水衡都尉

水衡都尉(すいこうとい)は、古代中国前漢時代にあった官職である。

前漢武帝元鼎2年(紀元前115年)に初めて置かれた[1]秩禄二千石(『漢書』百官公卿表上)。皇帝の所有する広大な山沢である上林苑を管理した[1]。他に様々な職掌を持ち、その中には五銖銭の鋳造もあった。

属官[編集]

属官には以下のものがあった[1]。定員2名以上の場合、かっこに入れて示した。農令と倉令はあわせて農倉令とする説もある[2]

  • 上林令、上林丞(8名)、上林尉(12名)
  • 均輸令、均輸丞(4名)
  • 御羞令、御羞丞(2名)
  • 禁圃令、禁圃丞、禁圃尉(2名)
  • 楫櫂令、楫櫂丞
  • 鍾官令、鍾官丞
  • 技巧令、技巧丞
  • 六厩令、六厩丞
  • 弁銅令、弁銅丞
  • 衡官長、衡官丞
  • 水司空長、水司空丞
  • 都水長、都水丞(3名)
  • 農長、農丞
  • 倉長、倉丞
  • 甘泉上林長、甘泉上林丞(4名)
  • 甘泉都水長、甘泉都水丞

成帝の時に技巧、六厩は廃止された[1]王莽の時()には改称して予虞と称した[1]後漢になると廃止され職務は少府が引き継いだ(『続漢書』百官志)。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』122頁。
  2. ^ ちくま学芸文庫『漢書』2の123頁。『『漢書』百官公卿表訳注』126頁注5、上林農・上林倉の解説。

参考文献[編集]