江口孝義

江口 孝義
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県小城市
生年月日 (1969-05-15) 1969年5月15日(54歳)
身長
体重
181 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト3位
初出場 1991年9月11日
最終出場 1995年5月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

江口 孝義(えぐち たかよし、1969年5月15日 - )は、佐賀県小城市出身の元プロ野球選手投手)。1996年登録名江口 嵩芳(読み同じ)。

来歴・人物[編集]

佐賀工業高在学中、1987年夏の選手権にエースとして出場を果たす。大会では最速148km/hを記録するなど、本格派右腕として脚光を浴びた[1]。チームは初戦である2回戦で東海大甲府高を2-1で破ったが、3回戦で習志野高に4-12と大敗した。

プロ入りには消極的で[1]、高校卒業後は社会人野球NTT九州に入社する。入社後も「アマチュアNo.1投手」と高評価を受け、社会人2年目で全日本代表メンバーにも選出された[1]。順風満帆であったが、社会人3年目に右肩を痛め、プロ入り前に「の故障があるからプロ入りは拒否」と各球団に提示[1]。すでに野球部を退部していたものの、1990年のプロ野球ドラフト会議で肩の治療を約束の上で福岡ダイエーホークスが3位で指名した。プロ入りについては、当時のスカウトであった小川一夫の熱心な勧誘も決め手となったとされる[1]

プロ入り後は、1年目の1991年から一軍登板を果たすが、右肩の故障で低迷。1996年には、登録名を江口 嵩芳に改めたが、シーズン終了後の戦力外通告を機に現役を引退した。

引退後は、熊本県の西日本リハビリテーション学院に通いながら、理学療法士の国家試験に合格した[1]。さらに、病院での勤務を経て、プロ野球選手のトレーナーを目指すべく鍼灸師の資格を取得[1]2006年から2013年まで、オリックス・バファローズでトレーナーを務めた[1]2014年からは、ダイエーの後継球団・福岡ソフトバンクホークスのトレーナーへ転身。現役を引退してから18年振りに、二軍のトレーナーとしてホークスへ復帰することになった[2]。2020年11月21日に球団に退団の意思を伝えていることが報じられ[3]、12月25日、退団することが発表された[4][5]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1991 ダイエー 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 39 8.2 6 0 7 0 0 6 0 0 4 4 4.15 1.50
1992 6 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 47 10.1 13 3 4 0 0 5 0 0 7 7 6.10 1.65
1995 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 13 3.0 0 0 3 0 1 2 1 0 0 0 0.00 1.00
通算:3年 16 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 99 22.0 19 3 14 0 1 13 1 0 11 11 4.50 1.50

記録[編集]

背番号[編集]

  • 51 (1991年)
  • 15 (1992年 - 1994年)
  • 41 (1995年 - 1996年)

登録名[編集]

  • 江口 孝義 (えぐち たかよし、1991年 - 1995年)
  • 江口 嵩芳 (えぐち たかよし、1996年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h ベースボール・マガジン社、2011、「セカンドキャリアの球人力 江口孝義」、『週刊ベースボール10月24日号』(49)
  2. ^ 新入団について福岡ソフトバンクホークス2013年12月17日付球団ニュース
  3. ^ ソフトバンク江口孝義トレーナーが今季限り退団日刊スポーツ
  4. ^ 退団者について|福岡ソフトバンクホークス”. ソフトバンクホークス オフィシャルサイト. 2020年12月25日閲覧。
  5. ^ ソフトバンク、城島健司氏の特別アドバイザー続投を発表 04年ドラ1江川氏は退団”. Full-Count(フルカウント) 野球ニュース・速報・コラム. 2020年12月25日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]