浮世絵類考

浮世絵類考』(うきよえるいこう)は、江戸時代浮世絵師の伝記や来歴を記した著作で、浮世絵師の便覧とも言える。浮世絵研究の基本的な史料である。寛政年間に大田南畝が著した原本に、複数の考証家が加筆して成立した。

成立事情[編集]

  • 寛政2年(1790年)頃、大田南畝が浮世絵師に関する考証を行う[書誌 1]

*以上の典拠は仲田勝之助校訂『浮世絵類考』(岩波文庫、1941)の解説による[書誌 6][書影 4]

*中野三敏は『太田南畝全集』「浮世絵考証」の解題で、南畝原撰と思われる部分に、寛政6年から7年が活動期とされる写楽の記事を載せていることから、この部分の成立を寛政7年以降としている。なお、岩波文庫を見るかぎり、南畝原撰部の成立を寛政2年頃とする根拠は明示されていない(「近来の研究では」と書くのみである)。

構成[編集]

岩波文庫版の構成は次のとおりである。

  1. 大和絵師浮世絵之考
  2. 吾妻錦絵之考
  3. 岩佐又兵衛以下の各絵師、232名
  4. 附録 古今大和絵浮世絵の始系

諸本があるため、以下のマークで示している。

  • 【増】『増補浮世絵類考』
  • 【追】 山東京伝の追校
  • 【新】『新増補浮世絵類考』
  • 【故】『故法室本』
  • 【曳】 曳尾庵本
  • 【三】 式亭三馬加筆

記述の例[編集]

一例として写楽の項[1]を引用する。

写楽斎

【曳】東洲斎写楽
【新】俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也。

これは歌舞妓役者の似顔をうつせしが、あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなさせし故、長く世に行はれず一両年に而止ム。

【曳】しかしながら筆力雅趣ありて賞すべし。
【三】三馬按、写楽号東周斎、江戸八町堀に住す、はつか半年余行はるゝ而巳。      (以下略)

大田南畝が書いた原文に近いのが「これは歌舞妓役者の(…)一両年に而止ム」の部分である。

出典[編集]

書影[編集]

  1. ^ 坂崎担: “近代デジタルライブラリー_日本画談大観”. 2013年7月20日閲覧。 p.1376-1437(コマ706-736)では81名記述、「2,3点の不明は斎藤月岑本で補記」と記される。
  2. ^ 1917年版の書影が岡島昭浩うわづら文庫」内『浮世絵類考』(温知叢書)にある。 斎藤月岑: “増補浮世絵類考”. 博文館 (1917年). 2013年7月20日閲覧。pp.338-432
  3. ^ 1889年版の書影が近代デジタルライブラリーにある。竜田舎秋錦 編『新増補浮世絵類考』須原鉄二、1889年。NDLJP:994737 
  4. ^ 大田南畝 著、仲田勝之助 編『浮世絵類考』岩波書店、1941年。NDLJP:1068946 

書誌[編集]

  1. ^ 『大田南畝全集』18巻(岩波書店、1988)所収「浮世絵考証」
  2. ^ 島田筑波校訂『校訂浮世絵類考』版(孚水文庫、1932)がある。島田筑波 編『校訂浮世絵類考』1941年。 NCID BA35675095 
  3. ^ 太田記念美術館 論集2』に所収 中嶋修「浮世絵類考 成立・変遷史の研究」。 太田記念美術館 編『太田記念美術館 論集2』2004年。 NCID BA71111016 
  4. ^ 坂崎担編著『日本画談大観』下巻(東京堂, 1917)に所収坂崎担 編『日本画談大観』目白書院、1917年。 NCID BN08448809 
  5. ^ 岸上操編輯『近古文藝温知叢書』(博文館, 1891年)岸上操 編『近古文藝温知叢書』博文館、1891年。 NCID BN04996347 『温知叢書』収録本とケンブリッジ大学所蔵の月岑自筆本の内容には大きく相違があるので注意。
  6. ^ 大田南畝 著、仲田勝之助 編『浮世絵類考』岩波書店、1941年。 NCID BN03782461