法政大学府中寮

法政大学府中寮(ほうせいだいがくふちゅうりょう)とは、東京都府中市北山町3-15-7に所在し、法政大学が所有していた学生寮で、学生による自主管理・自主運営がなされていた自治寮である。

建設から40年以上が経過し、建物の老朽化などの問題で、2009年度末をもって廃寮した。

年表[編集]

  • 1965年 学費値上げ反対運動を闘った多くの学生の要求によって「法政大学府中学生寮」建設。法政大学HP参照

法政大学は府中市に広大な土地を所有しており、この一部を府中寮にあてた。なお府中寮東側の土地はのちに東芝に売却している。 敷地は広く第二寮(増寮)の動きもあった。寮建設時は、工学部1年生のみの入寮規定があった。         

  • 1971年 寮監追放により、学生による自主管理・自主運営が開始(このころから法政大学府中寮と称するようになる) 11•26 寮生大会において寮監制度廃止・残寮生増員・寮管理運営委員会への発言権を圧倒的多数によって決議。 11•29 寮運委は我々の参加すら認めず、残寮生増員を拒否。 12•2 対J学生部長、厚生課長・S教授団交でも我々の寮生増員要求を一切認めず、更には寮運委での怠慢詐欺が暴露された。 12•4 寮生大会において残寮委員会が商承認され発足。 12・6 残寮委員会は寮監に対し退寮勧告を提出し、大学当局に寮監制度廃止勧告と寮運委への参加発言権要求を行う。 12・7 再度、大学当局に対して三項目要求を行う。 12・8 事前に会議室を占拠し、寮運委のメンバーと討論会を開く。残寮委は三項目要求を行うが、昨日同様原則慣行に個室し全く進展なし。一応、我々が退室し、寮運委を開かせた。明日、三項目に対する回答を行うことを確約させる。 12・9 当局は昨日の寮運委で審議された我々の要求に対する回答を行う。①寮監制度を廃止し建物の管理人を置きたい。②残寮制度の意義に基づき、18名を認めるが、現2年生の残寮は認めない。③寮運委への参加、発言権は認めない。学生部との話し合いでカバーできる。それと共に、13日午後6時本校において団交を持つことを約す。 12・10 残寮委で今後の問題を討論する。管理人に対する拒否権獲得、寮運委解体。この頃大学内において学費問題が焦点となる。全共闘は大衆団交の予備折衝で大学と緊張状態になる。 12・11 寮ホールにおいて、寮問題の自由討論会を開く。 12・12 寮の現状に関するビラを本校の門で学生に配る。 12・14 13日に予定された団交が当局の事情で中止された事を追及するため大学に結集し、S次長を捕まえ、明日1時に団交を行う事を確約さす。 12・15 3項目要求(今までとは異なる)を大学に提出する。 12・17 学費値上げに関する全共闘の大衆団交で、M寮監からJ学生部長に宛てた残寮希望者に対する素行・思想調査書を全学友の前で読み上げ、学校当局を糾弾。 12・20 残寮委において食道問題が焦点となる。資料集め。
  • 1972年 1・20 残量委員会。黒部食品が辞める可能性濃厚。生協に頼むか、学校の職員化を押し進めるか、また我々自身による職員化運営の可能性を検討する。入寮選考をどうするか同時に検討。 2・5 残量委員会。入寮選考ー完全単独入寮選考を圧倒的に決定。対象を『一部二部一年時生』とする。 2・12 本日残寮委員会より執行部4名と本校で、2月14日「12・15の3項目要求」に対する理事との会見を持ちたいとの学校側からの要請あり。 2・14 我々はボス交を拒否する旨を学校側に通告。学校側は我々の要求通り理事とのボス交を取り止め、執行部4名と厚生課との話し合いを69年館で持つ。本校はロックアウト、検問体制。 学校側の食堂に対する見解 ・職員化は不可能。黒部食品は4月以降、朝夕それぞれ十円の値上げ。 ・47年度助成金、予定50万円 自主管理に関して、明日1時までに自主管理の具体例を出して欲しいとのこと。我々は黒部食品との契約を破棄し、食堂の自主運営を宣言する。 2・15 学校当局に対して自主管理の具体例を出す。 