松平親則 松平 親則(まつだいら ちかのり、永享10年(1438年) - 寛正2年10月1日(1462年11月3日))は、室町時代の武将。 松平信光の子。長沢松平家の祖。通称 源七郎、備中守[1]。妻は愛知氏の女。子に松平親益。 略歴[編集] 松平信光より三河国額田郡岩津城を給わり、後に宝飯郡長沢に長沢城を築いて移住した[2]。寛正2年(1462年)10月1日に死去、享年25。法名は祥公。[3]。 参考文献[編集] 『寛政重修諸家譜-1輯』(国民図書、1922年、204p) 脚注[編集] ^ “長沢松平家”. 2022年9月14日閲覧。 ^ 国民図書 1922, p. 204. ^ 国民図書 1922, p. 172. 外部リンク[編集] 『松平親則』 - コトバンク この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集