梅田川 (宮城県)

梅田川
梅田川 2004年3月4日撮影
梅田川下流部
水系 二級水系 七北田川
種別 二級河川
延長 15 km
平均流量 0.025 m³/s
流域面積 28 km²
水源 仙台市青葉区国見ケ丘
水源の標高 -- m
河口・合流先 七北田川宮城野区
流域 宮城県仙台市
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梅田川(うめだがわ)は、宮城県仙台市青葉区中部から宮城野区中部を流れる七北田川水系二級河川である。仙台市青葉区の中山地区に源を発し、宮城野区鶴巻地区にて七北田川に合流する。流路はすべて仙台市内にある。指定河川としての流路延長は13キロメートルだが、川の流れは15.2キロメートルある[1]

流路[編集]

仙台市青葉区と泉区の間を東に延びる舌状丘陵七北田丘陵の南斜面にあたる中山[2]・国見ヶ丘・貝ヶ森に源を発して東へ流れ、北仙台、梅田町、宮町、中江、原町苦竹新田、小鶴といった住宅地の中を流れ、七北田川と七北田丘陵東端の東方にある福田町で合流する。

二級河川としての上流端は青葉区山手町・貝ヶ森・中山の境にある枯木橋だが、川の流れはさらに2.3km上流まで続いている[1]。水源は主に三つの流れに分けられる。中山のうどう溜池からの第一の流れが本流とされるがほぼコンクリート側溝化され水量はやや少ない[3]。かつては中山峠を行き交う人々を潤す夏冬枯れる事なき井戸があり、それがうどう溜池の源のひとつであったともいう[4]。第二の水源は、国見ヶ丘の桜の水辺公園にある臨済沼からのむじな沢という流れであり水量に恵まれて美しい渓谷美をなしている[4]。第三の水源は、貝ヶ森中央公園にある山中沼(サンチヌマ)からの流れであるが現在ほぼ全て暗渠化されている[4]。古くは臨斉沼へ注ぐ源流は国見ヶ丘の臨済院に端を発しており、この地を梅田川の水源と呼ぶこともできた。現在は臨斉沼ではなく地下を通じて山中沼からの流れと合流して枯木橋付近で本流に合流している[4]

枯木橋から1.8kmのところで、仙台川放水路を分ける[5]。増水時にだけ水が入り、仙台川に導くためのもので、ふだんは水の流れがない[6]

歴史[編集]

古くは広瀬川から取水された四ツ谷用水を水源とする平渡戸川(ひらわたどのかわ)や下流の藤川と呼ばれる川が現在の梅田川に相当する時代もあり、時代と地域によって呼び名が異なっていた。とくに梅田川と藤川は、時代によって四ツ谷用水と合流して現在の梅田川に相当する流路を取る場合と、合流せずに現在の藤川に相当する流路を取る場合等があった。現在の梅田川と藤川に相当する川と、その名称の関係は複雑になっている[4]

利水[編集]

梅田川庭苑ちびっこ広場(2007年11月)

梅田川上流にはもと4か所の堰があって流域の水田に農業用水を引いていたが、昭和40年代(1965年 - 1970年)頃から宅地化が進み、2008年頃に水田がなくなった[6]

明治・大正の頃には、鰻屋のいけすが梅田川に置かれた。増水するとここから鰻が逃げ出したという[7]

現在は、場所によっては川辺が公園整備され、地域住民の親水に貢献している。新田以東では、堤に道路が設けられサイクリング散策などに利用されている。

生物[編集]

仙石、福住町付近においては、春季、約1kmにわたって、菜の花が堤一面に咲き乱れる。川辺にカワセミサギハト等の鳥類の姿を見る事が出来るほか、冬場にはガンハクチョウが飛来し羽を休める。魚類はフナメダカが生息する。

環境[編集]

仙台では1960年代前半まで、下水道はあっても下水処理施設がなく、汚水を川にそのまま排水していた。20世紀半ばまで屎尿は肥料として近郊農家に引き取られていたので、汚水といっても川に屎尿が流れてきたわけではない。が、梅田川のような流量が少ない川では水質汚染がひどく進み、1960年代には濁って悪臭がただよった[8]

仙台市は1958年(昭和33年)に下水処理場を建設しこれに市内の下水道を結びつける計画を作り、1964年(昭和39年)に南蒲生下水処理場(現在の南蒲生浄化センター)を稼動させた。梅田川沿いの下水道は梅田川幹線に集約し、1965年(昭和40年)5月から南蒲生処理場に送るようにした[9]