一、食費、共益費、寮費の独立会計 一、コーラ、電話の独立会計 一、学校の派遣する職員の拒否権獲得 2・20 入寮生募集のステッカー貼り。入寮募集の情宣開始。入学試験始まる。朝7時30分情宣出発。 2・28 寮ホールにおいてS次長・K課長・S氏と話し合い。 自主入寮選考について  学校側は残寮制度の意義からいって、残寮生は18名に限るので、入寮人員の109名を110名にせよ。また対象は二部1年時生は認めない。 学校側は話し合いをすると言いながらその一方で、一部合格者に次のようなビラを入れた事を公言し、学校の話し合い(民主主義)が口実でしかなかったことが暴露された。「入寮について…大学は都合により寮の使用については検討中なので追って通知します。法政大学」 3・1 S教授、S氏、話し合いに来る。S教授「現二年生の残寮及び二部一年生の入寮を取り下げない限り大学当局は機動隊を導入してでも寮を閉鎖する強硬策に出る空気になっている。これに対して私は寮生との十分な話し合いもなしにこのような態度に出るのは良くないと考え、学校側から1週間の猶予をもらいに寮にきた。寮生の要求は、自主管理運営の問題、増寮の問題の2点に集約される。自主管理とは何か具体的にする必要がある。寮閉鎖までもたらしたのは執行部の責任である」 残量委員会「学校側は、機動隊導入→寮閉鎖と意外に強硬であり、現在寮生が少なく、全共闘も動きが取れない状態であり、力関係からいって敗北は必至である。そこで我々は、二部生を対象から除くことで全面対決を避け、4月移行新入生が入寮した時点から増寮闘争を進め、二部の諸君に応えていく」 3・2 S教授再度訪寮。学部長会議において学校側に次の7点に関する検討の要請を約す。①交渉期間の設立 ②Yさんの残寮 ③食堂(食費の独立会計、代理徴収) ④学校の派遣する職員に対する拒否権 ⑤増寮 ⑥寮費の支出に問題あり ⑦寮費の独立会計 3・6 食堂問題の解決を迫る 3・12 四寮(法中明専)月齢連絡会議を明大生田寮において開催。7 ・自治寮の位置づけと自治運動について ・寮の機関紙を発刊し情報交換等を行い、新寮運動を創り出そう 3・13 食堂従業員募集開始 3・14 入寮選考開始 3・17 K厚生課長、S氏来寮 食堂問題を指摘。学校側のビラにより入寮願書が減少。「学校側との緊張をとけ云々」という文書を入寮希望者に葉書で通知。 3・18 S教授学部長会議の結論を持って来寮 ①交渉期間の設立 ②Yさんの退寮は強制しない ③増寮は不可能 ④その他のことは交渉機関を通じて又は厚生課と交渉して欲しい。 3・21 厚生課に食堂の援助費準備金・冷却機その他色々を要求しに行く。 3・23 総括討論集会 4・2 食堂問題はこの時点において失敗のもよう。この頃K厚生課長が寮管理人の職務内容(6項目)を理事会に提出し承認されたことが明確になり我々寮生無視の姿勢が再度暴露。 4・3 本年度の入寮希望者不足。当局は入学式の当日に案内の配布を通知。 4・6 入寮案内の配布が学生部の怠慢により配布できず。明日配布を懇願。 4・7 当局がやっと入寮案内6000枚を配布する→継続募集始まる。 4・15 継続募集終了。第一回寮生大会成立(61名) 決議①食堂の職員化要求 ②再募集 ③Y氏の残寮断固支援 4・21 1年生を含む新執行委員会選出 4・26 執行委員会、学生部に①食堂職員化要求、②交渉期間について学生部の説明を求める。 回答①について「大学側は職員を合理化する方向ー人事政策なので職員化は考えられない。業者は毎年値上げするが、賃金・物価・材料費の値上げは仕方がない」②について「3月までの寮管理運営員会は第一教養部と工学部の教授であったが、今度の交渉機関は全学部から選出する」 5・2 寮ホールにおいてS次長との話し合いを持つ。①職員化は至急検討する。②管理人の職務内容は寮生と協議の上決定する。③学生部長が決定すれば至急寮に来る。 5・10 5・2の②に従い寮自から、管理人の職務内容を学生部に提出する。 5・11 中大代々木寮との連絡会議。A君が代表として出席。 