河合奈保子

河合 奈保子
出生名 河合 奈保子
かわい なほこ
別名 金原 奈保子
かねはら なほこ
(結婚後の本名)
生誕 (1963-07-24) 1963年7月24日(60歳)
日本の旗 日本大阪府大阪市浪速区日本橋
出身地 日本の旗 日本・大阪府大阪市住之江区
学歴 明治大学付属中野高校定時制 卒業
ジャンル 歌謡曲
ポップス
J-POP
職業歌手
シンガーソングライター
アーティスト
作曲家
女優
活動期間 1980年 - 1996年
レーベル 日本コロムビア
roots maker records

河合 奈保子(かわい なおこ、1963年昭和38年〉7月24日[1] - )は、日本の女性・元アイドル歌手シンガーソングライターアーティスト作曲家女優。娘は元歌手のkaho。身長160センチメートル。血液型O型

人物[編集]

所属事務所は芸映プロダクション、レコード会社は日本コロムビアに所属していた[注釈 1]1980年代の歌手・アイドルの一人である。本名は「かわい なほこ」だが、芸名では「かわい なおこ」と読ませている。

シングル売上記録は『エスカレーション』『スマイル・フォー・ミー』『夏のヒロイン』『けんかをやめて』(オリコンチャート)の順。

歌以外にもピアノギターマンドリンシンセサイザーを演奏し、自作曲(作詞作曲)も発表した。雑誌グラビアアイドル水泳大会に登場していた。

1996年2月1日、記者会見にてヘアメイクアップアーティスト金原宜保との婚約を発表し同年2月6日に婚姻届を提出。その約半年後に産休と翌1997年の第一子出産を契機に、芸能活動を完全停止。夫との間に2児あり。このうち第二子のkahoは、2013年11月27日にソニー・ミュージックから『Every Hero/Strong Alone』でデビューし、音楽活動をしていた時期があった[2][注釈 2][3]

現在はオーストラリア在住。

略歴[編集]

デビューまで[編集]

大阪市住吉区(現・住之江区)出身。1963年7月24日、浪速区日本橋愛染橋病院において会社員の父親の長女として誕生(2400グラムの未熟児)。誕生時、両親は大阪府枚岡市(現:東大阪市)に居住していた。1歳時の8月に大阪府八尾市に引っ越し、2歳時の10月には東京都世田谷区に籍を移した[4]。3歳年下の妹がいる。

幼児のころ父親の職業に転勤が多く、幼稚園は東京都調布市の染地幼稚園、大阪府箕面市の箕面自由学園幼稚園、大阪府東大阪市の若宮保育園の3施設に通った[4]

大阪市立粉浜小学校入学と同時にピアノを習い始めた。大阪市立住吉第一中学校時代はフォークソングクラブに所属、中学2年の秋に日本テレビ系列『スター誕生!』に応募するが、この時は書類選考の段階で選外となる[4]1979年に私立大阪女子学園高等学校(現:大阪夕陽丘学園高等学校)に進学する。

アイドル歌手時代[編集]

1979年12月、芸映プロが自社の看板スターである西城秀樹の名を冠して主催した新人発掘コンテスト「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に応募。河合がオーディションを知ったのは締切の直前で、応募書類とデモテープを作成して送ったのは締切前日だった[4]。オーディションの選考過程も紙一重で、大本恭敬の「理想の声に近づく本」によれば、大阪の地区予選も一旦は最終審査に残らず、当初の定数1名に対して特別に2人目の代表として選出された(最初に選考され、河合と共に決勝大会に進んだもう一人の大阪代表は後の小林千絵)。翌1980年3月16日中野サンプラザで開催された決勝大会で優勝する。オーディション応募テープでは杏里の『オリビアを聴きながら』を、決勝大会では石野真子の『春ラ!ラ!ラ!』を歌った[4]

同月末に上京して歌レッスンを受けた後、1980年6月1日に『大きな森の小さなお家』で「西城秀樹の妹」という触れ込みとともに、アイドル歌手としてデビュー。この過程で明治大学付属中野高校定時制に編入し、後に卒業した。

なお、歌手デビュー当時のキャッチフレーズは「ほほえみさわやか カナリー・ガール」であった。2枚目のシングル『ヤング・ボーイ」がヒットとなり複数の音楽祭で新人賞を受賞する。

デビュー2年目の1981年10月5日16時頃、NHKホールでの『レッツゴーヤング』(NHK総合)のリハーサル中、誤って4m下の迫りに転落し第一腰椎圧迫骨折の重傷を負う。約2ヶ月間の療養の後、同年11月30日放送の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)より復帰を果たす。同年12月31日第32回NHK紅白歌合戦に『スマイル・フォー・ミー』で初出場しトップバッターを務めた。翌年4月頃まで療養のためにコルセットを腰に装着して芸能活動を行う[5]。NHK紅白歌合戦に初出場した際は、転落事故からの復帰直後で、かつ事故現場のNHKホールだったが、本人によればリハーサルは恐怖感が先に立ったものの、本番の出番寸前に不安や緊張が全て消えたという[6]

1983年12月6日より盲腸の摘出手術で東京・渋谷病院に入院し、同年12月14日に退院した。12月18日まで休養し、翌12月19日の『夜のヒットスタジオ』で復帰を果たした。

歌唱中、マイクロフォンは左手で持つことが多かった[7]

ライブコンサートは1980年代の後半まで行われた[8]1983年から1988年まで7月24日の誕生日に東京よみうりランドのEAST野外ステージで行われたバースデイライブなどが行われ、EASTライブは6回全てが映像ソフト化されている。

父親は大の阪神タイガースファンであったが、1985年3月25日に神奈川県立県民ホールで行われた横浜大洋ホエールズのファン感謝デーにゲストとして出演した。イベントでは自身の持ち歌2曲と、選手とのデュエットコーナーで『もしかしてPART2』を関根浩史と共に披露した。

この時期のチーフプロデューサーは芸映の香川洋三郎[9]

アイドル以外の仕事へ[編集]

