梨壺の五人

梨壺の五人(なしつぼのごにん)とは、天暦5年(951年村上天皇の命により、平安御所七殿五舎の一つである昭陽舎に置かれた和歌所の寄人である。昭陽舎の庭にはの木が植えられていたことから梨壺と呼ばれた。『万葉集』の解読、『後撰和歌集』の編纂などを行った。

以下の五人である。

脚注[編集]

  1. ^ 源順(みなもとのしたごう)の解説”. goo人名事典. 2020年12月31日閲覧。

関連項目[編集]