東明慧日

東明慧日(とうみょう えにち、咸淳8年(1272年)- 暦応3年/興国元年10月4日1340年10月25日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての曹洞宗の僧。中国代の明州定海県の出身の渡来僧。俗姓は沈。法諱は慧日。号は東明。

生涯[編集]

9歳で大同寺に出家し、17歳で受戒した。天寧寺の直翁徳挙に師事して学び、諸国を遊学の後、明堂の白雲寺に住した。延慶2年(1309年)、鎌倉幕府執権北条貞時の請来により来日。翌延慶3年(1310年)、鎌倉禅興寺に住した。延慶4年(1311年)、円覚寺に移り、その後は山内に白雲庵を建てて隠居したが、その後も寿福寺建長寺の住持を歴任し、円覚寺に戻った。