1984年発表のアルバム『DAYDREAM COAST 』では録音から制作に参加、それを契機に音楽の制作面にも関与する。1985年、ベストアルバム『NAOKO 22』のボーナストラックという形で自作曲を発表、コンサートでも次第に自作曲の割合が増え、1986年には初の全作曲オリジナルアルバム『スカーレット』を発表。

1984年7月からMBSラジオMBSヤングタウン』(ヤンタン)火曜日のメインパーソナリティ。嘉門達夫らとの共演で、1989年2月まで約4年7か月にわたり出演した。当時既にスターの仲間入りをしていた河合とどう接したらいいか、嘉門ら共演者も最初は困惑気味だったという[1]。いつまでもちやほやしてても仕方ないということで、嘉門が一つギャグを振ったらアイドルスターらしからぬリアクションをしてきたということで、ヤンタンのノリにすぐに溶け込み、嘉門のツッコミにボケ的なリアクションで返すといったコンビネーションが出来上がった[1]。このようなことから「アイドル芸人」とも言われたこともあり[1]、本人も「決まり事以外のことが話せるようになった」と話している[10]

1987年4月のKBS京都の交通安全キャンペーン「かたつむり大作戦」のキャンペーンソングの歌詞募集の選考し、その詩に自ら作曲した『やさしさの贈り物[注釈 3]』を「かたつむり大作戦」の会場KBSホールから歌唱した。またこの時期はテレビドラマミュージカルにも積極的に出演した。1985年のアニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』では主題歌と共に声優として出演。1989年には、ミュージカル『THE LOVER in ME 〜恋人が幽霊』に出演し、同作品では作曲も担当した。テレビドラマでは、『さすらい刑事旅情編』(テレビ朝日)、『ママじゃないってば!』(TBSテレビ)に出演。1988年岐阜市で行われた「ぎふ中部未来博」で、メインパビリオンであるスカイマックス未来館の館内環境音楽を担当した。

1989年から1990年には、ザ・ジェントル・ウインド名義のセッションアルバム『Tears of Nature』、『Gentle Voice』で全作曲を担当すると共に、キーボード奏者兼バックグランドボーカルとして参加し、ミッキー吉野らと共演したこともあった。

1995年には、1988年以来7年振りに全国ツアーコンサートを開催したが、現時点でこれが最後のライブツアーとなっている。

日本作曲家協会に所属していた。

結婚・芸能活動完全停止[編集]

1996年2月1日記者会見にてヘアメイクアーティスト金原宜保との婚約を発表。同年2月6日に結婚する。その後も約半年間はテレビ出演などの活動を続けていたが、同年夏頃に妊娠で休止へ入り、翌1997年の第一子出産を契機に芸能活動が完全停止となった。

2005年6月、芸映プロ公式ウェブサイトの所属タレント一覧から項目が削除されたが、このとき芸能事務所から所属に関する発表はされなかった。

2006年4月26日、iTunes Music Store限定で自作ピアノ作品集『nahoko 音[注釈 4]』を発表した。同年11月28日にはCD化もなされ、同時に公式ウェブサイトが開設された。

2008年12月21日付の竹内まりやのブログ「Pholog」に6年ぶりに再会した記事が写真付きで掲載された。

2009年10月19日放送のSUPER SURPRISEにおいて既に芸映に所属していない事が報じられた[注釈 5](引退状態)。

2010年4月、楽曲提供した池田泉州銀行のCMが関西地区で放映された。

2010年10月26日発売の光文社発行の雑誌「FLASH」2010年11月9・16日号で「独占取材」という形で、オーストラリアでの近況についての記事が掲載された。この中で自身の現在のことと将来のことに関して「今は専業主婦がメインだが、音楽活動が出来ることになれば皆さんの前できちんとご挨拶できたら良いです」という旨のコメントを寄せている。

2018年5月16日、かつての所属事務所・芸映の先輩歌手で、自身が芸能界デビューのきっかけともなった西城秀樹が63歳で逝去したのを受け、海外から「余りにもショック過ぎて、言葉が出ません。秀樹さんにただただ、多くの感謝の気持ちをお伝えしたい想いで一杯です。」と、久々に公の場で追悼のコメントを発表した[11]

2018年11月25日、NHK-FM『今日は一日“竹内まりや”三昧』にて、竹内まりやへの40周年お祝いメッセージが、21年ぶりに本人の肉声で放送された。

エピソード[編集]

特徴[編集]

  • デビューの年の秋に開かれたファーストコンサートでは、直前まで不安定さが懸念されたものの、本番では歌踊り共に無難にこなした[12]
  • デビュー当初からライブや歌番組、特に賞番組に於いて感情を表に出して歌えなくなることはほとんどなかった。この点に関して本人は「泣くと歌が歌えなくなるから」と答えている[4]
  • デビュー後しばらくの間、仕事以外では全く化粧をしなかった[4]
  • アイドル時代、少なくとも首都圏での仕事や全国向けテレビ・ラジオ放送においては、関西弁を使わなかった。ただし、関西の生活文化の話題は普通にしており、1980年当時、「月刊明星」(集英社)において「大阪の実家では節分にはその年の方角(吉方位)を向いて巻き寿司を食べる習慣がある(恵方巻)」と発言している。
  • 近視で芸能活動以外はほぼ眼鏡をかけていた。
  • 豊満なスタイルを持っておりグラビアアイドルとしても評価があった[13]

その他[編集]