5・17 寮生大会 方針を圧倒的に可決 一、再募集、増寮 一、食堂職員化要求 一、寮監制度完全撤廃 一、大学側の派遣する職員に対する拒否権要求 5・19 55年館前で寮生集会及び追求集会。K理事長、S次長他、寮生30名結集 5・20 学校側と自治会室にて話し合い。当局ー再募集はやめて欲しいー法的に適当な措置を取ると暗に機動隊導入で恫喝を告げる。 5・22 再募集開始 5・24 55年館前で追求集会ー寮生40名。法的措置について等追求 5・30 工学部にて集会 40名結集。工学部自治会、救対よりアピール、その後学内デモ 6・2 S次長 一、二年生少数の入寮なら黙認することもありうるとF委員に明言。 8月後半~9月中旬 寮より相模原戦車輸送阻止闘争に有志数名~数十名連日参加。テント内での泊まり込み貫徹。最先頭で闘う。 10・9 食堂開始 10・15 寮生大会 一、職員に対する拒否権 二、寮費のうち学生寮費の廃止 三、入寮対象の拡大(一部二部全学生・院生含む) 12・3 10・15に対する総括 一、についてー失敗 二、についてー失敗 三、についてー実質的に獲得の方向性あり。当局一部二部一・二年生の妥協案。 本日にて執行部解散 12・14 後期執行部選出 方針 ・入寮対象者全学部全学年 ・学館設立委員会を活用して学校との交渉の道を開く ・情宣部の設立 事務局員が寮生の行動を監視するそぶりが見える。事務員がこのような行動をしてた場合、実力で追い出す。
  • 1973年 2~3月 各学部入試、合格発表時に新入寮募集のビラを1万枚以上配布する。及び入寮願書も配布ー当局一切口を出さず。実質的な入退寮権を自らの行動で勝ち取る。退寮権行使。 2・23 K理事と会見し、3・4年生の残寮を認めさせる。 2・28 当局との団交により実質的に入退寮権を獲得。 4・15 定例寮生大会 闘争方針 一、増寮要求の徹底化 二、文章化における入退寮権の獲得 三、寮管理運営委員会の解体 四、食費と寮費分納の要求と並行して寮費の削減化要求 五、学生会館学生連盟へのオブザーバー参加申請と学館闘争支援参加、規約改正ー保留 4・24 本年度第一回の学生会館学生連盟暫定総会にて満場一致で承認される 5・2 学生部へ4項目要求を提出。7日に出さず12日に伸ばす。 5・8 正午55年館前にて寮生100名が結集。4項目要求を大衆的にアピールするとともに寮として学館闘争に積極的に参加してゆく事を表明。学内デモ。学生部へ行き本日付で学生部長に就任したばかりの前文学部部長のHを引き出し追求。 5・9 寮管理運営委員会に時間制約を受けながらも許可され執行部数名出席。S次長の欺瞞が暴露。 5・12 当局回答を出さず、さらに19日に延期を一方的に通告。 5・19 当局回答を出さず、さらに23日に延期を一方的に通告。 5・23 回答あり。だがその内容は寮生の意向を全く無視したものであり、回答の際説明が一切なされずH学生部長は逃亡。講義のための集会を25日に打つ意向を伝えると25日逃亡を我々に告げる。 5・31~6・2夜間ロックアウト粉砕の泊まり込み。学館単独自主管理完徹闘争に全学のべ1200名参加ー寮も参加。自治会・寮闘委のアピールを送る。 6・3 臨時寮生大会 K執行部誕生 方針 一、寮闘争の学内への情宣 二、4項目要求の継続追求 三、学館闘争への支援参加 四、寮内部の情宣と討論の徹底 6・6 11日に55年館前で決起集会、12日に泊まり込み闘争への参加方針を打ち出す。 6・7 執行委員会にて前日の方針を確認 6・11 学館完成。夜から泊まり込み闘争。全学総決起集会に参加。 6・19 全都からかき集められた日共=民青同盟員の本校武装襲撃に本校に情宣に行っていた寮生が襲われ十数名の重軽傷者を出す。 6・21 対総長団交中止にあたって本校舎正門前10時に行う全学総決起集会に寮自として参加する。その日にロックアウトを粉砕し寮生1名不当逮捕される。 6・25 学内ロックアウトに対する抗議集会を本校で行う。 6・28 対学生部次長団交席上にてS次長暴言を吐く。