本名武

本名 武
ほんな たけし
生年月日 1911年10月10日
出生地 日本の旗 日本 北海道
没年月日 (1994-04-12) 1994年4月12日(82歳没)
出身校 武蔵高等工科学校
前職 本名木材社長
所属政党北海道政治同盟→)
日本進歩党→)
民主党→)
改進党→)
日本民主党→)
自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章
一級建築士
帯広名誉市民

内閣 第1次田中角栄内閣
在任期間 1972年7月7日 - 1972年12月22日

選挙区 (北海道第5区→)
旧北海道5区
当選回数 10回
在任期間 1946年4月10日 - 1947年3月31日
1953年4月19日 - 1979年9月7日
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本名 武(ほんな たけし、1911年10月10日 - 1994年4月12日)は、日本政治家衆議院議員(通算当選10回)。三木武夫直系の政治家として知られている。

来歴・人物[編集]

北海道帯広市出身。旧制帯広中学校(現・北海道帯広柏葉高等学校)を経て1932年に武蔵高等工科学校(のちの新制武蔵工業大学、現東京都市大学)を卒業。本名木材社長を経て1942年帯広市議会議員に当選。1946年第22回衆議院議員総選挙に北海道政治同盟公認で立候補し初当選(当選同期に小坂善太郎二階堂進江﨑真澄小沢佐重喜石井光次郎坂田道太水田三喜男川崎秀二井出一太郎早川崇など)。北海道政治同盟は日本進歩党系の地域政党だったため当選後は進歩党に所属。その後3回落選したが、1953年第26回衆議院議員総選挙改進党公認で立候補し当選。

政界に返り咲いてからは三木と行動を共にし、日本民主党を経て保守合同により自由民主党が結成されてからは三木派に所属。1972年第1次田中角栄内閣総理府総務長官沖縄開発庁長官として入閣。1979年第35回衆議院議員総選挙に落選し、政界引退。地盤は北村義和が引き継いだ。1994年4月12日、老衰のため死去。享年82。

1963年に本名と同じ旧北海道5区から中川一郎が初当選して以来、十勝・帯広保守政界は本名派と中川派に2分された。木材会社の息子として生まれ、ハト派でおとなしい本名に対し、貧農の息子として生まれ、タカ派で暴れん坊の中川と、この2人は同じ十勝・帯広を地盤とした自民党の政治家でありながら生い立ち・思想・性格が対照的であった。

外部リンク[編集]

公職
先代
山中貞則
日本の旗 総理府総務長官
第21代:1972年
次代
坪川信三
先代
山中貞則
日本の旗 沖縄開発庁長官
第2代:1972年
次代
坪川信三
議会
先代
中川俊思
日本の旗 衆議院農林水産委員長
1967年
次代
足立篤郎
先代
佐藤虎次郎
日本の旗 衆議院逓信委員長
1962年 - 1963年
次代
加藤常太郎
先代
小泉純也
日本の旗 衆議院外務委員長
1960年
次代
堀内一雄