栄松院 (小出秀政室)

栄松院(えいしょういん、生年不詳 - 慶長13年12月13日1609年1月18日))は、戦国時代の女性[1]

略歴[編集]

関兼貞の子とされ、豊臣秀吉にとっては母方の叔母に当たる [1]

小出秀政の正室となり、子に小出吉政小出秀家らをもうけた。

慶長13年(1608年)死去。法名 栄松院日寿。墓所は京都五条本圀寺 [2]

参考文献[編集]

  • 『キャラ絵で学ぶ!徳川家康図鑑』(すばる舎、2022年、107p)
  • 『園部町史: 史料編 - 第 2 巻』(園部町、1975年、4p)

脚注[編集]

  1. ^ a b すばる舎 2022, p. 107.
  2. ^ 園部町 1975, p. 4.