これと別に、1964年・1965年頃に流域の町内会を中心に梅田川浄化推進協議会が結成され、毎月地域住人による清掃が行われた[10]。住民主体の川の浄化活動は当時の日本で先駆的な試みであり、改善速度も顕著で、フナドジョウが放流できるようになった[11]1967年(昭和42年)4月に「美しい町づくり全国コンクール」最優秀賞を与えられた[12]。浄化活動は現在でも町内会が中心となって続けられている。初等教育の分野においては、北六番町小学校の北六梅田川プロジェクトが流域の調査と観察に取り組み、文部科学大臣賞・環境大臣賞を受賞するなどの評価を受けた。

その後、1985年頃をピークとして再び悪化したが、1980年代後半にいっそうの改善が進み、見た目にも汚れた川ではなくなった[13]。まれにサケが遡上して、水質浄化の表れとして地域の話題となる事もある。2018年度調査での生物化学的酸素要求量(BOD)75%値は、上流の枯木橋で0.5mg/L、下流の福田橋で2.0mg/Lであった[14]

流量は1995年で毎秒0.025立方メートル程度に過ぎず、望ましい維持流量の下限に近い[3]。リフレッシュ梅田川実行委員会等の地域活動では、流量確保の為に天水桶に雨水を貯めて地下水を涵養し、川の水量を増す試みもなされている。

支流[編集]

藤川は青葉区小松島の小松島沼[4]や宮城野区蟹沢の与兵衛沼[4]等を水源とする約1.5kmの流れで、新田大橋付近で梅田川に合流する。またもう一つの支流は安養寺堤に発する高野川[3]、扇町橋付近で梅田川に合流する約3.9kmの流れである。

  • 仙台川放水路(分流)
  • 藤川(ふじかわ)
  • 高野川(こうやがわ)

橋梁[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 八十田・岡田「都市小河川における小支流の現状と流入水の実態」、237頁、242頁注2。
  2. ^ 仙台北部 2万5千分の1地図(復建技術コンサルタント「造成宅地地盤図」)によると、造成前の中山における分水嶺は概ね現在の仙台市道青葉533号・通町中山線だった。
  3. ^ a b c 佐藤昭典『梅田川を行く 前編 (河川編)』(1997a)p140-142,p37,p154。
  4. ^ a b c d e f g 佐藤昭典『梅田川を行く 後編 (丘陵編・水文化編)』(1997b)p192-195,p197-198,p199-200,p202-205,p25-27,p141-145,p99-137。
  5. ^ 八十田・岡田「都市小河川における小支流の現状と流入水の実態」、238頁。
  6. ^ a b 八十田・岡田「都市小河川における小支流の現状と流入水の実態」、237頁。
  7. ^ 『創業百年以上 仙台のしにせ』17頁。
  8. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)311頁。
  9. ^ 『仙台市史』続編第1巻444-451頁。
  10. ^ 『仙台市史』続編第1巻248頁には1964年10月に「梅田川浄化推進協議会」が結成されたとあるが、『仙台市史』通史編6(現代1)312頁には1965年3月に「東部地区梅田川河川環境浄化推進協議会」が結成されたとある。
  11. ^ 『仙台市史』続編第1巻248頁では放流は1965年、『仙台市史』通史編6(現代1)312頁では1966年。
  12. ^ 『仙台市史』続編第1巻249頁。
  13. ^ 『仙台市の環境』(平成19年度実績報告書・概要版)8頁
  14. ^ 『仙台市の環境』(平成30年度実績報告書)30頁。

参考文献[編集]

  • 仙台市環境局環境部環境管理課『仙台市の環境』(平成19年度実績報告書・概要版)、仙台市、2008年。
  • 仙台市環境局環境部環境企画課『仙台市の環境』杜の都環境プラン(仙台市環境基本計画)、平成30年度実績報告書、2019年11月。
  • 仙台市史続編編纂委員会『仙台市史』続編第1巻(行政建設編)、仙台市、1969年。
  • 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編8(現代1)、仙台市、2011年。
  • 仙台のしにせ編纂委員会『創業百年以上 仙台のしにせ』(仙台商工会議所創立100周年記念)、仙台商工会議所、1992年。
  • 八十田淳・岡田誠之「都市小河川における小支流の現状と流入水の実態 仙台市梅田川の上流域の場合」、『日本建築学会技術報告集』、第19巻第41号、237 - 242頁、2013年2月。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]