  • デビュー間もないころの『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)1980年4月号p.315のインタビューで「太ってるから水着は本当に恥ずかしい」と話しているが、デビュー当時から河合を撮り続けた写真家の黒坂了司によれば、「水着撮影を嫌がったり、胸を気にすることはなかった」とのこと[14]
  • 巨人投手斎藤雅樹が、高校時代から河合の強烈なファンであった。しかし斎藤はなかなかサインを手に入れることができず、三越日本橋本店のサイン会でようやく入手したという[15]
  • テレビや雑誌等で好きな食べ物を聞かれると「お好み焼きたこ焼き」と答えていた[16]
  • 小学生の頃の夢は保母さんになる事だった。タイムカプセル用にテープへの録音も行われ「近所の小さい子がお姉ちゃんと慕ってくれるのが嬉しい。だから保母さんになりたい。」と将来の夢を語っていた[17]
  • サンミュージック所属(当時)の岡田有希子は彼女のファンで、河合奈保子の肖像画(油絵)を中学一年の時に描いて学校で金賞を獲った[18]
  • 芸映友の会ファンクラブ発表のテレフォンガイドでは1982年夏のツアースケジュールなど、本人がアナウンスした回があった。
  • 2016年9月17日に行われたトリビュートイベント「〜再会の夏〜 奈保子ファンミーティング in SARAVAH東京」ではバックコーラスを務めたMILKの元メンバーも参加していた。
  • 写真集『Scarlet』には彼女自身が撮影した写真を何枚か採用している。
  • デビュー前は左右の八重歯があったが、デビューに際して左は抜歯し、右だけを残した[19]
  • 同じ1980年度の女性アイドル歌手デビューでは、岩崎良美三原順子松田聖子柏原芳恵らが居る。特に同じ大阪市出身で同日デビューの柏原[20]とは親友で、お互いの事を「ヨシヨシ」「ナオナオ」と呼び合っていた[4][21]

音楽[編集]

概要[編集]

河合の音楽面でのトータルプロデュースは1986年〜1988年までは売野雅勇が、1989年〜1992年迄はミッキー吉野がそれぞれ務めた。1993年発表のアルバム『engagement』では吉元由美と河合奈保子の共同プロデュースとなっている。また、1985年から1988年まで宮島律子とM Rie(宮島理絵)のユニットMILKがバックコーラスを務めたことがあった。

シングルは1980年から1994年までの間に36枚が発売された。非売品ではあるが1986年3月に「《農協共済の歌》しあわせの輪をひろげよう」というシングルもリリースしている。アルバムは1980年から1993年までに、オリジナル盤はミニアルバム1枚を含む計19作品、ライブ盤は4作品発売された。またベスト盤は2007年までに16作品とCD-BOX3作品がそれぞれ発売された。この他に高橋伸明とのデュエット盤が1作品発売されている。

NHK紅白歌合戦』には1981年から1986年まで、6回連続で出場していた。

シングル[編集]

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 オリコン
最高位
規格品番
日本コロムビア
1 1980年
6月1日
A面 大きな森の小さなお家 三浦徳子 馬飼野康二 36位 AK-659
B面 ハリケーン・キッド
2 1980年
8月25日
A面 ヤング・ボーイ 竜真知子 水谷公生 船山基紀 13位 AK-707
B面 青い視線 伊藤アキラ 川口真
3 1980年
12月10日
A面 愛してます 川口真 船山基紀 14位 AH-1
B面 そしてシークレット
4 1981年
3月10日
A面 17才 竜真知子 水谷公生 11位 AH-39
B面 キャンディ・ラブ
5 1981年
6月1日
A面 スマイル・フォー・ミー 馬飼野康二 大村雅朗 4位 AH-71
B面 セレネッラ 櫛田露孤
伊藤アキラ
川口真 船山基紀
6 1981年
9月1日
A面 ムーンライト・キッス 松本礼児 馬飼野康二 竜崎孝路 11位 AH-113
B面 あなたはロミオ 江戸光一
松本礼児
7 1981年
12月5日
A面 ラブレター 竜真知子 馬飼野康二 若草恵 AH-150
B面 No No Boy
8 1982年
3月10日
A面 愛をください 松宮恭子
伊藤アキラ
松宮恭子 7位 AH-181
B面 春よ恋 伊藤アキラ 馬飼野康二 船山基紀
9 1982年
6月10日
A面 夏のヒロイン 竜真知子 若草恵 AH-230
B面 ゆれて-あなただけ
10 1982年
9月1日
A面 けんかをやめて 竹内まりや 清水信之 5位 AH-255
B面 黄昏ブルー 竜真知子 馬飼野康二 若草恵
11 1982年
12月1日
A面 Invitation 竹内まりや 大村雅朗 8位 AH-280
B面 木枯らしの乙女たち 尾関昌也 尾関裕司 若草恵
12 1983年
3月1日
A面 ストロー・タッチの恋 来生えつこ 来生たかお 9位 AH-320
B面 若草色のこころで
13 1983年
6月1日
A面 エスカレーション 売野雅勇 筒美京平 大村雅朗 3位 AH-333
B面 恋のハレーション 秋元康
14 1983年
9月14日
A面 UNバランス 売野雅勇 4位 AH-370
B面 リメンバー
15 1983年
12月1日
A面 疑問符 来生えつこ 来生たかお AH-394
B面 冷たいからヒーロー
16 1984年
3月1日
A面 微風のメロディー 尾崎亜美 7位 AH-425
B面 プリズム・ムーン
17 1984年
6月1日
A面 コントロール 売野雅勇 八神純子 鷺巣詩郎 AH-460
B面 夏の日の恋 三浦徳子 大村雅朗
18 1984年
8月28日
A面 唇のプライバシー 売野雅勇 筒美京平 鷺巣詩郎 4位 AH-495
B面 メビウスの鏡
19 1984年
12月5日
A面 北駅のソリチュード 萩田光雄 6位 AH-525
B面 バラードを止めて 矢島賢
矢島マキ
20 1985年
3月5日
A面 ジェラス・トレイン 萩田光雄 AH-559
B面 ファーストネームでもう一度
21 1985年
6月12日
A面 デビュー〜Fly Me To Love 林哲司 鷺巣詩郎 1位 AH-601
B面 MANHATTAN JOKE 秋元康 大野雄二
22 1985年
10月3日
A面 ラヴェンダー・リップス 売野雅勇 林哲司 萩田光雄 5位 AH-657
B面 I'm in Love 鷺巣詩郎
23 1985年
12月12日
A面 THROUGH THE WINDOW
〜月に降る雪〜
P.Beckett T.Keane
H.Gatica
7位 AH-682
B面 白い影
〜ONLY IN MY DREAMS〜
E.McClure
M.Stewart
24 1986年
4月1日
A面 涙のハリウッド 林哲司 萩田光雄 AH-725
B面 ジャスミンの夢飾り
25 1986年
7月24日
A面 刹那の夏 筒美京平 船山基紀 10位 AH-754
B面 プールサイドが切れるまで
26 1986年
11月26日
A面 ハーフムーン・セレナーデ 吉元由美 河合奈保子 瀬尾一三 6位 AH-785
B面 SENTIMENTAL SUGAR RAIN
27 1987年
3月1日
A面 想い出のコニーズ・アイランド - CMY-1104
B面 緋の少女
28 1987年
7月24日
A面 十六夜物語 10位 AH-855
B面 (ピアノ・トランスクリプション) -
29 1988年
3月1日
A面 悲しい人 吉元由美 河合奈保子 高橋千治
NATURAL
21位 AH-910
B面 やさしさの贈りもの 瀬尾一三
30 1988年
7月21日
A面 Harbour Light Memories 公文健 小林信吾 18位 AH-963
B面 GT天国 吉元由美 高橋千治
NATURAL
31 1989年
11月10日
01 悲しみのアニバァサリー さがらよしあき 横倉裕 74位 CA-8277
02 あなたへ急ぐ
32 1990年
4月10日
01 美・来 ミッキー吉野 CODA-8501
02 Searchin' for tomorrow
33 1990年
9月1日
01 眠る、眠る、眠る 麻生圭子 都志見隆 97位 CODA-8577
02 霧情 相良好章 河合奈保子
34 1992年
6月21日
01 Golden sunshine day ミッキー吉野 - CODA-32
02 Alone again 吉元由美
35 1993年
10月21日
01 エンゲージ 岸正之 清水信之 CODA-264
02 言葉はいらない 河合奈保子
36 1994年
3月21日
01 夢の跡から 八島義郎 河合奈保子 若草恵 60位 CODA-387
02 心の風景

