松木範彦

 
松木 範彦
時代 江戸時代後期
生誕 1773年安永2年)
死没 1835年9月1日天保6年閏7月9日
官位 正三位非参議
主君 光格天皇仁孝天皇
氏族 度会松木家
父母 父:松木栄彦
子供 朝彦
奉職神社 豊受大神宮
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松木 範彦(まつき のりひこ、安永2年〈1773年〉 - 天保6年閏7月9日1835年9月1日〉)は、江戸時代後期に活動した神職公卿正三位

生涯

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安永2年(1773年)、松木栄彦の子として生まれる[1]

文化11年5月24日1814年7月11日)、従三位に叙され、公卿非参議)に列せられた[2]。このとき、外宮四禰宜だったが、文化13年7月22日1816年8月15日)に外宮一禰宜松木言彦が職を辞したことにより[3]、一階昇進し外宮三禰宜となった[4]。さらに文政2年5月10日1819年7月1日)に外宮二禰宜久志本常全が薨去したことを受けて[5]、一階昇進し外宮二禰宜となった[6]

文政8年11月4日1825年12月13日)、外宮一禰宜曽禰朝栄が薨じ[7]、ついに外宮一禰宜に昇進、文政9年6月8日1826年7月12日)、正三位に陞った[8]。文政10年8月21日1827年10月11日)、長男朝彦が生まれた[1]

天保3年7月25日1832年8月20日)、一禰宜を辞した[9]

天保6年閏7月9日1835年9月1日)、63歳で薨去した[1][10]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成』下巻, p. 580.
  2. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 229, 光格天皇文化十一年条.
  3. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 241, 光格天皇文化十三年条.
  4. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 250, 光格天皇文化十四年条.
  5. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 263, 仁孝天皇文政二年条.
  6. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 270, 仁孝天皇文政三年条.
  7. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 303, 仁孝天皇文政八年条.
  8. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 311, 仁孝天皇文政九年条.
  9. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 350, 仁孝天皇天保三年条.
  10. ^ 『公卿補任』第五篇, p. 368, 仁孝天皇天保六年条.

参考文献

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