木場貞寿

木場 貞寿(こば さだひさ)、1906年2月21日 - 1996年8月14日)は、実業家

略歴[編集]

東京帝国大学(現、東京大学)工学部機械工学科卒。父は近代日本教育制度確立に貢献した木場貞長(こばさだたけ)。昭和4年(1929年)三菱商事に入社、昭和8年(1933年)から4年半に亘り、三菱商事ベルリン支社勤務、昭和29年(1954年)7月、米国三菱商事会社取締役副社長に就任、帰国後は三菱商事名古屋支店長、同社取締役機械第3部長、取締役機械輸出部長、取締役機械総合部長、機械本部長等を経て、昭和44年(1969年)には専務取締役。その後、昭和46年(1971年)から三菱事務機械株式会社取締役社長、次いで相談役ののち、昭和56年(1981年)に引退。これらと並行して昭和52年からは株式会社東京国際貿易センター取締役社長を務めた。

趣味も多彩、特にゴルフを得意とし、生涯にホールインワンを4回している。。

妻は、久原房之助の片腕となって小坂鉱山(のち日立鉱山)銅精錬に成功した日本鉱業社長、竹内維彦の長女、董子(まさこ、1906年5月8日1976年12月12日)。 子供は、長男貞雅、長女淳子。孫に木場澄江がいる。

著書[編集]

翻訳書[編集]

  • 1941年 Gerold von Minden ゲロルド・フォン・ミンデン著『大独逸国の経済指導』[1] 木場貞寿訳、五山堂書店、明善社
  • 1957年「貿易の第一線で思うこと」木場貞寿訳 [2] 文芸春秋社


外部リンク[編集]

  • 「Japanische Studenten an der Berliner Universität 1920-1945」Rudolf Hartmann(ルドルフ・ハルトマン著 1920年から1945年のベルリン大学、日本人学生名簿 [3]