沢田幸二

さわだ こうじ
沢田 幸二
プロフィール
本名 澤田 幸二
愛称 エグアナ、サワボー
出身地 日本の旗 日本 山口県岩国市
生年月日 (1957-12-08) 1957年12月8日(66歳)
血液型 B型
最終学歴 立教大学社会学部
勤務局 九州朝日放送
職歴 編成局アナウンス部 → ラジオ局ラジオ制作部(部長代理)→ 編成局アナウンス部(部長)→ 編成局(担当局次長 → 担当局長[1]
活動期間 1980年 -
ジャンル 情報・娯楽番組
配偶者 あり
出演番組・活動
出演中 テレビ
PAO~N TV
ラジオ
PAO〜N
出演経歴 テレビ
情報回遊TV うるとらマンボウ
『サワダデス。』
サワダデース
ラジオ
『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』
『アフタヌーンスロープ』
『おすぎとこうじの危ない関係』
『沢田幸二のラジオコング』
『沢田幸二の土曜日だ!!』

沢田 幸二(さわだ こうじ、1957年昭和32年〉12月8日[2] - )は九州朝日放送役員待遇エグゼクティブアナウンサー[3]山口県岩国市出身。

経歴[編集]

  • 山口県立岩国高等学校立教大学社会学部卒業[2]。銀行・放送局12局など就職試験を20社ほど受けた[4]。スポーツ実況とラジオを志望していてラテ兼営局九州朝日放送(KBC)に合格。1980年4月、KBCにアナウンサーとして入社。同期は同じ山口県出身で同郷の和田安生(生年月日が2日遅れ)、奥田智子、山本栄子(元KBCアナウンサー、現在はアメリカ在住)がいる。
  • 当初はスポーツ実況を担当。1981年2月、プロ野球のキャンプ取材に訪れた宮崎でバスから降りる際に転倒。足首を捻挫した為、取材が出来ない状態で福岡へ強制送還された。
  • 1981年12月7日、福岡国際マラソン雁ノ巣・折り返し点リポートの際にトップを走って来た宗茂宗猛と識別できず「宗兄弟が来ました」と言ってしまう[5]。スポーツ担当を外された沢田は「(入社3年目は)仕事なかった」と後に告白するほどの不遇の時代を過ごす。
  • 1983年5月に開始した平日帯 夜ワイド番組『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』でメインパーソナリティを担当。卓越したマシンガントークで絶大な人気を獲得する。ラジオ番組専門誌「ラジオパラダイス」のパーソナリティ人気投票で年間ベスト3入りを果たして、当時の「局アナ」「夜ワイド」「DX(ラジオの遠距離受信)」ブームに乗り、全国区の人気者となった。この人気投票で常に激しい競争を展開していたCBCアナウンサー(当時)の小堀勝啓(『ラジオパラダイス』1987年9月号)、ニッポン放送アナウンサー(当時)の上柳昌彦との誌上共演企画が実現した。上柳は立教大学の1年後輩で親交があり、1989年3月12日に開催した『HITACHI FAN! FUN! TODAY』(ニッポン放送)の福岡でのイベント『FAN! FUN! in福岡』で共演した他[6]、沢田に第一子が出来た時は上柳が『FAN! FUN! TODAY』の番組内でお祝いの言葉を送った[7]。『上柳昌彦 ごごばん!』(ニッポン放送)の2013年11月6日放送分にゲスト出演した[8]
  • 1990年4月のKBCラジオ大型改編で『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』は終了。KBC-INPAXの平日帯 昼ワイド番組『アフタヌーンスロープ』を1993年3月まで担当。その後はKBCテレビ情報回遊TV うるとらマンボウ』を7年間担当。福岡空港でのガルーダ機事故の際に事故の様子を報道スタジオから全国に伝えた。
  • 『情報回遊TV うるとらマンボウ』降板後はラジオ制作部長代理として、KBCラジオの平日帯 昼ワイド番組『栗田善成のそんなバナナ塾』番組プロデューサーを務めた。2002年、アナウンサーに復帰して、KBC編成局アナウンス部長に就任した。
  • 平日帯 昼ワイド番組として復活したKBCラジオ『PAO〜N』のメインパーソナリティを2003年3月31日(月)より務めている。
  • 定年退職後の継続雇用期間の目安となっている65歳を過ぎた2023年度以降もエグゼクティブアナウンサーとして引き続き活動している[9]

人物[編集]

沢田とおすぎ[編集]

おすぎと1990年代からテレビ・ラジオ番組にて共演することが多い。KBCアナウンス部には「おすぎ お世話係」なるものが存在したと言う[13]

現在の担当番組[編集]

ラジオ[編集]

テレビ[編集]

過去の担当番組[編集]

テレビ(過去)[編集]

ラジオ(過去)[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第61回民間放送全国大会を開催 - トピックス | 一般社団法人 日本民間放送連盟
  2. ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、279頁。NDLJP:12276264/140 
  3. ^ 役員待遇なので契約は1年毎
  4. ^ ラジオ関西ラジオ福島ラジオ関東朝日放送中国放送札幌テレビ放送静岡放送等。
  5. ^ 沢田は「メイン実況アナウンサーに『新人の沢田が慌てなくて済む様にトップを走る選手が現れる数分前に(時間に余裕を持って)沢田にマイクを渡す』と事前に告げられていた。折り返し地点・海ノ中道香椎の歴史、由来などのコメントや話す順番を事前に考えていたが本番ではメイン実況アナウンサーがトップランナーが折り返す直前にマイクを沢田に渡したので用意しているコメントが話せなかった」と述べている。
  6. ^ 『月刊ラジオパラダイス』1989年5月号97ページ『KO〜MON』通信
  7. ^ 『月刊ラジオパラダイス』1990年4月号84ページ『KO〜MON』通信
  8. ^ 2013.11.06 11月6日(水)のごごばん!”. ニッポン放送『ごごばん!』公式サイト. 2014年5月28日閲覧。
  9. ^ 同期入社の和田は2022年度を以て定年退職。フリーアナウンサーに転身した。
  10. ^ 『月刊ラジオパラダイス』1987年9月号メイン特集「スーパーローカルラジオ対決 沢田のPAO〜N vs 小堀のわ!WIDE」p.38 - 51
  11. ^ a b 『月刊ラジオパラダイス』1988年7月号67ページ『ラジパラタイムス』
  12. ^ PAO~N 2021年2月2日放送分のオープニング トークで発言
  13. ^ おすぎは2021年12月中旬、PAO〜N月曜日パーソナリティを卒業した
  14. ^ 1992年10月〜1999年9月まで担当。その後は信川竜太に交代して、2001年3月まで放送した
  15. ^ 後に『沢田幸二 イケイケドンドン』→『沢田幸二 ラジオジャンクション』のサブタイトルが入った
  16. ^ 偶数月の第4日曜(第5日曜に放送された事も)深夜、KBCラジオ本放送終了後に放送されたスペシャル番組

外部リンク[編集]