松岡満寿男

松岡 満寿男
まつおか ますお
生年月日 (1934-10-04) 1934年10月4日(89歳)
出生地 満洲国の旗 満洲国新京市
出身校 早稲田大学政治経済学部卒業
前職 八幡製鉄社員
現職 中国工業株式会社代表取締役社長
所属政党自由民主党→)
日本新党→)
新進党→)
無所属の会→)
民主党
称号 政治経済学士(早稲田大学・1963年
旭日重光章
親族 父・松岡三雄
大叔父・松岡洋右
義父・坂本実
又従兄・佐藤信二

山口県光市
当選回数 3回
在任期間 1971年 - 1982年

選挙区 山口県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1983年 - 1989年
1998年 - 2004年

選挙区 旧山口2区
当選回数 1回
在任期間 1993年 - 1996年
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松岡 満寿男松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年昭和9年〉10月4日[1] - )は、日本政治家参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)、山口県光市長(3期)を務めた。

経歴[編集]

旧・満洲国生まれ。戦後、山口県光市にて育つ。満寿男の名は大叔父の松岡洋右が「満洲の満、ジュネーブ(寿府)の寿から名づけた[2]山口県立光高等学校全日制普通科卒業。早稲田大学政治経済学部卒業。

早稲田大学を卒業後、八幡製鐵(現日本製鉄)に勤めていたが、1971年昭和46年)に父三雄が市長在職のまま急逝し、後任の光市長候補に担ぎ出され、36歳で初当選した。その後3回当選し、行政経験のない世襲の新米市長だったが多くの功績を残した。このときの市長秘書末岡泰義は、松岡が国政に進んだ後も市役所を退職して地元秘書として仕え、その後光市長に4回当選し、2008年11月13日で退任した。

1983年の参議院選挙山口県選挙区から自民党公認で立候補、当選する。在任中に労働省政務次官を務めた。しかし1989年の選挙では反消費税旋風の中で日本社会党公認の山田健一に大敗した。

1992年平成4年)の山口県知事選挙に無所属・社民連推薦で立候補し、5選を目指す自民党・公明党推薦で無所属現職の平井龍に挑んだが僅差で落選した。

1993年の衆議院選挙旧山口2区から無所属日本新党推薦で立候補、トップ当選する。細川護煕代表の側近として党代表幹事で活躍したが、小選挙区制になった1996年の選挙では山口2区で又従兄にあたる自民党の佐藤信二に僅差で敗れた。

1998年の参議院選挙で山口県選挙区に無所属で立候補、自民党公認の合志栄一に大差をつけて当選した。無所属の会に長く属したが、任期満了間際に民主党に入党、任期満了とともに政界を引退した。このとき後継指名した民主党公認・元山口県副知事大泉博子は、安倍晋三実弟の自民党公認岸信夫に惜敗した。安倍、岸とも松岡の遠縁に当たる。

南満洲鉄道の旧関係者の団体である財団法人満鉄会の理事長を務めた。

逸話[編集]

山口出身のためか、新撰組のことを快く思っておらず、2004年の参議院総務委員会で、新撰組を「テロリスト集団」と呼び、大河ドラマ新選組!』に対して苦言を呈したことがある[3]

現在[編集]

  • 現在は光市室積の自宅で暮らし、父三雄が創業した光市浅江の中國工業株式会社の会長を務める傍ら、趣味の陶芸や絵画、書道に打ち込んでいる。これらの趣味は市長在職中からのもので、今も個展を開いたり、グループ展に出展して一定の評価を得ている。
  • 自宅近くには松岡洋右の記念碑、光市民ホール前庭には松岡三雄の胸像がある。

年譜[編集]

政歴[編集]

栄典[編集]

家族・親族[編集]

著書[編集]

  • 「時艱直視」JPG 2004年
  • 「句集 佳日」東京四季出版 2016年

脚注[編集]

議会
先代
吹田愰
日本の旗 衆議院安全保障委員長
1996年
次代
伊藤英成
先代
岡田利春
日本の旗 衆議院労働委員長
1993年 - 1995年
次代
笹山登生
公職
先代
松岡三雄
光市旗 山口県光市長
1971年 - 1982年
次代
水木英夫