不羹

不羹(東不羹・西不羹)
不詳 - 不詳
国姓 嬴姓
滅亡原因 により滅亡
史書の記載春秋左氏伝
周朝諸侯国一覧
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不羹(ふろう)[1]は、先秦の小規模な諸侯国。国君は嬴姓であり、少昊の末裔とされている。によって滅亡した。

不羹は春秋時代には楚の邑となっている。紀元前531年に楚の霊王陳地蔡地・不羹の城墻を修築したという記述がある[2]。不羹は東と西の二城があり、東不羹城は現在の河南省漯河市舞陽県北西に位置し[3]、西不羹城は現在の河南省許昌市襄城県の南東20キロメートルに位置する。『漢書』地理志には潁川郡定陵県に東不羹が、潁川郡襄城県に西不羹があったと記されている[4]

脚注[編集]

  1. ^ 《中国古今地名大辞典》1931年. 100頁 不羹詞条:羹音郎
  2. ^ 春秋左氏伝』昭公十一年:“楚子城陳・蔡・不羹。”
  3. ^ 水経』滍水注:“東径東不羹亭南,亭北背汝水。”
  4. ^ 杜預注:“襄城県東南有不羹城,定陵県西北有不羹亭。”

参考文献[編集]

  • 《中国歴史大辞典》