デュエットシングル[編集]

名義 発売日 タイトル A面 B面 発売元 オリコン
最高位
NAO&NOBU 1985年8月7日 君は綺麗なままで 君は綺麗なままで
作詞:荒木とよひさ
作曲:チト河内
編曲:チト河内
星屑シネマ
作詞:荒木とよひさ
作曲:チト河内
編曲:チト河内
日本コロムビア 24位
河合奈保子&ジャッキー・チェン 1988年8月25日 愛のセレナーデ 愛のセレナーデ
作詞:潘偉源
日本語詞:吉元由美
作曲:河合奈保子
編曲:矢野立美
Southern Cruise
作詞:潘偉源
日本語詞:吉元由美
作曲:河合奈保子
編曲:矢野立美
奈保子&小金沢くん 1992年12月12日 ちょっとだけ秘密 ちょっとだけ秘密
作詞:東京バナナボーイズ
作曲:東京バナナボーイズ
編曲:東京バナナボーイズ
ちょっとだけ秘密 男性用カラオケ 〜奈保子と歌おうバージョン〜
作詞:東京バナナボーイズ
作曲:東京バナナボーイズ
編曲:東京バナナボーイズ
97位
ちょっとだけ秘密 女性用カラオケ 〜小金沢くんと歌おうバージョン〜
作詞:東京バナナボーイズ
作曲:東京バナナボーイズ
編曲:東京バナナボーイズ
ビクター音楽産業

アルバム[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

# 発売日 タイトル 備考 オリコン
最高位
日本コロムビア
1st 1980年10月10日 LOVE 7位
2nd 1981年5月10日 TWILIGHT DREAM 2位
3rd 1981年8月10日 DIARY 3位
4th 1982年7月21日 SUMMER HEROINE 6位
5th 1983年1月21日 あるばむ 竹内まりや来生えつこ&来生たかお姉弟参加 1位
6th 1983年6月1日 SKY PARK 筒美京平石川優子参加 2位
7th 1983年10月21日 HALF SHADOW 売野雅勇谷山浩子参加
8th 1984年6月1日 Summer Delicacy 八神純子、来生えつこ&来生たかお姉弟参加 6位
9th 1984年8月28日 DAYDREAM COAST 海外録音第1弾 3位
10th 1984年12月5日 さよなら物語-THE LAST SCENE and AFTER 全作詞:売野雅勇、全作曲:筒美京平 11位
11th 1985年3月5日 STARDUST GARDEN -千・年・庭・園- 4位
12th 1985年12月12日 9 1/2 NINE HALF 海外録音第2弾
同名映像ソフトとは構成が異なる。
10位
13th 1986年10月21日 Scarlet 全作曲:河合奈保子 4位
14th 1987年6月24日 JAPAN as waterscapes 7位
15th 1988年4月1日 Members Only 15位
16th 1989年11月21日 Calling you …呼びよせられて… 53位
17th 1990年6月1日 ブックエンド 69位
18th 1993年11月21日 engagement 10曲中5曲の作詞作曲:河合奈保子、プロデュースも河合本人。 -
roots maker records
19th 2006年4月26日 nahoko 音 / blue 全作曲 ピアノ作品集
音楽配信限定。
-
20th nahoko 音 / orange -
- 2006年11月28日 nahoko 音 全作曲 ピアノ作品集
『nahoko 音 / blue』と『nahoko 音 /orange』のCD盤
-

ミニ・アルバム[編集]

# 発売日 タイトル 備考 オリコン
最高位
日本コロムビア
1st 1983年7月21日 ビューティフル・デイ 7位

リミックス・アルバム[編集]

# 発売日 タイトル 備考 オリコン
最高位
日本コロムビア
1st 1987年12月10日 Timeless〜Naoko special mix〜 リミックス4曲+ピアノVer.+オリジナル各1曲 39位

ライブ・アルバム[編集]

# 発売日 タイトル 備考 オリコン
最高位
日本コロムビア
1st 1980年12月10日 LIVE 10位
2nd 1982年2月25日 NAOKO IN CONCERT 9位
3rd 1982年11月21日 ブリリアント 12位
4th 1988年10月21日 NAOKO THANKSGIVING PARTY 47位

ベスト・アルバム[編集]

