梶原仲治
梶原 仲治(かじわら なかじ[1]、明治4年(1871年)7月 - 昭和14年(1939年)1月6日)は日本の銀行家。東京府平民[2]。外孫に作家で元暴力団員の安部譲二がいる[3]。
経歴[編集]
山形県吹浦村生まれ[3][4]、北海道出身[1]。梶原兵吉の弟[2]。
1897年に東京帝国大学法科大学卒業[5]。日本銀行入行[5]。
1918年3月日本銀行辞職[5]。同年横浜正金銀行取締役就任、副頭取就任[5]。1919年、横浜正金銀行頭取就任[5]。1922年10月、日本勧業銀行総裁[5]。以後東京株式取引所理事長、日本産業協会理事、日本陶磁器工業組合連合会理事長、工業組合中央会理事長を歴任[5]。昭和14年1月6日没。墓所は東京都港区の青松寺。
栄典[編集]
家族・親族[編集]
梶原家[編集]
- 明治17年(1884年)12月生[2] - 没
- 安部譲二によれば「このウメ祖母さまとは、戦争中ずっと一緒に過ごしたので、僕はよく覚えています[3]。華奢だけど、とてもフットワークのいい、すっきりして垢抜けた婆様で、一番小さな孫だった僕にとても優しくしてくれました[3]。」という 。
脚注[編集]
|
|
|