江連堯則

後列左端の人物が江連堯則。後列左から石川重敬勝海舟松平太郎。前列左からロバート・ヴァン・ヴォールクンバーグ(アメリカ公使)、稲葉正巳大関増裕

江連 堯則(えづれ あきのり/えづれ たかのり、生没年不詳)は、江戸時代武士幕臣)。官途は加賀守。通称は真三郎。妻は榎本武揚の妹、うた。

経歴[編集]

江戸に生まれる。原半左衛門[注釈 1]の弟で江連家の養子となる[1]目付から外国奉行となり、元治元年(1864年)8月英・仏・米・蘭の四国艦隊下関砲撃事件や密貿易事件等で英、仏、米公使と折衝した。慶応4年4月5日1868年4月27日開成所頭取[1]となるが1週間で役替となる。徳川家、静岡移封に際して静岡に移住した。

維新後は東京府東多摩南豊島郡長を務めた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 志村源一郎と千人隊之頭時代の同僚。『幕末維新期の社会的政治史研究』457頁。

出典[編集]

  1. ^ a b 『幕末維新期の社会的政治史研究』457頁。

参考文献[編集]

  • 『ブリタニカ国際大百科事典』
  • 宮地正人『幕末維新期の社会的政治史研究』岩波書店、1999年。

関連項目[編集]