# 発売日 タイトル 備考 オリコン
最高位
日本コロムビア
1st 1981年11月25日 Angel 5位
2nd 1982年9月21日 河合奈保子全曲集 メタル(Type IV)カセットテープのみのリリース。
大きな森の小さなお家」から「夏のヒロイン」までの全シングルA面曲と、アルバムから3曲(ハリケーン・キッド、LOVE、別世界)の全12曲を収録。
スマイル・フォー・ミー」、「大きな森の小さなお家」、「ハリケーン・キッド」はAlbum Version、「ラブレター」はSingle Versionで収録。
25位
3rd 1983年12月21日 プリズム (AngelII) ベスト+オリジナル3曲
「ラブレター」はAlbum Versionで収録。
7位
4th コレクション CDのみのリリース。DENONレーベルで発売。
『プリズム』とは構成が異なる。
-
5th 1984年3月21日 愛・奈保子の若草色の旅 カセットテープのみのリリース。
企画・構成:来生えつこによる春の旅のイメージを奈保子の歌とナレーションで綴ったもので、来生たかお・えつこ兄妹による新録2曲が収録されている。
新録2曲のほか、発表済みのシングル曲とアルバム収録曲を合わせ9曲で構成されている。
カセット本体は通常のカセットケースの2倍サイズの化粧箱に収められ、16ページの写真集も付属した。なお、化粧箱内のカセット位置決め用スポンジは30年以上を経た現在では劣化が進み、粉状に崩れてしまうので開封時は注意が必要である。
7位
6th 1985年7月24日 NAOKO22 2枚組ベスト。
初のオリジナル自作曲「夢かさねて」収録。
7th コレクションII CDのみのリリース。
『NAOKO22』とは構成が異なる
-
8th 1986年5月21日 河合奈保子全曲集 涙のハリウッド CDのみのリリース 37位
9th 1987年9月21日 ばらあど バラードコレクション 42位
10th 1988年9月21日 Fabric Voices デュエットコレクション 56位
11th 1989年3月21日 Pure Gold 2枚組ベストアルバム 99位
12th 1989年5月1日 河合奈保子作品集 Masterpieces 自作曲ベストアルバム 88位
13th 1990年12月1日 NAOKO KAWAI スーパー・ツインDX 2枚組ベストアルバム -
14th 1993年9月21日 河合奈保子 ベスト・セレクションI 1980〜83年迄のA面曲を収録したベストアルバム -
15th 河合奈保子 ベスト・セレクションII 1983〜89年迄のA面曲からセレクトしたベストアルバム -
コロムビアミュージックエンタテインメント
16th 2006年12月6日 河合奈保子・しんぐるこれくしょん 2枚組ベストアルバム
河合奈保子単独名義の全シングルA面曲+エトワール幼稚園園歌収録。
-
17th 2010年3月3日 河合奈保子 ゴールデン☆ベスト 1980〜86年迄のA面曲からセレクトしたベストアルバム -
2017年8月30日 209位
日本コロムビア
18th 2013年1月23日 河合奈保子 ゴールデン☆ベスト 〜A面コレクション〜 2枚組ベストアルバム
河合奈保子単独名義の全シングルA面曲と、デュエットで発売したシングルA面曲も収録。
238位
19th 2013年1月23日 河合奈保子 ゴールデン☆ベスト 〜B面コレクション〜 2枚組ベストアルバム
河合奈保子単独名義の全シングルB面曲+町田学園女子高等学校校歌、デュエットで発売したシングルもB面曲も収録。
244位
20th 2014年7月30日 ゴールデン☆アイドル 河合奈保子 3枚組ベストアルバム
EPレコードで発売されたシングルA/B面曲収録。
レコードジャケットのレプリカ付属している。
141位
21st 2015年8月26日 私が好きな河合奈保子 2枚組ベストアルバム
ファン投票による選曲のベストアルバムで、Disc 1はシングルA面の上位曲、Disc 2はB面およびアルバムからの上位曲を収録。
103位
22nd 2023年7月12日 MASAO URINO WORKS ~売野雅勇作品集~ 河合奈保子に提供した多くの作品の中から売野雅勇本人がセレクトした自選作品集

BOX[編集]

# 発売日 タイトル 備考 オリコン
最高位
日本コロムビア
1st 2001年9月29日 JEWEL BOX NAOKO SINGLES COLLECTION 河合奈保子単独名義の全シングルAB面+特典映像DVD -
2nd 2003年2月1日 JEWEL BOX 2 NAOKO FAVORITE COLLECTION アンケート、アルバム収録曲選抜、未収録音源、ライブ音源選抜 286位
コロムビアミュージックエンタテインメント
3rd 2007年12月19日 NAOKO PREMIUM オリジナルアルバム18枚+企画作品2作、'83EAST・DVD映像、シングルA面カラオケ集 250位
4th 2009年2月18日 NAOKO LIVE PREMIUM ライブアルバム5枚+未発表音源、ミュージカルTHE LOVER in ME 〜 ALONE AGAIN映像+未ソフト化ライブ映像 189位

映像ソフト[編集]

★印は2012年11月21日にDVDで復刻発売
☆印は2014年2月19日にDVDで復刻発売(ビデオ3巻分を1枚に収録)
△印はPure Momentsにノーカット収録
  • BRILLIANT 〜Lady Naoko in Concert(1982年11月21日)★
  • Lady Naoko in Concert BEST ALBUM(1982年11月21日)- BRILLIANTの短縮廉価版
  • Beautiful Days in 合歓(1983年9月1日)- EAST'83 △
  • 河合奈保子 愛のコンサート(1983年12月1日)★
  • Daydream Coast(1984年8月28日)- イメージビデオ
  • SUMMER SPECIAL in EAST'84(1984年12月1日)★
  • STARDUST GARDEN 〜千・年・庭・園〜(1985年3月21日)- イメージビデオ
  • 感電するゾ熱い夏 NAOKO EAST'85(1985年9月21日)★
  • Fantastic Journey 91/2(1985年12月12日)- イメージビデオ
  • NAOKO '86 Stardust Paradise in EAST(1986年9月1日)★
  • Scarlet(1986年12月10日)- イメージビデオ
  • アース・アーク・芸映フェスティバル 武道館が燃えた!(1987年1月25日)- 当時の芸映プロ及び系列事務所所属タレント総出演のチャリティーイベントライブ
  • 月夜宮殿 MY SONG FOR YOU(1987年9月10日)- EAST'87 ★
  • NAOKO THANKSGIVING PARTY(1988年11月21日)- EAST'88FINAL、LDのみ
  • NAOKO THANKSGIVING PARTY Part1〜3(1988年11月21日)- テープのみ3分割発売 ☆
  • THE LOVER in ME 〜 ALONE AGAIN(1992年2月21日)- 同名ミュージカルのライブ
  • Pure Moments 〜 NAOKO KAWAI DVD COLLECTION(2002年3月30日)- 映像ソフト総集編
  • 河合奈保子プレミアムコレクション~NHK紅白歌合戦&レッツゴーヤングetc.~ (2017年8月30日) - 初のレッツゴーヤング映像化作品
  • NAOKO ETERNAL SONGS(2020年12月23日) - TBSテレビでの歌唱映像集

