桂文三 (2代目)

2代目 (かつら) 文三(ぶんざ)
2代目 桂(かつら) 文三(ぶんざ)
別名 提灯屋の文三
生年月日 1859年
没年月日 1891年5月7日
出身地 日本の旗 日本大阪
師匠 3代目桂文吾
2代目桂文枝
名跡 1. 2代目小文吾(? - 1884年)
2. 2代目桂文三(1884年 - ?)
3. 3代目林家木鶴(? - 1888年)
4. 2代目桂文三(1888年 - 1891年)
活動期間 ? - 1891年
活動内容 上方落語
配偶者 おさん(笑福亭鶴八の娘)
家族 2代目林家木鶴(養父)
所属 桂派
主な作品
三枚起請
菊江仏壇

2代目 桂 文三(かつら ぶんざ、1859年(逆算) - 1891年5月7日)は、落語家上方噺家)。俗に「提灯屋の文三」という。本名不詳。享年32。

来歴[編集]

淡路町難波橋角の提灯屋の息子として生まれる。初め3代目桂文吾の門下で2代目小文吾を名乗る。後、2代目桂文枝(後の桂文左衛門)の門下へ移り、1884年10月、師匠の前名である2代目文三を襲名。師の信頼の篤かったことが伺われる。16日より淡路町幾代、曽根崎幾代、賑江亭で襲名披露を行なった。

その後、2代目林家木鶴の養子となり、3代目木鶴を継ぐも名前負けし病気になり、1888年に再び文三に複名した時に、「還名御披露嘉入尽し 大都会ぶし」という摺物がある。若くして亡くなった。

落語界には珍しい美男子で、北新地の芸妓との艶聞が新聞に載ったこともあるという。2代目桂南光(後の桂仁左衛門)、初代桂小文枝(後の3代目桂文枝)、2代目小文吾時代の文三を「三人兄弟」と呼び、注目の若手であった。神戸漆亭での活躍が全盛期だったという。若旦那風のおっとりとした口調で、上手であったと伝える。

ちなみに、妻・おさんは笑福亭鶴八の娘で囃子方の名人だったが、夫婦で演じる『立ち切れ線香』は絶品であったという。なお、おさんは文三の死後に2代目三遊亭圓馬の妻となっている。

墓所は養父の2代目木鶴と同じ大阪四天王寺(壽法寺)。

主に茶屋噺を得意とした、ネタは『三枚起請』『菊江仏壇』得意とした。

また、5代目笑福亭松鶴の父と親交が厚く、5代目松鶴が落語界に入るきっかけを作ったという。

出典[編集]

  • 『落語系圖』(月亭春松編)
  • 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)