森川俊令

 
森川俊令
時代 江戸時代中期
生誕 享保3年1月18日1718年2月17日
死没 天明7年5月16日1787年7月1日
改名 俊方(初名)、俊令、善応(法号)
戒名 不二院無関善応
墓所 千葉県千葉市中央区の重俊院
官位 従五位下、兵部少輔。内膳正
幕府 江戸幕府 大番頭大坂定番奏者番
日光祭祀奉行
下総生実藩
氏族 森川氏
父母 父:森川重良、養父:森川俊常
正室:森川俊常の長女・以智
俊孝俊輝
娘(小笠原長喜室)、娘(甲斐庄正肪正室)
養女:(俊常娘、内藤正芳室)
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森川 俊令(もりかわ としのり)は、下総生実藩の第6代藩主。

生涯[編集]

享保3年(1718年)1月18日、600石を領した分家の旗本森川重良の次男(庶子)として江戸で生まれる。享保19年(1734年)に本家の第5代藩主・森川俊常が死去したため、末期養子として家督を継ぎ、12月18日に従五位下・兵部少輔に叙位・任官する。

寛保3年(1743年)4月28日に大番頭に任じられ、延享2年(1745年)閏12月15日に大坂定番に任じられ、寛延2年(1749年)8月15日に奏者番に任じられた。そのほかにも日光祭祀奉行などを務めている。宝暦4年(1754年)5月15日、名を俊方から俊令と改名する。宝暦10年(1760年)に内膳正に遷任する。

宝暦14年(1764年)1月27日、全ての職を辞任し、4月6日に家督を長男の俊孝に譲って隠居する。後に出家して善応と号し、渋谷広尾の下屋敷に移った。天明7年(1787年)5月16日に死去した。享年70。

系譜[編集]

父母

正室

子女

養女