朕は国家なり

1654年(16歳頃)のルイ14世。ユストゥス・ファン・エフモント画、17世紀、アンブラス城蔵。

朕は国家なり(ちんはこっかなり、フランス語: L'État, c'est moi[注 1]、レタ・セ・モア)は、17世紀フランス絶対王政(絶対主義、絶対君主制)を象徴する言葉である[1]

1655年4月13日親政開始前のルイ14世が、最高司法機関高等法院王権に服させるために発したとされる[1][2]。当時、「そんな事をなさっては国民と国家の為になりません」と諫めた高等法院側に対して「国民だけでいい。朕こそが国家だ」と言い放ったという。ヴォルテールルイ14世の時代フランス語版』(1751年)[注 2]にこの逸話が登場する。史実は異なる[2]ものの、彼はこの言葉に集約されるように、王権神授説を利用し、官僚制強化・中央集権化を推し進めて、フランス絶対王政の絶頂期を築いた[3][4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 直訳:国家、それは私である
  2. ^ 日本語版:丸山熊雄訳『ルイ十四世の世紀』4分冊、岩波文庫、1958年 - 1983年

出典[編集]

  1. ^ a b "朕は国家なり". デジタル大辞泉. コトバンクより2020年7月9日閲覧
  2. ^ a b Le saviez-vous ? L’Etat c’est moi” (フランス語). 国防省 (2018年11月21日). 2020年5月16日閲覧。
  3. ^ "ルイ[14世]". 百科事典マイペディア. コトバンクより2020年7月9日閲覧
  4. ^ "王権神授説". 旺文社世界史事典 三訂版. コトバンクより2020年7月9日閲覧