歌橋

歌橋(うたはし、文化4年3月21日〈1807年4月28日〉 - 明治10年〈1877年〉9月9日[1])は、江戸時代後期から幕末の女性で13代将軍徳川家定乳母である。藤波寛忠の娘。大奥での位は上臈御年寄。院号は法好院。

生涯[編集]

徳川家定が嘉永6年(1853年)に13代将軍になると、歌橋は西ノ丸大奥から本丸大奥に移り住む。大奥では家定の実母・本寿院以上の権勢を握り、大奥を牛耳っていた。それは母・本寿院や父・家慶が家定の育児を全て歌橋にまかせっきりで、家定が歌橋を慕っていたからだと言われている。また家定は人前に出ることを極端に嫌う性格だったと言われ、乳母である歌橋にしか心を開かなかったという。

家定の後継者争いでは南紀派に属し、瀧山、本寿院らと共に14代将軍に紀伊藩主・徳川慶福(後の家茂)を推した。

家定没後は落飾して法好院と号した。明治10年(1877年)没。享年71。戒名は法好院殿蓮誉樹光操心法尼。

演じた女優[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 『天璋院篤姫の生涯:篤姫をめぐる160人の群像』新人物往来社、2007年。ISBN 4404033877