森清和

森 清和(もり せいわ、1942年 - 2004年1月11日)は、日本の水辺環境技術者。環境研究者。

横浜市の職員として横浜市環境科学研究所[注 1]エコシティ研究室で市内の水辺環境に関する業務に従事するかたわらで[6]水郷水都全国会議1985年第1回開催[7])全国実行委員、全国水環境交流会1993年設立[8])代表幹事、自然環境復元研究会(1990年設立[9])評議員、全国トンボ市民サミット(1990年第1回開催[10])の実行委員などを歴任し、よこはまかわを考える会(1982年設立[8])、鶴見川を楽しくする会(1987年設立[11][12])、全国水環境交流会ほかを率いて多くの環境保全に関わった。

1984年(昭和59年)に「当時の状況では,痛烈な河川行政批判とも受け取られる内容」[13]と評される著書『都市と川』を三木和郎の変名で公刊した。同書は「1980年代末までに日本の河川があまりにも人工的・画一的に改修され,単なる『排水路』と化した状況に対して,河川行政に携わる人々の間でも反省の機運が高まっていたという点がある.そうした動きの先駆け」とされ[14]、従来のコンクリート三面張り護岸に象徴される治水優先の河川管理に批判的な動きはやがて日本の河川行政の転換を示す1990年(平成2年)の建設省通達『多自然型川づくり』の推進について」へと繋がっていった[15]

1998年(平成10年)4月、森が代表を務める全国水環境交流会は旧建設省の打診を受け、同年7月から毎年1回の「全国川の日ワークショップ」の主催を開始[16]。同ワークショップは2008年より「いい川・いい川づくりワークショップ」にリニューアルして[17]、2023年現在も続いている[18]。また、森の没後、全国水環境交流会は「森清和賞」を創設して授与している[注 2]

主な著書[編集]

  • 三木和郎『都市と川』農山漁村文化協会〈人間選書 69〉、1984年7月。ISBN 454084010-X  ※三木和郎の名義で出版。
  • 『市民の安全・環境』 学陽書房〈シリーズ自治を創る 15〉(共著)
  • 『自然環境復元の技術』 朝倉書店(共著)
  • 『エコロジカル・デザイン : いきものと共生するまちづくりベーシックマニュアル』 ぎょうせい出版(共著)
  • 『環境学習のための人づくり・場づくり』 ぎょうせい出版(共著)
  • 『ランドスケープデザイン』 技報堂出版〈ランドスケープ大系 3〉(共著)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 横浜市環境科学研究所は、生物多様性の環境、都市の暑さ対策、大気環境調査研究、地下水地盤環境などを研究対象[1]とする横浜市の研究組織。1974年(昭和49年)1月の横浜市公害対策審議会の建議「公害研究所の建設について」に基づき[2]、1976年(昭和51年)4月「横浜市公害研究所」として横浜市磯子区に開設[3]、1991年(平成3年)に現在の「横浜市環境科学研究所」へ改称、2015年(平成27年)に現在地(横浜市神奈川区)へ移転[4]。研究所による各種環境観測データや報告書、研究所報などの刊行物は横浜市公式ホームページで提供[5]されている。
  2. ^ 「森清和賞」について、2011年9月の第4回いい川・いい川づくりワークショップに参加した大学院生が『JRRN Newsletter』に寄稿した報告には、「森清和賞 … 横浜にハグロトンボの棲める川を呼び戻そうと奮闘した当時横浜市職員の故 森清和さんの功績を称えた特別賞.森さんが子ども達を大好きだったことから,子どもに贈られる.川とふれあう子どもらしい元気にあふれた活動,多くの仲間に共感・希望を与える活動,川と真剣に向き合う勇気とやさしさにあふれた活動に贈られる.」[19]と註記がある。

出典[編集]

