水原ゆう紀

みずはら ゆうき
水原 ゆう紀
生年月日 (1953-08-30) 1953年8月30日(70歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府箕面市
職業 女優
ジャンル 映画
テレビドラマ
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水原 ゆう紀(みずはら ゆうき、1953年8月30日 - )は、日本女優、元歌手占星術師である。本名:小畠英子[1]

大阪府箕面市出身[1]聖母被昇天学院高等学校卒業。宝塚歌劇団56期生。妹は女優の水原明泉

来歴・人物[編集]

高校卒業後、宝塚歌劇団に入団(芸名:畠 亜里紗(はた ありさ))する。雪組公演『四季の踊り絵巻/ハロー!タカラヅカ[2]で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は70人中63位[2]1971年3月8日[2]月組配属。同年4月29日[2]をもって退団。

芸名は、とても清楚な感じに見えたということから、透き通ったイメージの「水」に緑を感じさせる「原」。下の名前は最初「由起」が考えられたが本人の全体的なイメージを考えてゆう紀となった[3]

東京タイムズ』1975年4月7日付けでの本人インタビューでは「大阪のカトリック系の高校を卒業し、家出同然のような恰好で上京、以来三年間ヤマハ音楽教室で歌を勉強、そのかたわらにテレビに出演していた。歌は好きで、中学二年から高校卒業まで習っていたが、それはクラシック。声の質がいわゆるオペラ歌手に向いていたからだという…」などと書かれており、宝塚の話は一切ない[4]

週刊現代』1980年3月13日号の阿刀田高の対談での水原のプロフィールでは、「本名・小畠英子、1955年、大阪・箕面市生まれ。1968年、全日本学生音楽コンクール西日本大会で優勝。高校卒業後、歌手を目指して上京、音楽教室に通いながら、ラジオやテレビのアシスタントをする。19歳の時、『風色の部屋』でデビュー。1975年、『本陣殺人事件』で映画界へ。以後『金閣寺』や『嗚呼!!花の応援団』などに出演...」と書かれており[5]、水原本人も「芸能界に入りたかったが、父が頑固で大喧嘩し、高校卒業後、すぐに家出して東京の友だちの家に転がり込んだ」などと話し、プロフィールも含め、対談中、こちらも宝塚の話は一切ない[5]

その後、掲載された週刊誌のグラビアが自主制作映画出身の高林陽一監督の目に留まり、高林監督の秘蔵っ子として『本陣殺人事件』、『金閣寺』に出演[1]。その後も清純派女優としてテレビドラマや映画で活躍した。

1979年日活ロマンポルノ天使のはらわた 赤い教室』に出演。教育実習生時代に不良生徒たちから輪姦されたことをきっかけに性の地獄に転落していく女・名美を演じて大胆なヌードを披露し、それまでの清純派のイメージをかなぐり捨てた体当たりの演技で、第一回ヨコハマ映画祭の主演女優賞を獲得した[1]。当時は永六輔下重暁子の所属する芸能事務所「クリエート・プロモーション」に籍を置いていた[6]

それ以降も、谷崎潤一郎の『痴人の愛』派生作品『谷崎潤一郎・原作「痴人の愛」より ナオミ[7]や『赤いスキャンダル 情事』などでヌードとなった他、オリジナルビデオやヌード写真集などでも活躍した。現在も女優活動は続けているものの、占星術師を本業としている。

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

オリジナルビデオ[編集]

バラエティ番組[編集]

写真集[編集]

イメージビデオ[編集]

  • 濡れたルージュ(1992年1月、大陸書房)

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

※ すべて、EPレコード。

発売日 レーベル 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
1973年5月 東宝レコード AT-1024 A ぼくらの名は青春[8] 小池一雄 森田公一 竜崎孝路
B 思い出[8]
1975年4月 東芝EMI/

Express

ETP-20117 A 風いろの部屋 吉田旺 みなみらんぼう 田辺信一
B ブルース通り角の店
1975年11月 ETP-20193 A 恋のラストチャンス 菅三鶴 中村泰士 竜崎孝路
B 私が家を捨てる朝
1976年3月 ETP-20235 A O嬢の物語 片桐和子 Pierre Bachelet 川口真
B 幸せを写そう 南せいじ 小林亜星 筒井広志
1981年 ポリドール 7DX-1110 A 揺れながら、愛 東海林良 木森敏之
B Please, call me again

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 週刊テレビ番組(東京ポスト)1980年6月27日号 p.36
  2. ^ a b c d 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ2014年4月1日、80-81頁。ISBN 9784484146010
  3. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1983年12月9日号「芸名由来記」56頁
  4. ^ “〔出番です!〕 由紀さおりの後ガマを狙う 水原ゆう紀 『女っぽく子供っぽくオペラ志願から転向…」”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): p. 5. (1975年4月7日) 
  5. ^ a b 長谷川力「阿刀田高の『雑学』対談 第19回 ゲスト 水原ゆう紀(24歳=女優) 『女の性感帯って頭の中にあるものよ、だから演技でも感じてしまうときがあるわ』」『週刊現代』1980年3月13日号、講談社、68–72頁。 
  6. ^ 梅林敏彦、藤田春央「したたかに、しなやかに 若手ポルノ女優たちが脱ぐ時…」『噂の眞相』1979年7月号、噂の眞相、57–58頁。 
  7. ^ a b 谷崎潤一郎・原作 「痴人の愛」より ナオミ”. 東映チャンネル. 2023年8月17日閲覧。
  8. ^ a b 水原ゆう紀+トゥエルブ名義

関連項目[編集]

外部リンク[編集]