いわく「寮がなければよかった」「寮がなければこのような問題は起こらなかったのに」自治会としてはこのような暴言を断固として批判し、S次長からの自己批判をとる。 10・28 対総長断行勝利に向けての寮総決起集会を開く。 10・29 同日3時に55年館前で一千人集会、四時半からデモ出発。 11・13 対S・S団交に寮自として出席し、引き続き14日にかけての泊まり込み闘争において寮生十数名を含む74名全員が逮捕される。その時救援活動を行なっていた寮生が国家権力=機動隊に襲われ1名の重傷者を出す。 11・15 前日の不当逮捕に対し寮闘争委員会の総力を持ってお茶の水駅頭において全学共闘会議の諸君とともにビラまきを貫徹した。
  • 1974年 6.13 寮管理運営委員会の必要性、寄付金の問題等々、学生部が寮ホールにきて寮側と会見する。 7・3 寮管理運営委員会との団交がおこなわれ入退寮権をはじめとする種々のもんだが話し合われる。 10・14 寮費未納者に対して卒業事務を行わないとの決定に対してK工学部長への糾弾闘争が行われる。 10・21 Y元経済学部超糾弾闘争行われる。 12・4 Y糾弾闘争行われる。
  • 1975年 1・29 対学生部長会見が行われる。 2~3月 寮敷地内に合宿所を建てる等の情報が非公式に入る。 3・7 入試弾劾闘争において日共=民青、国家権力一体となった挑発により、寮生4名が不当逮捕される。 4月 合宿所建設に関し学校から通告がある。それに抗し我々は敷地内の建設を増寮運動の立場から反対する事を通告する。 4~6月 Oホッケー部長、保健体育部長との話し合いを続ける。その場で寮側の主張を伝える。又体育会学生とも話し合う。 8・5 ホッケー部一方的に工事を開始するが寮生の行動により工事不可能になりしばらく中止。寮生のいない時期のため、寮自が満足に行動できない点を補うため、法政大学府中学生寮軍事委員会が発足する。 8月中旬 工事再開、寮自が中止を勧告。寮に人がいないため決定権がなく9月中旬まで待つよう交渉したが話がまとまらず、盆休み等でしばらく工事が中断する。 8月末 S学生部長代理、Oホッケー部長が工事関係者を引き連れ工事を始める。寮自側が抗議するがO部長が「お前らは関係ない」等今までの話し合いを一切無視する発言をする。 8月末~9月 その発言に対して寮軍事委員会が夜な夜な襲撃を繰り返すようになる。それ以降、日夜ガードマンが合宿所建設用地周辺に出没するようになる。軍事委の諸君はそのガードマンと投石戦を行なったようであるが、寮自としては具体的な反撃態勢を取れなかった事を自己批判的に総括しなければならない。
  • 1976年 2・6 入寮募集活動について学生部長Nと団交、口頭で回答されるも寮自側が拒否、再度文章で回答するよう要請する。又席上で寮費を払えと恫喝があった。 2・13 対学生部長団交交渉決裂。回答の内容が去年度学生部長との団交時にとった確約書を無視して書かれていたので拒否し、書記局員が回答書を「ビリっ」と破く。以降の学生部職員の寮内立ち入りを禁止するとの通告し立ち去る。又同日寮費の問題でA厚生課長と74年合祀書に関する確約書をとる。 2・21 合宿所の学生の事故を口実に制・私服警察官が20名近く寮内に侵入しようとしたので、まず持って先発隊の2名の制服を実力で追い出し、寮生約20名が応援部隊を一歩も寮内に侵入させなかった。 2・23 経営学部の発表時、当局は合格文書の中に(法政大学学生寮規則施行細則)を同封し我々との一切の交渉の可能性を破棄してきた。
  • 1981年 府中寮自主管理10周年集会を実施する。中核系は寮屋上、ノンセクトは寮敷地での実施となった。
  • 1985年 このころまで中核派系の寮生が住む(その後しばらくは府中寮は中核系の寮と誤った分析を警察白書はしていた)
  • 1989年 テント劇団「風の旅団」の合宿を受け入れ(これ以降テント劇団の受け入れを数年行う)。
  • 1991年 大雨による排水管のつまりから寮屋上に大量の水がたまる事件がある。この際、お詫びと称し学生部から一升瓶が届けられた。

