林春雄

林 春雄
人物情報
生誕 (1874-02-25) 1874年2月25日
日本の旗 日本 愛知県
死没 1952年1月1日(1952-01-01)(77歳)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 薬理学毒物学
研究機関 京都帝国大学福岡医科大学、東京帝国大学
学位 医学博士
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林 春雄(はやし はるお、1874年明治7年)2月25日 - 1952年昭和27年)1月1日)は薬理学者。東京帝国大学医学部薬物学教室の第二代教授。東京帝国大学名誉教授貴族院議員。

経歴[編集]

1874年、愛知県で生まれた。1881年に、林茂雄の養子となった。1897年に東京帝国大学医学部を首席で卒業し、学士号を取得。

1900年に[東京帝国大学助教授に就いた。1902年から1905年まで3年間、薬理学ならびに毒物学研究のためにドイツ留学を命じられ、シュトラースブルク大学に留学した[1]。1905年に帰国した後は、京都帝国大学福岡医科大学(現九州大学)助教授となった。1905年7月、医学博士の学位を取得。1908年、東京帝国大学に薬理学第二講座が開設されて二講座制になると、、林は同大学に転じて第二講座を担任した[2]。翌1908年に教授昇格。大学では、薬物学を中心に研究に従事した。1927年、日本薬理学会の初代年会長に就任。1934年に東京帝国大学を退任した。退官後の1937年からは、逓信病院の初代院長、翌年には国立公衆衛生院の初代院長、日本薬理学会初代会長などを務めた。

戦後

1946年(昭和26年)7月8日、貴族院勅選議員に任じられた[3]同和会に所属し、1947年(昭和27年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[4]1952年に死去。墓所は雑司ヶ谷霊園にある。

栄典[編集]

家族・親族[編集]

  • 父:二宮巖橿は愛知県士族[6]

著作[編集]

  • 『薬理学』吐鳳堂書店、明治34年(1901年

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

脚注[編集]

  1. ^ 1871年に普仏戦争プロイセンが勝利して以降、アルザス=ロレーヌ地方はドイツ帝国領。再びフランス領となるのは1919年、第一次世界大戦でフランスが勝利して以降。
  2. ^ 第一講座は高橋順太郎(東京帝国大学初代薬物学教授)が担当した。
  3. ^ 『官報』第5847号、昭和21年7月12日。
  4. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』154頁。
  5. ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。
  6. ^ 『人事興信録』第4版

関連人物[編集]