タイアップ曲[編集]

楽曲 タイアップ 収録作品
エスカレーション 東宝映画『居酒屋兆治』挿入歌 シングル「エスカレーション
MANHATTAN JOKE 東宝洋画系アニメーション映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』主題歌 シングル「デビュー/MANHATTAN JOKE
君は綺麗なままで ハウスとんがりコーン』CMソング シングル「君は綺麗なままで
十六夜物語 TBS系『世界・ふしぎ発見!』エンディングテーマ シングル「十六夜物語
やさしさの贈りもの KBS京都・交通安全キャンペーン『かたつむり大作戦』キャンペーンソング シングル「悲しい人
Harbour Light Memories 神戸ポートピアランド イメージソング シングル「Harbour Light Memories
テレビ朝日系『火曜スーパーワイド 西村京太郎トラベルミステリー・美人OL探偵と窓際刑事』エンディングテーマ
悲しみのアニバァサリー 〜Come again〜 ミュージカル『THE LOVER in ME 恋人が幽霊』劇中歌 シングル「悲しみのアニバァサリー
美・来 たかの友梨BEAUTY CLINIC』イメージソング シングル「美・来
眠る、眠る、眠る テレビ朝日系『トゥナイト』エンディングテーマ シングル「眠る、眠る、眠る
霧情 テレビ東京系『月曜・女のサスペンス』エンディングテーマ
Golden sunshine day 毎日放送製作・東京放送系『近藤正臣の味覚人情報』エンディングテーマ シングル「Golden sunshine day
ちょっとだけ秘密 信託銀行 TVCM テーマソング シングル「ちょっとだけ秘密
エンゲージ テレビ東京系ドラマ『夏樹静子サスペンス劇場』オープニングテーマ シングル「エンゲージ
夢の跡から シングル「夢の跡から
けんかをやめて 映画『すずめの戸締まり』挿入歌 シングル「けんかをやめて

楽曲提供[編集]

  • 中村あずさ「Motion Poet」作詞:ミッキー吉野 作曲:河合奈保子 編曲:ミッキー吉野

参加作品[編集]

  • SKY NATIVE(1986年3月21日)- NAO&NOBU名義+トランザムIIから成るアルバム
  • Tears of Nature(1989年10月1日)- the Gentle Wind名義、全作曲、Key・バックボーカル参加
  • Gentle Voice(1990年11月21日)- the Gentle Wind名義、全作曲、Key・バックボーカル参加
  • THE LOVER in ME 〜First Christmas(1990年12月8日)- 同名ミュージカル使用曲から成るアルバム
  • ちょっとだけ秘密(1992年12月12日)- 奈保子&小金沢くん名義、小金沢昇司とのデュエットシングル

その他[編集]

出演[編集]

ラジオ[編集]

番組構成上、リスナーからの投稿が重要な位置を占めており、投稿ハガキ採用者にはヤングタウングッズがプレゼントされた。
河合が隊長、吉が副隊長という位置づけであった。
  • DENONミュージック倶楽部〜奈保子の少しだけハイヒール〜(1985年10月7日 - 1988年9月26日、FM東京[1]
  • ハウスウキウキサンデー 奈保子のいい朝してますか(1986年4月13日 - 1987年4月5日、文化放送)[1]
  • 河合奈保子のスーパーギャング(1986年8月1日、TBSラジオ)
  • 三菱ドライビングポップス・奈保子のときめきトワイライト(1986年10月6日 - 1990年4月8日、TBSラジオ)[1]
平日は10分、日曜日放送分はSunday Partyと称され30分番組であった。
  • 大阪レジスタンス「公開らくごラマ」
昭和63年度日本民間放送連盟賞ラジオ娯楽部門最優秀賞受賞作品。
  • ミッド・ナイト・マガジン(1987年5月22日・7月20日 - 24日、TBSラジオ)
1987年5月18日から22日までは特大号として当時のトップアイドルたちが日替わりで出演した。

テレビ[編集]

レギュラー出演[編集]

単発・連続ドラマレギュラー[編集]

※メインタイトルが太字の作品は主演作品。

連続ドラマゲスト[編集]

  • 代表取締役刑事38話:裁きは終わりぬ」(1991年7月28日、テレビ朝日系)
  • 水戸黄門 第22部 第19話:悪が群がるカステイラ・長崎」(1993年9月20日、TBSテレビ系)- お糸 役
  • HOTEL(第3シリーズ)18話:奇妙な新婚旅行!?・19話:長崎空港の謎の女」(1994年8月11・18日、TBSテレビ系)
  • 「HOTEL(第4シリーズ)16話:謎の天才料理人!?・17話:超鉄人!料理対決」(1995年7月27日・8月3日、TBSテレビ系)

アニメ映画[編集]

ミュージカル[編集]

  • 「THE LOVER in ME 〜恋人が幽霊」(1989年10月 - 11月)
  • 「THE LOVER in ME 〜ファースト・クリスマス」(1990年12月 - 1991年1月)
  • 「THE LOVER in ME 〜 ALONE AGAIN」(1991年12月)
  • 「ヤマトタケル」(1994年・1996年、イマジンミュージカル

バラエティー番組[編集]

CM[編集]