        また自主管理20年集会を法政大学市ヶ谷キャンパスで実施した。

  • 1992年 大学との交渉事であった共益費協議会での一定の合意を行い、寮屋根補修の道筋ができる。学費値上げ反対の総長団交に府中寮自治会として

        参画している。この際には市ヶ谷・多摩・小金井キャンパスで統一した行動のできた唯一の学内団体である。

  • 1993年 一部で個室方式ではなく、共同部屋方式で生活する寮生活行われた(~数年間)。
  • 1997年 入寮希望者枠の制限「入寮選抜」開始。
  • 2000年 補修工事が行われ、内装・外装が改善される。
  • 2003年 途中入寮選抜・在寮延長希望者選抜が開始される。
  • 2004年 部局再編などの規約改正が行われる。
  • 2006年 法政大学より、現在の寮生の卒寮をもって廃寮とする旨を伝えられる。
  • 2010年 3月末にて廃寮。

法政大学府中寮の性格[編集]

  • 自治寮ではあるが他大学の自治寮などとの定期的な交流は特にもちあわせていない。また、他の自治寮が採用する外泊者についても府中寮では採用していない。
  • 1984年の法政大学多摩校舎開校以降、地理的な近さもあり、多摩地区の学生の入居もあり、法政祭では法政大学多摩祭に出店していたほか、合宿場所としての提供をおこなったこともある。
  • 寮敷地にテント劇団などの合宿の受け入れをおこなったこともあり、劇団員との交流もあった。
  • いごこちがよくなったり、寮費の安さ、大学までの距離などから留級や中退者もそれなりに出た。
  • 学生による自治寮のため、寮運営に関することは学生たちが自ら実施している。
  • かつては大学当局と対立するような関係にあり、団交によって要求を行ってきた。当時は、法政大学の入学パンフレットに府中寮が掲載されておらず、寮生が入試の際に寮生募集のチラシを配布していた。近年では意見交換会などの形で定期的な意見交換を交わしている。
  • 自主管理・自主運営の一環として、新入寮生の選抜・選考も学生が行っている。一方で、寮生として相応しくない者がいた場合は退寮させることが出来る(寮生大会で出席者の3分の2以上の賛成が必要)。
  • かつては学卒後の無学籍者も在寮しており、41歳まで住んでいた寮生もいたほか、東京経済大学生など他大学の学生も住んでいた。現在では法政大学の学生のみが入寮できる(Ⅰ部・Ⅱ部・通信教育・大学院を問わず)。
  • 個人部屋は、原則として1年目は2人部屋だが、2年目以降は1人部屋になる。
  • 建設から40年以上が経過しており、建物自体はかなり古いが、2000年には補修工事が行われている。
  • 共益費協議会がまとまるまでは、府中寮生は大学に「寮費」の納入を保留していた。その為、1年間の費用は自治会費の年24000円だけで住むことができた時代があった。

  ただし朝・夕の寮食は実費。

  • 在寮するための年間経費は、数万円から10万円程度である。
  • 1フロア16室×4階の計64室あり、60~70人が住んでいる。
  • 経済的に恵まれない学生に学業を継続する機会と個々の望む生活を実現する場を保証するために、男女の制限は無い。

寮内・寮生の雰囲気[編集]

  • 寮生しか理解できない文字として、「うかんむり」に「R」と書いて「寮」というものがある。
  • 大学の性格や規模から全国から寮生があつまり、春の歓迎会では大いに盛り上がる。また、方言が飛び交っているのも特徴である。
  • 4年生や在寮5年目以上(進学・留年等)の寮生、あるいは大学院から入寮した寮生のうち、寮自治会活動に特に熱心な寮生は「元老院」と呼ばれていた。しかし、寮閉鎖間際の数年は「ピラニア軍団」という呼称に変化した。
  • 寮生同士で付き合い卒業後に結婚という寮生も数組存在する。
  • その時々により、サッカー、ラーメン、バイク(車含む)などの寮内サークル的なものが存在した。また一時期は、グループ・派閥的なもの(~軍団・~党・~企画等)を組織することが流行したが、一部を除いて、それら団体の明確な活動目標は定かではない。
  • 全寮生が行う日常的な業務の一つとして、来客対応・荷物対応などを行う受付業務があるが、夏・冬の長期休暇中は特別編成となり、数人のグループが1週間前後程度を集中して担当する。なお、冬期休暇中の12月31日から1月1日の2日間を担当期間に含むグループは「越冬隊」と呼ばれ、年末年始の食事等への配慮として、特別に寮自治会より「越冬資金」という名の予算が割り当てられていた。
  • 個室での居住ではなく、4名で4部屋合同で実施する生活スタイルを採用する寮生もいた。食事当番を輪番制にするなど共同生活を発展させた形を採用した時代もあった。

寮自治会[編集]