  1. ^ 事業内容|環境科学研究所”. 横浜市. 2023年4月15日閲覧。
  2. ^ 1. 沿革 : 沿革」(pdf)『横浜市公害研究所報』創刊号、横浜市公害研究所、1977年11月、37頁。 
  3. ^ 助川信彦(横浜市公害研究所長)「はしがき (昭和52年9月)」『横浜市公害研究所報』創刊号、横浜市公害研究所、1977年11月“市民の方々の期待にささえられて、横浜市公害研究所が発足したのは昭和51年〔1976年〕4月1日であったから、すでに1年半を経過した。” 
  4. ^ 環境科学研究所について|環境科学研究所”. 横浜市 (2021年10月1日). 2023年4月15日閲覧。
  5. ^ 環境科学研究所”. 横浜市. 2023年4月15日閲覧。
  6. ^ 横浜市環境科学研究所業務の成果として、横浜型エコシティ研究報告書 : 花鳥風月のまちづくり』横浜市環境科学研究所エコシティ研究室、2002年3月https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kankyohozen/kansoku/science/shiryo/sonotahoukokusyo/pub0146.html があり、目次ページに「本論執筆 主任研究員 森清和, 島村雅英」とある。
  7. ^ 水郷水都全国会議の活動”. 水郷水都全国会議. 水郷水都全国会議 (2018年8月29日). 2023年4月15日閲覧。 “第1回水郷水都全国会議/松江市/1985年5月18,19日/水と暮らし-人と湖との共存を求めて-”
  8. ^ a b 山村美保里 2016, p. 127.
  9. ^ 沿革 | 自然環境復元協会とは”. 自然環境復元協会. 認定NPO法人自然環境復元協会 (2021年). 2023年4月15日閲覧。 “1990年5月11日、自然環境復元研究会設立総会/杉山惠一 初代理事長就任”
  10. ^ 開催経緯・関連団体”. 全国トンボ・市民サミット. 全国トンボ市民サミット (2019年). 2023年4月15日閲覧。 “第1回 1990年 神奈川県 横浜大会(6/3)「カムバック・トンボ~生きもの・人間環境の保全と再生をめざして」”
  11. ^ 草野重芳(鶴見川を楽しくする会世話人)「(5) 鶴見川流域ネットワーキング(TRN) : その1・鶴見川を楽しくする会」『調査季報』第112巻、横浜市企画財政局企画調整室、1992年3月、39-42頁“今年〔1992年〕の2月18日で「鶴見川を楽しくする会」も満5才になります。(..) 最近でこそ、水辺のアメニティとか環境重視の思想も普及して、土手に菜の花コスモスを植えようとか、多自然型河川工法を実験してみようとか、当たり前のように話したり聞いたりしていますが、当時は川の中の草一本いじるのにも河川管理者の許可が要るというような常識が支配していた時代のことでしたから、あの夜の交流会はかなりラディカルでした。/さて、方法論は?、という段階になって、それは、これから我々がつくる会の研究テーマ、という結論になって、その場で当会が誕生する運びになりました。” 
  12. ^ 鶴見川を楽しくする会 TOPページ”. 鶴見川を楽しくする会 (2008年). 2009年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月15日閲覧。 “鶴見川を楽しくする会は1987年に産声を上げました。今年で20才。”
  13. ^ 祖田亮次・柚洞一央 2012, p. 149※論文中では『都市と川』を1986年の出版と記すが、おそらく1984年の誤り。
  14. ^ 祖田亮次・柚洞一央 2012, pp. 148–149.
  15. ^ 祖田亮次・柚洞一央 2012.
  16. ^ 山村美保里 2016, pp. 126–127.
  17. ^ いい川・いい川づくりワークショップ”. MIZUKAN (全国水環境交流会). NPO法人全国水環境交流会 (2023年). 2023年4月15日閲覧。 ※「ワークショップの経緯」項、参照。
  18. ^ mizukan (2023年4月14日). “『第15回いい川・いい川づくりワークショップ 』(通算第25回)の開催(開催日・開催会場)が決定しました!”. MIZUKAN (全国水環境交流会). NPO法人全国水環境交流会. 2023年4月15日閲覧。
  19. ^ 坂本貴啓(筑波大学大学院博士前期課程, JRRN会員)「第4回いい川・いい川づくりワークショップ(2011年9月24-25日)に参加して」『JRRN Newsletter』第53巻、日本河川・流域再生ネットワーク(JRRN)事務局(財団法人リバーフロント整備センター内)、2011年11月、7頁。 

参考文献[編集]

関連項目[編集]