  • ハウス食品工業
    第一回ヒデキの妹オーディションの後援企業。CM出演は同オーディションの副賞でもあった。
  • 日立製作所日立家電販売
    当時日本コロムビアの親会社であったため出演
    • 家具調こたつ
    • 電気暖房器具総合カタログ「あたたかさは、美。」カタログ’86-9版および’86-10版
    • からまん棒(洗濯機)
    • サンサン青空(衣類乾燥機)※奥様の声に応えて「糸くずポケット新採用」カタログ’83-12版
    • ゴミパック(掃除機)
    • チリコン(掃除機) ※「-家具の下にも、間にも― すんなりサイズのゴミパック。」 カタログ’84-4版および’84-9版
    • ククレット(電子レンジ)※「けんかをやめて」がCM曲として使われていた時期もあった
  • ライオン
  • 花王
    • ハミング1/3
  • 旺文社
    • 中一時代(学年別雑誌)
  • 農協の共済
    • 建更まもり5型(共済積立保険)
  • コロナ
    • コロナホームIII(24時間給湯システム)
  • 日立信販
  • 池田泉州銀行(2010年)
    インストゥルメンタル曲が使用されており、画面右下に「河合奈保子」とクレジット表記されている。本人の出演は無し。

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1981年(昭和56年)/ 第32回 スマイル・フォー・ミー 01/22 近藤真彦 紅組トップバッター
1982年(昭和57年)/ 第33回 2 夏のヒロイン 02/22 田原俊彦
1983年(昭和58年)/第34回 3 UNバランス 03/21 郷ひろみ
1984年(昭和59年)/第35回 4 唇のプライバシー 04/20 西城秀樹
1985年(昭和60年)/ 第36回 5 デビュー〜Fly Me To Love 02/20 シブがき隊
1986年(昭和61年)/ 第37回 6 ハーフムーン・セレナーデ 10/20 近藤真彦 (2) 自身の作曲した楽曲の歌唱は初。
出演順は「出演順/出場者数」で表す。

第31回(1980年)のデビュー年にも出場が噂されていたが、惜しくも出場が敗れた。

第36回(1985年)は河合奈保子の歌唱前、吉川晃司が自身の歌唱後にギターを壊すアドリブをし始め、立ち去らなかったため、最初のサビが披露できなかった事態が起こった。[22]

書籍[編集]

写真集[編集]

  • 別冊近代映画 河合奈保子特集号(1981年1月15日発行、近代映画社
  • そよ風のメッセージ(1981年6月26日発行、音楽専科社
  • KAWAI奈保子フォトメッセージ(1981年8月5日初版、近代映画社)
  • ときめきのメッセージ(1981年10月15日初版、ワニブックス
  • ほほえみステップ(1982年3月27日発行、音楽専科社)
  • 別冊近代映画 河合奈保子スペシャルPART3(1982年7月1日発行、近代映画社)
  • さまーひろいん(1982年8月1日初版、ワニブックス)
  • チェリーピンクのプチハート(1983年2月23日発行、音楽専科社)
  • NAOKO IN BANGKOK 河合奈保子写真集PART4(1983年4月5日初版、近代映画社)
  • 素敵な時間(1983年10月20日初版、ワニブックス)
  • らすと・ぷれりゅうど(1984年1月20日発行、音楽専科社)
  • NAOKO IN AUSTRALIA 河合奈保子写真集PART5(1984年4月15日初版、近代映画社)
  • NAOKO 5TH ANNIVERSARY(1984年10月25日初版、ワニブックス)
  • LOVELY SUMMER(1985年7月6日発行、音楽専科社)
  • 奈保子 河合奈保子写真集PART6(1985年7月15日初版、近代映画社)
  • NAOKO TRANS AMERICA 河合奈保子写真集PART7(1986年1月15日初版、近代映画社)
  • Sunshine Venus(1986年3月25日発行、音楽専科社)
  • 河合奈保子写真集(近映文庫、1986年6月25日初版、近代映画社)- PART6・7の再録+ロングインタビュー
  • 別冊スコラ(36)河合奈保子写真集 スカーレット(1986年12月25日初版、スコラ
  • Treffen(1987年12月25日初版、ワニブックス)
  • 月刊平凡 GOLDEN BEST!! Vol.1 河合奈保子写真集 再会の夏(2016年8月31日初版 マガジンハウス

電子書籍[編集]

  • 別冊近代映画 河合奈保子スペシャルパート3(2018年12月20日配信)
  • 別冊近代映画 河合奈保子特集号 (2019年1月4日配信)
  • 近代映画増刊 河合奈保子フォトメッセージ (2019年1月11日配信)
  • NAOKO IN BANGKOK 河合奈保子写真集パート4 (2019年1月21日配信)
  • NAOKO IN AUSTRALIA 河合奈保子写真集パート5 (2019年1月28日配信)
  • 河合奈保子 河合奈保子写真集パート6 (2019年2月4日配信)
  • NAOKO TRANS AMERICA 河合奈保子写真集パート7 (2019年2月18日配信)

エッセイ他[編集]

  • 夢・17歳・愛 心をこめて奈保子より(1981年3月1日初版、ワニブックス)
  • アイドル百科3 河合奈保子(1982年12月20日初版、勁文社
  • わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ(1983年5月20日初版、ワニブックス)- 1981年の転落事故の療養記
  • 大人の始発駅 過ぎ去る愛を言葉に(1984年6月10日初版、ワニブックス)
  • 新装版 わたぼうし翔んだ -奈保子の闘病スケッチ-(2021年8月20日、復刊ドットコム)- 1983年発行書籍の新装版

関連書籍[編集]

  • 理想の声に近づく本-大本式ヴォイス・トレーニング(大本恭敬著、1988年3月20日初版、シンコーミュージック
    実績の一例として、ボイストレーナーから見た河合奈保子の初期の軌跡に言及。オーディション選考経緯、歌手デビュー前のトレーニング、ファーストコンサート、転落事故復帰に関する所感、等々。
  • あしたのナオコちゃん(全4巻、1985 - 1987年初版、中西裕著、白泉社ジェッツコミックス)
    1980年代アイドルパロディコミック。

