桂園派

香川景樹
「桂園」は景樹のに由来する

桂園派(けいえんは)は、江戸時代後期の歌人香川景樹1768年 - 1843年)に代表される和歌の流派。堂上公家だった清水谷実業から地下の香川家に伝えられた二条派の分流でもある。

沿革[編集]

賀茂真淵1679年 - 1769年)らが『万葉集』尊重を主張したのに対し、景樹らは『古今和歌集』を尊重することを主張した[1]。その歌風は平易を尊び、声調を重んじるもので、京阪神畿内)地域を中心に流行した[1]

門下には、内山真弓高島章貞木下幸文熊谷直好など数多くいる。特に木下と熊谷は「桂園派の双璧」といわれた[1]。また、内山が執筆した『歌学提要』(天保14年〈1843年〉成立、嘉永3年〈1850年〉刊行)は、景樹の説いた歌論を、雅俗、趣向、題詠、歌詞など18章に分け組織的に門人に説いたもので、桂園派唯一の体系的歌論書とされた。

正岡子規
香川景樹とその門弟などの和歌を槍玉に挙げるなど、古今集的な和歌を批判した[2]

やがて明治政府が成立すると、八田知紀高崎正風が召しだされ、前者は歌道御用掛に、後者は御歌所初代所長に任じられ、宮内省派・御歌所派とも称された。しかし、明治30年前後において、与謝野鉄幹ら和歌の革新を求める人々から、桂園派を中心とした歌壇は批判を受けるようになる[注 1]。とりわけ正岡子規新聞日本』に連載した『歌よみに与ふる書[4][注 2]、『古今和歌集』の評価を著しく下げる結果となり[3]自然主義文学観と相俟って桂園派の衰退に大きく影響した[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 明治30年代は西洋文化を旺盛に摂取した時代であり、古い伝統的な権威を否定して「個」を尊重する理念を多分に受容している[3]
  2. ^ 同じく『日本』に連載した『歌話』[4]の中でも、子規は景樹を筆頭とする桂園派歌人を批判している。

出典[編集]

  1. ^ a b c 田中康二 (2011), pp. 194–196.
  2. ^ a b 田中康二 (2000), p. 116(初出:田中康二 1996
  3. ^ a b 寺澤行忠 (2013), pp. 349–351.
  4. ^ a b 『子規全集』第7巻(講談社、1975年)所収。

参考文献[編集]

図書
  • 田中康二『村田春海の研究』汲古書院、2000年12月。ISBN 4762934321 
論文
  • 田中康二「村田春海の古今風和歌:『琴後集』一〇五一を中心に」『解釈』第42巻第3号、1996年3月。 
  • 田中康二 著「県居派・江戸派・桂園派の歌人たち:江戸時代中・後期」、鈴木健一鈴木宏子 編『和歌史を学ぶ人のために』世界思想社、2011年8月、178-196頁。ISBN 9784790715337 
  • 寺澤行忠「子規の『古今集』批判をめぐって:日本文学にみる美的理念」『東アジアにおける知的交流:キイ・コンセプトの再検討』第44巻、国際日本文化研究センター、2013年11月、343-351頁。 

関連文献[編集]

  • 兼清正徳『桂園派歌人群の形成』史書刊行会、1972年。
  • 兼清正徳『桂園派歌壇の結成』桜楓社、1985年4月。
  • 兼清正徳『京都の桂園派歌人たち』山口書店、1990年12月。ISBN 4841107088