本多助有

 
本多助有
時代 江戸時代中期
生誕 正徳4年(1714年)6月
死没 元文2年9月20日1737年10月13日
別名 熊五郎、靭負(別名)
戒名 大演院殿照誉普山道栄大居士
墓所 東京都港区六本木の教善寺
官位 従五位、伊勢
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
信濃飯山藩
氏族 本多氏
父母 父:本多助芳、母:小笠原長重の養女
養父:本多康明
兄弟 康明助有
正室諏訪忠虎の娘
養子助盈
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本多 助有(ほんだ すけもち)は、信濃飯山藩の第3代藩主。広孝系本多家7代。

生涯[編集]

正徳4年(1714年)6月、飯山藩の初代藩主・本多助芳の4男として生まれる。享保15年(1730年)に兄で第2代藩主の康明が死去したため、その養子として家督を継いだ。しかし生来から病弱だったため、元文2年(1737年)9月20日に死去した。享年24。

実子がなかったため、分家旗本から助盈を養子に迎え、跡を継がせた。

系譜[編集]

父母

正室

養子