受賞歴[編集]

  • 1980年
    • 第7回ABC歌謡新人グランプリ 審査員奨励賞(10月2日、(放送10月10日))- ヤング・ボーイ
    • 第10回銀座音楽祭 熱演賞(10月9日)- ヤング・ボーイ
    • 第13回新宿音楽祭 銀賞(10月16日)- ヤング・ボーイ
    • 第7回横浜音楽祭 新人賞(10月22日)
    • 第6回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 優秀新人賞(11月11日)- ヤング・ボーイ
    • 第22回日本レコード大賞 新人賞(11月26日ノミネート)- ヤング・ボーイ
    • 第7回FNS歌謡祭 優秀新人賞(12月2日ノミネート)- ヤング・ボーイ
  • 1981年
  • 1982年
    • 第24回日本レコード大賞 金賞(11月24日ノミネート)- けんかをやめて
    • 第9回FNS歌謡祭 優秀歌謡音楽賞(12月7日ノミネート)- けんかをやめて
  • 1983年
    • 第2回メガロポリス歌謡祭 ポップス部門入賞(7月1日)
    • 第25回日本レコード大賞 金賞(11月23日ノミネート)- エスカレーション
    • 第10回FNS歌謡祭 優秀歌謡音楽賞(12月6日ノミネート)- UNバランス
    • 第9回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 最優秀アイドル賞(10月25日)- UNバランス
  • 1984年
    • 第10回日本テレビ音楽祭 日本テレビ特別賞(9月6日)
    • 第11回横浜音楽祭 音楽祭賞(10月17日)
    • 第15回日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞(11月20日)- 唇のプライバシー
    • 第26回日本レコード大賞 金賞 - 唇のプライバシー、優秀アルバム賞(11月28日ノミネート)デイドリーム・コースト
    • 第10回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 最優秀歌唱賞(10月30日)- 唇のプライバシー
    • 第11回FNS歌謡祭 優秀歌謡音楽賞(12月4日ノミネート)- 唇のプライバシー
  • 1985年
    • 第12回横浜音楽祭 音楽祭賞(11月8日)
    • 第11回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 審査員奨励賞(11月12日)- ラベンダーリップス
    • 第27回日本レコード大賞 金賞(11月20日ノミネート)- デビュー
  • 1986年
    • 第13回横浜音楽祭 音楽祭賞(11月7日)
  • 1987年
    • 第7回日本作曲大賞 優秀作曲者賞(10月)- 十六夜物語
    • 第9回プラハ国際音楽祭 最優秀歌唱賞・3位入賞・書記長賞(10月26日)- 十六夜物語
  • 1990年
    • 第27回ゴールデン・アロー賞 演劇新人賞・最優秀新人賞(2月26日、放送3月11日)- THE LOVER in ME 恋人が幽霊

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2002年(平成14年)10月から2010年(平成22年)9月までの社名はコロムビアミュージックエンタテインメント
  2. ^ ただし、2017年現在のkahoは「今は音楽活動よりも学業を最優先して欲しい」という実母・河合の強い希望も有り、主立った歌手活動は停止中の状況である。
  3. ^ 1988年発売の『悲しい人』のB面に収録
  4. ^ 「nahoko 音 / blue」「nahoko 音 / orange」2作品同時リリース。
  5. ^ この際にオーストラリア在住であることもテレビでは初めて報じられた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、6頁。NDLJP:12276264/4 
  2. ^ 河合奈保子の娘kaho14歳歌手デビュー - 2013年9月26日、日刊スポーツ
  3. ^ 河合奈保子 歌手デビューの長女に「音楽より学業優先」と厳命 - 2015年10月24日 livedoor NEWS
  4. ^ a b c d e f g h 『別冊近代映画 河合奈保子特集号』(近代映画社刊 1981年)
  5. ^ 療養の経緯は、自筆エッセイ「わたぼうし翔んだ ―奈保子の闘病スケッチ―」に詳しい。
  6. ^ 『わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ(ワニブックス刊 1983年)』
  7. ^ 音楽専科社「音楽専科増刊 河合奈保子 そよ風のメッセージ」p.8
  8. ^ ファンクラブ会報のスケジュール表より。
  9. ^ “アイドル”から“アーティスト”へ──類い稀な変容を遂げた河合奈保子の挑戦(前編) GQ 2018年9月10日
  10. ^ ラジオパラダイス 1987年7月号特集「面白すぎるぜ大阪ラジオ」p.40
  11. ^ 西城秀樹さんの早すぎる死に“妹”河合奈保子「ショックすぎ」 野口五郎「言葉見つからない」ZAKZAK 2018年5月19日記事
  12. ^ 『理想の声に近づく本』(大本恭敬著 シンコーミュージック刊 1988年)
  13. ^ 俺の妹36年伝説の巨乳再び!河合奈保子が写真集で復活”. 産経ニュース (2016年8月29日). 2022年8月10日閲覧。
  14. ^ 「アサヒ芸能」(徳間書店)2013年8月8日号
  15. ^ 玉木正之 (1990). プロ野球大事典. 新潮社. p. 231. ISBN 4101070121 
  16. ^ 集英社セブンティーン」1981年6月9日号p.50-53
  17. ^ 音楽専科社「音楽専科増刊 河合奈保子 そよ風のメッセージ」p.56
  18. ^ 『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』学研 1984年
  19. ^ 音楽専科社「音楽専科増刊 河合奈保子 そよ風のメッセージ」p.10
  20. ^ 河合奈保子の歌は〈あの頃〉に連れて行ってくれる。ライブ盤4作に聴く実力派アイドルの魅力と80年代黄金期”. Mikiki(タワーレコード) (2023年1月27日). 2023年2月6日閲覧。
  21. ^ 河合奈保子&柏原芳恵デビュー40周年、4つの共通点と同期・松田聖子にない「実績」週刊女性PRIME・2020年8月7日記事
  22. ^ 河合奈保子が被害! 吉川晃司の暴走?計画的犯行?それとも・・|エントピ[Entertainment Topics]”. エントピ[Entertainment Topics]. 2021年1月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]