で一番の腕前であったとのこと[2]

その後、高校3年生のとき、スペランツァFC大阪高槻の下部組織であるラガッツァF.C.高槻スペランツァに復帰。このときにGKに転向した。すぐに頭角を現し、女子のU-19日本代表に選出。

その後、スペランツァFC大阪高槻のトップチームに昇格。当時の所属チームには、海堀以外にGKがおらず、先述のU-19代表のGKコーチが指導する高校(金光大阪高等学校)の練習にも参加。GKコーチ曰く、「怖がらずに突っ込んだりするので、男子高校生が遠慮するくらいだった」とのこと[2]

所属チームにGKが1人という状況は2年間続いたが、試合に出続けることで短期間でしっかりとした土台を築く[2]

2008年INAC神戸レオネッサへ移籍。正GKとしてゴールを守り続ける。同年になでしこジャパンに選ばれ、5月31日の2008 AFC女子アジアカップにおけるチャイニーズタイペイ戦で代表デビュー。

北京オリンピックでは福元美穂に次ぐ第2GKとして選ばれるが、出場機会はなかった。

2009年、シーズンで国内リーグ100試合出場を達成した。

2011年、ドイツで開催された2011 FIFA女子ワールドカップでは正ゴールキーパーとしてゴールを守り続け、特にPK戦に突入した決勝アメリカ戦では、1人目と3人目のキッカーのシュートをセーブし、日本の初優勝に貢献した。この活躍によりFIFAから決勝戦のMVPとしても選出され、さらに大会の優秀選手21人にも選出された。

2012年、INAC神戸との契約をプロ契約に移行[4]。以後も日本代表や、所属するINACで主力ゴールキーパーとして出場していた。ただ一方で、同年のロンドンオリンピック直後から目の前のものが二重に見える症状が出始める[4]。当初「重症筋無力症の眼筋型」との診断を受けたが、2015年に別の医師から「斜視だから手術すれば治る」と言われ手術に踏み切る。ただ手術自体は成功で日常生活には全く問題なくなったものの、スポーツ選手として必要な動体視力が低下しボールへの反応が遅れる症状が残った上、「また斜視が復活するのではという恐怖感を拭えなかった」という[4]

2016年1月15日、「ライバルである自分自身に勝てなくなった」とパフォーマンス低下を理由に、29歳での現役引退を表明した。実際には前述の斜視問題も引退を決めた大きな要因であった[4]

2016年7月、将来的にサッカー指導者を目指すことを目標として、慶應義塾大学総合政策学部AO入試を受験し合格[5]。同年9月より同大学に入学する。

2017年5月2日熊本ルネサンスフットボールクラブに選手兼コーチとして入団した[6]。「(GKとして)散々やられたので、点を取りたい」とFWに転向した[7]。2018年12月、契約満了により熊本を退団した[8]

2020年4月、佐賀県みやき町のスポーツ政策ディレクターに就任した[9]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 皇后杯 期間通算
2004 スペランツァF.C.高槻 19 L・リーグ1部(L1) 1 0 - 1 0 2 0
2005 19 0 - 3 0 22 0
2006 なでしこ Div.1 17 0 - 1 0 18 0
2007 1 なでしこ Div.2 21 0 3 0 3 0 27 0
2008 INAC神戸レオネッサ 19 なでしこ Div.1 21 0 - 4 0 25 0
2009 21 0 - 3 0 24 0
2010 1 なでしこ 18 0 5 0 4 0 27 0
2011 16 0 - 4 0 20 0
2012 12 0 6 0 4 0 22 0
2013 18 0 10 0 4 0 32 0
2014 28 0 - 2 0 30 0
2015 なでしこ1部 23 0 - 4 0 27 0
2017 熊本ルネサンス 19 九州 -
2018 -
通算 日本 1部 194 0 21 0 34 0 249 0
日本 2部 21 0 3 0 3 0 27 0
日本 九州 -
総通算 215 0 24 0 37 0 276 0

タイトル

代表

クラブ

個人

  • 2011 FIFA女子ワールドカップ「オールスターチーム(優秀選手)」
  • なでしこリーグベストイレブン:2回(2011年、2013年)
  • なでしこリーグカップ最優秀選手:1回(2013年)

表彰

  • 長岡京市スポーツ賞市民栄誉賞[10]

代表歴

主な出場歴

試合数


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2008 3 0
2009 3 -1
2010 7 -3
2011 14 -13
2012 7 -11
2013 6 -5
2014 6 -4
2015 7 -11
通算 53 -48
2015年7月1日現在

指導歴

脚注

  1. ^ INAC神戸公式サイト
  2. ^ a b c d e 朝日新聞、2011年7月19日朝刊30面大阪本社版
  3. ^ 頑張れなでしこ‼ 『家長昭博 OFFICIAL BLOG(自分・・・不器用ですから)』7月18日付
  4. ^ a b c d なでしこGK海堀あゆみ、引退の理由を語る(前編)「信条に反することはできない」 - Sportiva・2016年2月9日
  5. ^ 元なでしこGK海堀さんは慶大に合格「新たな知識をつけたい」 - スポーツニッポン・2016年7月20日
  6. ^ 海堀あゆみ 選手兼コーチ 入団のお知らせ - 熊本ルネサンスフットボールクラブ・2017年5月2日
  7. ^ 元日本代表GK海堀が現役復帰 熊本ルネサンスでは得点王目指す - デイリースポーツ・2017年5月5日
  8. ^ 海堀 あゆみ 選手兼GKコーチ 退団のお知らせ』(プレスリリース)熊本ルネサンスフットボールクラブ、2018年12月4日https://renaissance-kumamoto.com/news/35232019年3月13日閲覧 
  9. ^ エッセイ My Sweet Story 元女子プロサッカー選手 海堀あゆみさん”. ロッテ. 2022年4月13日閲覧。
  10. ^ 平成23年7月28日 海堀選手へ市スポーツ賞市民栄誉賞を贈呈 | 長岡京市公式ホームページ”. www.city.nagaokakyo.lg.jp (2011年7月28日). 2021年6月19日閲覧。

外部リンク