毛利元一

毛利 元一(もうり もとかず、文化13年(1816年) - 明治22年(1889年2月26日)は、長州藩一門家老である吉敷毛利家の13代当主。

父は毛利房謙。正室は毛利房顕の娘。養子は毛利親直(上野五郎)、毛利重輔(山本重輔)。通称出雲。藩主の毛利斉元より偏諱の授与を受けて元一と名乗る。別名に元潔(もときよ)が伝わる。

生涯[編集]

文化13年(1816年)、毛利房謙の子として生まれる。嘉永元年(1848年)、家督相続する。藩主毛利敬親(斉元の子)に仕え当職、留守居役、城代等の要職を歴任する。安政以降、郷校憲章館に、稽古引立役を置いて学生を監督し、優秀な者に他国での修行を命じた。また、本藩から高杉晋作山縣有朋井上馨らが憲章館を訪れて学んだ。文久3年(1863年)、一門阿川毛利熙徳の弟広悌の子の親直を養嫡子とする。明治元年(1868年)、藩副執政。明治2年(1869年)、大参事。明治3年(1870年)、隠居して家督を親直に譲る。明治7年(1874年)、親直が離籍したため、家督を再襲する。明治9年(1876年)、長州藩士山本信一の子の重輔を養子に迎える。明治17年(1884年)、養子重輔に家督を譲り再度隠居する。明治22年(1889年)2月26日没。享年74。重輔は明治33年(1900年)に男爵に叙された。