東横学園女子短期大学

東横学園女子短期大学
大学設置 1956年
創立 1938年
廃止 2009年
学校種別 私立
設置者 学校法人五島育英会
本部所在地 東京都世田谷区等々力8-9-18
学部 ライフデザイン学科
保育学科
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東横学園女子短期大学(とうよこがくえんじょしたんきだいがく、英語: Toyoko Gakuen Women's College)は、東京都世田谷区等々力8-9-18に本部を置いていた日本私立大学である。1956年に設置され、2009年に廃止された。大学の略称は東横短。

概観[編集]

大学全体[編集]


教育および研究[編集]

学風および特色[編集]

  • 東横学園女子短期大学は、東急グループ(傘下の学校法人五島育英会が運営)に属する短大の一つであった。
  • 全国の短大で初めて、昼間部3年制の保育系学科を設置した。

沿革[編集]

詳しい沿革は関連項目である東京都市大学等々力中学校・高等学校を参照。

  • 1938年 目黒蒲田電鉄(現在の東京急行電鉄)の総帥であった五島慶太が東横商業女学校を創設。
  • 1956年 東横学園の高等教育機関として東横学園女子短期大学開学。家政科を置く。
  • 1966年 学科を増設する。 
    • 国語国文科[1]学生募集は1996年度まで。
    • 英語英文科[2]学生募集は1996年度まで
  • 1969年 家政科を専攻分離する。募集はそれぞれ1990年度まで。
    • 家政学専攻
    • 食物栄養学専攻
  • 1991年 家政学科を改組して生活学科を設置(専攻課程なし)
  • 1997年 国語国文科、英語英文科を統合改組して言語コミュニケーション学科を設置。
  • 2004年 保育学科を新設、言語コミュニケーション学科の募集停止。
  • 2005年 生活学科を改組してライフデザイン学科を設置。
  • 2007年度を最後に学生募集を終了。
  • 2009年 東京都市大学となり、社会科学系の都市生活学部都市生活学科と人間科学部児童学科を設置。

基礎データ[編集]

所在地[編集]

  • 本部キャンパス(東京都世田谷区等々力8-9-18)

交通アクセス[編集]

教育および研究[編集]

組織[編集]

学科[編集]

  • ライフデザイン学科
  • 保育学科:昼間部3年制となっていた。
学科の変遷[編集]
  • 家政学科→生活学科→ライフデザイン学科
    • 家政学専攻:募集は1990年度まで
    • 食物栄養学専攻:募集は1990年度まで
  • 国語国文学科(募集は1996年度まで)→言語コミュニケーション学科
  • 英語英文学科(募集は1996年度まで)→同上
  • 保育学科

専攻科[編集]

  • なし

別科[編集]

  • なし
取得資格について[編集]
資格
  • 保育士:保育学科にて取得できるようになっている。
  • 栄養士:かつての家政学科食物栄養学専攻にて設置されていた。
教職課程
  • 幼稚園教諭二種免許状:保育学科にて取得できるようになっている。
  • かつて、中学校教諭二種免許状が設置されていた。
    • 国語:かつての国語国文科にて設置されていた。
    • 英語:かつての英語英文科にて設置されていた。
    • 家庭:ライフデザイン学科の前身である家政学科家政学専攻にて設置されていた。

附属機関[編集]

  • 女性文化研究所
  • 子育て支援センター

教育[編集]

  • 現代的教育ニーズ取組支援プログラム
    • 「保育者養成のモデルとなり得る優れた教育プログラム」として採択されていた

学生生活[編集]

部活動・クラブ活動・サークル活動[編集]

学園祭[編集]

  • 東横学園女子短期大学の学園祭は「桐華祭」と呼ばれ毎年、概ね10月中旬頃に行われていた。

大学関係者と組織[編集]

大学関係者一覧[編集]

出身者[編集]

施設[編集]

キャンパス[編集]

  • 1号館・2号館・3号館・体育館ほかテニスコート(アーバンコート・クレイコートの2つがあった)などがあった。ちなみに図書館(およそ180,000冊が所蔵されていた)・学生食堂・子育て支援センター「ぴっぴ」は3号館にあった。

対外関係[編集]

他大学との協定[編集]

アメリカ[編集]

イギリス[編集]

オーストラリア[編集]

日本[編集]

関係校[編集]

系列校[編集]

社会との関わり[編集]

  • 子育て支援センター「ぴっぴ」を活用することで、地域との交流を図っていた。

卒業後の進路について[編集]

就職について[編集]

編入学・進学実績[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 当初の在学者数は80人となっている。
  2. ^ 当初の在学者数は131人となっている。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]