有間町

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有間町
有間町内から望む矢作川
有間町内から望む矢作川
有間町の位置
有間町の位置
有間町の位置(愛知県内)
有間町
有間町
有間町の位置
北緯35度13分15.6秒 東経137度19分44.6秒 / 北緯35.221000度 東経137.329056度 / 35.221000; 137.329056
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
市町村 豊田市
地区 旭地区
町名制定 2005年平成17年)4月1日
面積
 • 合計 1.95 km2
人口
2019年(令和元年)7月1日現在)[1]
 • 合計 112人
 • 密度 57人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
444-2827[2]
市外局番 0565(豊田MA[3]
ナンバープレート 豊田

有間町(あんまちょう)は、愛知県豊田市の地名。

地理[編集]

豊田市の北東部にあり、矢作川が複雑に湾曲するところの左岸に沿っている。旭地区(旧東加茂郡旭町の町域にほぼ相当する)に属する。北で榑俣町、北東で上中町島崎町、東で小渡町小田町、南で大坪町、南西で笹戸町、北西で平畑町と隣接する。人家は主として町域西部、及び宇内戸(うないと)と呼ばれる町域北部に、それぞれ点在している。 産業は農林業が中心である[4]。また、兼業農家が多数を占める[5]

字一覧[編集]

  • 赤坂(あかさか)[6]
  • 池ハサ(いけはさ)[6]
  • 石田(いしだ)[6]
  • 一二洞(いちにがほら)[6]
  • 入之洞(いりのほら)[6]
  • 有洞(うとう)[6]
  • 宇内戸(うないど)[6]
  • 大平(おおひら)[6]
  • 折々地(およじ)[6]
  • カムリ[6]
  • 川脇(かわき)[6]
  • 木和田(きわだ)[6]
  • 桑凹(くわくぼ)[6]
  • 桜凹(さくらくぼ)[6]
  • 下平(しもだいら)[6]
  • 尺寸(しゃくじ)[6]
  • 惣作(そうさく)[6]
  • 空山(そらやま)[6]
  • 竹ノ下(たけのした)[6]
  • 寺ノ下(てらのした)[6]
  • 仲田(なかだ)[6]
  • 中通(なかどおり)[6]
  • 前平(まえひら)[6]
  • 見竹(みたけ)[6]
  • 峰垣戸(みねがいと)[6]
  • 峰ケ洞(みねがほら)[6]
  • 簗ケ崎(やながさき)[6]
  • 山本(やまもと)[6]
  • 横手(よこて)[6]
  • 横手下(よこてした)[6]

歴史[編集]

沿革[編集]

  • 江戸期には有間村として三河国加茂郡に所属していた[4]
  • 1635年寛永12年)当時- 栗原藩領であった[7]
  • 1638年(寛永15年)- 栗原藩が廃絶。以後、有間村では領主の激しい交代が行われたという[7]。また、幕府直轄地になったとも言われる[4]
  • 1681年天和元年)- 旗本本多忠周知行地となる。
  • 1878年明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が東加茂郡と西加茂郡に分割される。それに伴い、所属が加茂郡から東加茂郡に変更される[4]
  • 1889年(明治22年)10月1日- 町村制施行により、有間村、菊田村、東加塩村、押井村、万根村、榊野村、杉本村、笹戸村、市平村、池島村、東萩平村、大坪村が合併して東加茂郡野見村が誕生し[8]、有間村は野見村大字有間に変更される[4]
  • 1906年(明治39年)5月1日- 野見村、介木村、生駒村、築羽村が合併して旭村が誕生し[9]、野見村大字有間は旭村大字有間に変更される[4]
  • 1912年(明治45年)- 杉本から旧菊田村の地域を編入する[4]
  • 1949年昭和24年)- 旧菊田村の地域と小田地区(小田(こだ)、宮ノ前(みやのまえ)、ハサマ、扇田(おおぎだ)の5字[10])が分離する[4]
  • 1967年(昭和42年)4月1日- 旭村が町制を施行し旭町になる。これに伴い、住所表示が旭町大字有間に変更される[4]
  • 2005年平成17年)4月1日- 旭町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市有間町に変更される。

世帯数と人口[編集]

2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
有間町 40世帯 112人

人口の変遷[編集]

国勢調査による人口の推移

2005年(平成17年) 121人 [11]
2010年(平成22年) 113人 [12]
2015年(平成27年) 116人 [13]

学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]

番・番地等 小学校 中学校
全域 豊田市立小渡小学校 豊田市立旭中学校

寺社[編集]

  • 白鳥神社
旧有間村村社。1472年文明4年)の棟札が残っている[7]

文化財[編集]

散布地[編集]

  • 竹ノ下(たけのした)遺跡[15]
  • 宇内戸(うないと)遺跡[15]
  • 桑凹(くわくぼ)遺跡[15]
いずれの遺跡も縄文時代のものである。

その他墓[編集]

  • 山本第1古墓[16]
中世時代の古墓である。

その他[編集]

町域の各所に宝篋印塔五輪塔など7基が散在するが、そのうち完全な形で残っているものは、山本にある五輪塔2基、及び桑凹の五輪塔1基とされる。[7]

その他[編集]

日本郵便[編集]

脚注[編集]

出典
  1. ^ a b c 豊田市の人口 2019年7月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数”. 豊田市 (2019年7月11日). 2019年7月15日閲覧。
  2. ^ a b 有間町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 126.
  5. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1999.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 愛知県豊田市有間町の住所一覧”. ゼンリン. 2024年3月29日閲覧。
  7. ^ a b c d 有限会社平凡社地方資料センター 1981, p. 931.
  8. ^ 『豊田加茂の地名』:20ページ
  9. ^ 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:21ページ
  10. ^ 『豊田加茂の地名』:70ページ
  11. ^ 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年3月23日閲覧。
  12. ^ 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年3月23日閲覧。
  13. ^ 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
  14. ^ 2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市 (2019年6月26日). 2019年7月15日閲覧。
  15. ^ a b c 埋蔵文化財一覧 散布地(豊田市ウェブサイト、2012年1月9日閲覧)
  16. ^ 埋蔵文化財一覧 その他墓(豊田市ウェブサイト、2012年1月9日閲覧)
  17. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

参考文献[編集]

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5 
  • 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9 
  • 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
  • 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。

外部リンク[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、有間町に関するカテゴリがあります。