氷川神社 (板橋区氷川町)

氷川神社
氷川神社 (板橋区氷川町)
所在地 東京都板橋区氷川町21番8号
主祭神 素盞男命稲田姫命
社格 郷社
創建 1206年
本殿の様式 流造
例祭 9月10日
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氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都板橋区氷川町にある神社[1]。現在は19の町を氏子区域とする。社殿は鉄筋コンクリート、流造別当寺真言宗豊山派勧明寺。

概要[編集]

1206年元久3年)頃に、現在の所在地周辺を領有していた豊島氏豊島左衛門尉経泰が、現在の埼玉県さいたま市氷川神社より、素盞男命稲田姫命の分霊を奉じて社を建てたのが起源とされる。石神井川畔の景勝の地ということで選ばれた。豊島氏が没落した後も、地元民が板橋宿鎮守として信仰してきた。しかし、1889年(明治22年)の火災で社は焼失し、起源を裏付ける史料も失われている。

1889年の火災の翌年に再建されたが、1945年(昭和20年)5月の空襲で再び全焼した。現在の社殿は、1954年に結成された御造営奉賛会により再建されたもので、1958年(昭和33年)9月に竣工した。

1872年に村社、1873年に郷社となった。

祭礼[編集]

  • 例祭 - 9月10日
  • 節分祭 - 2月3日
  • オビシャ―弓矢を用いた吉凶・農作物収穫を占う神事で、関東地方に多く残る。この神社でも1938年ごろまで行なわれていたが、現在は途絶えている。

境内社[編集]

文化財[編集]

  • 山岡鉄舟筆の社号墨書掛幅(1892年
  • 富士塚―2013年3月27日に区登録文化財。理由は《当該地域における富士山登拝講の活動状況や地域の信仰・民俗等について考察する上で貴重な史跡である》。区内では唯一江戸期(1855年)に造立されたもので、山頂には木花咲夜姫の碑が立つ。

この富士塚は食行身禄の弟子、永田長四郎が結成したもので、その名を冠した永田講による登山神事などが100年余り行なわれていた。1966年を最後に永田講は閉講し、道具は板橋区立郷土資料館に寄贈された。

氏子区域[編集]

出典[編集]

  1. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典13 東京都』角川書店、1978年、796頁

参考文献[編集]

  • 『いたばしの神社』板橋区教育委員会、1981年
  • 『板橋区史 資料編5 民俗』板橋区、1997年
  • 『板橋郷土史事典』板橋史談会、1989年
  • 『いたばし史跡探訪』板橋区教育委員会、1981年

外部リンク[編集]