  • 寮生大会
    寮自治会における最高決議機関で、全寮生によって構成される。寮運営に関わる事柄は全て寮生大会で承認されなくてはならない。そのため、原則として欠席は認められない。国会での本会議に相当。
  • 議長団
    寮生大会の円滑な進行が職務。選挙により選ばれる2名で構成されるが、正副議長の明確な区分けはない。国会での衆参議長に相当。
  • 執行委員会
    寮自治会唯一の執行機関。選挙により選ばれる正副委員長、各局正副局長・各フロア代表によって構成される。国会での内閣に相当し、各部局は霞ヶ関の各省庁に相当。
  • 事務局
    主に各種議事録の作成や年間活動記録の作成を行う。
  • 経理局
    主に予算・決算原案作成、各種集金などを行う。
  • 総務局
    受付室管理、受付担当編成、防災訓練、各所鍵管理、打ち上げ実施など、担当業務は幅広い。
  • 広報局
    主に寮自通信の発行、通常時の入寮問い合わせ対応、卒寮生名簿管理などを行う。
  • フロア会議
    1階~4階までの各階に設置され、その階に住む寮生によって構成される。トイレ・流し場の使用について、騒音問題など、階毎の問題を必要に応じて協議する。執行委員会を内閣、委員長を総理大臣とすると、フロア会議は各自治体、フロア代表は首長に相当する。但し、フロア会議代表に首長ほどの権限はない。
  • その他
    選挙管理委員会、入寮選抜委員会、寮祭実行委員会、各学年会議、寮制度審議委員会などがある。

かつての寮自治会組織[編集]

2004年に部局再編等が行われるまでは、組織局、情宣・救対局、書記局、会計局の4局と、各フロア会議、各学年会議、各キャンパス(富士見Ⅰ部・富士見Ⅱ部・多摩・小金井・通教)会議、女性会議となっていた。 1992年の授業料値上げの際には、寮生有志による「府中寮学費値上げ阻止実行委員会」が結成されるなど、法政大学の学生団体の動向に連携した有志組織をつくっていた。 市ヶ谷や多摩キャンパスでは立て看板を複数所有しており、寮生の募集や、寮祭の告知などを立て看板をつかって宣伝していた。

寮内施設[編集]

  • 受付室
    寮の玄関脇にある受付室。週に1時間強程度の受付業務を寮生が分担して行う。
  • 2階ホール
    寮自治会の最高決議機関である寮生大会はここで行われる。2階ホールには自動販売機も設置してあり、寮生の交流の場にもなっている。
  • 食堂
    食堂では寮食を食べることができる。寮食は大学より業務委託された業者の管理人が作ってくれる。
  • 自治会室
    執行委員会を始め、各部局会議などが行われる。原則、部外者(寮生以外)立ち入り禁止となっている。汚さから「リンチ室」と揶揄されていた。
  • 自習室
    勉強スペースが設けてあり、試験前などは夜遅くまで勉強する寮生も。但し、私物を置いての占有、いわゆる「場所取り」は禁止されている。
  • 多目的室(A、B)
    麻雀の雀卓があったり、ソファーがあったりと、寮生同士の憩いの場であると共に、会議室などにも利用される。応接室としても利用されており、外部からの来客があった場合なども使用することがある。
  • 浴室
    1ヶ所しかないため、男女の区切りは時間帯によって決まっている。曜日を勘違いして入浴していると大変なことになる。深夜の時間帯は自由時間・早い者勝ちとなっているが、ボイラーが停止しているために、ボイラー内の残り湯が無くなればお湯は出ない。
  • シャワー室
    2000年の大改装により新たに設置された。1ヶ所・1セットのみのため、浴室の使用割当時間に応じ、それとは逆の性別が使用できる(男性が浴室使用時は女性が使用可の形)。こちらは浴室とは異なり、24時間使用可能である。朝の時間帯は競争が激しい。

行事[編集]

円滑な寮運営、寮生間の交流、地域住民との交流のために、府中寮では様々な行事が行われている。

  • 春:新入寮生歓迎会、新入寮生学習会・オリエンテーション、大学通りでのお花見(有志による非公式行事)
  • 夏:文化センター祭、前期打ち上げ、夏季学習会
  • 秋:防災訓練
  • 冬:寮祭、後期打ち上げ、新入寮生選抜、大掃除、三役改選選挙

かつては花火大会と称し、ロケット花火での撃ち合いを寮敷地内で行っていた。 都営住宅の建設で住民の苦情が出たことから取りやめとなった。

寮生OB,OG[編集]

  • 鈴木一夫(すずき かずお) :(文学部)盛岡市議会議員、法政大学野宿同好会創設者
  • 田島央一(たじま よういち):(経済学部)前北海道議会議員
  • 浜崎正樹(はまさき まさき):(社会学部)FBS福岡放送の男性アナウンサー

関連項目[編集]

外部リンク[編集]