最上義守

 
最上 義守
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 大永元年(1521年
死没 天正18年5月18日1590年6月19日
改名 長松丸(幼名)→義守→栄林(法名)
別名 中野殿、出羽殿(尊称
戒名 竜門寺殿羽典栄林義公大居士[1]
墓所 山形県山形市北山形の龍門寺
官位 従四位上、修理大夫出羽
幕府 室町幕府羽州探題
氏族 出羽中野氏最上氏
父母 父:中野義清[1]、養父:最上義定
兄弟 中野義政義守
正室:蓮心院(小野少将、永浦尼)
義光中野義時?、長瀞義保楯岡光直義姫鮎貝忠旨(宗信)室、厳松院
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最上 義守(もがみ よしもり)は、出羽国戦国大名最上氏第10代当主。中野義清(よしきよ)[注釈 1]の子。最上義光の父、伊達政宗の外祖父にあたる。

生涯[編集]

大永元年(1521年)、中野城主・中野義清の二男として生まれる[1]中野氏は最上氏の庶流ではあるが、度々最上氏の当主を輩出する家柄であった。義守が誕生する前年の永正17年(1520年)、最上氏当主で義守の大伯父・義定が嗣子の無いまま死去すると、義定の義兄・伊達稙宗は最上家を傀儡化しようと企てた。同年、上山城主の上山義房が伊達家に反旗を翻すと、口実を得た稙宗は上山・山形・天童・高擶(たかだま)を落とした。最上川西岸で恭順を示さなかった寒河江氏を、翌大永元年(1521年)攻める。この時、伊達軍は葛西・相馬・岩城・会津・宮城・国分・最上の軍勢を集結したという。稙宗は周辺国人と和議を結び傘下に加えたものの最上氏の後継指名においては国人たちの抵抗にあい、妥協して国人の懐柔を図り、大永2年(1522年)中野氏から義守が当主として迎えられ、2歳で家督を継いだ。この年、伊達稙宗侵攻の際に伊達氏に味方したとして、天童頼長立石寺を焼き討ちした。

天文4年(1535年)、先に天童氏の焼き討ちにより荒廃した立石寺を再建させるなど、最上家領内の復興に努めた。この頃の最上氏は伊達氏に事実上服属していたが、天文11年(1542年)に稙宗・晴宗父子の間で天文の乱が発生すると、重臣の氏家定直や谷粕相模守の補佐を受けつつ稙宗方に属して参戦し[2]長谷堂城を奪還して伊達氏から独立し勢力の拡大を図った。さらに長井郡にも進出したが、蘆名氏が晴宗方に転じて形勢が逆転すると義守も晴宗方につき、乱は晴宗方の勝利に終わった。天文12年(1543年)立石寺に対して比叡山延暦寺の分燈を得た。天文15年(1546年)嫡男義光が誕生する。この頃、最上川西岸に割拠する寒河江兼広と庄内大宝寺氏の配下で隠然たる影響力をもつ土佐林禅棟との三者において同盟を結ぶ動きがあったが、失敗に終わった(「土佐林禅棟八月六日付寒河江殿宛書状」)[3][4]永禄3年(1560年)、寒河江城主・寒河江兼広を攻め、勢力拡大に努めるが不首尾に終わった。この年、室町幕府14代将軍足利義輝に使者を送って嫡男の義光に偏諱を賜り、翌永禄4年(1561年)には返礼として義輝にを贈っている。永禄6年(1563年)に義光とともに上洛[5]し、義輝に謁見した。この際御所号[6]で対応された。義光に同族の大崎義直の娘を輿入れさせたほか、永禄7年(1564年)頃、娘(義姫)を伊達輝宗に嫁がせ、永禄10年(1567年)には伊達政宗が生まれている。

元亀元年(1570年)頃、当主の義守と嫡男の義光父子の間で諍いが生じ、義光は立石寺に家督相続を立願する[7]5月に重臣・氏家定直の仲裁で父子が和解し、8月には義光が家督を相続した(翌年とも、永禄年間[8]には既に義守は隠居・出家していたとも)。翌元亀2年(1571年)に隠居の義守は出家して「栄林」と号した。しかし天正2年(1574年)1月、両者の間が再び険悪になる[9]と、伊達氏からの独立傾向を強めていた義光を抑えるべく、伊達輝宗が岳父・義守救援の名目で最上領内に出兵する(天正最上の乱)。天童頼貞白鳥長久・蔵増頼真・延沢満延らが義守・輝宗に同調、義光派の寒河江氏を攻める。寒河江氏も義守側に付き、義守派有利で和睦がされたが義光は敵対勢力を個別に撃破し、寒河江氏も再び義光に伺候する[10]。9月10日には義光に有利な和議が伊達氏と成立し伊達氏も撤兵した。

その後も義守と義光の対立は続いたが、11月に白鳥長久の仲介で和議が結ばれ[11]、義守は菩提寺龍門寺に隠居した[12]

天正18年(1590年)5月18日死去、享年70。義光は父の葬儀により小田原征伐参陣が大幅に遅れたが、徳川家康のとりなしにより本領を安堵された。

系譜[編集]

周辺系図[編集]

 
 
 
 
 
寒河江知広[15]
 
寒河江宗広[16][15]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大崎義直の娘
 
 
 
 
 
 
中野義建
 
中野義清
 
 
蓮心院
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最上義光(11)
 
 
 
 
 
 
最上義淳(8)
 
 
最上義定(9)
 
 
 
 
 
 
最上義守(10)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伊達尚宗
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
義姫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伊達政宗
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伊達稙宗
 
伊達晴宗
 
 
 
 
 
伊達輝宗
 
 
 
 
 
 
 
 
 

逸話[編集]

  • 天正最上の乱の原因として、義守は次男の義時を溺愛し、義光を疎んじて高擶に幽閉したとされる。義光は幽閉先から脱出し、クーデターを起こすとこれに伊達輝宗が干渉し内乱となるが、重臣・氏家定直の仲介で和睦した。しかし定直の死後、再び義守は義光と争って敗れ、強制的に隠居させられたという。後世の創作とする説もある。
  • 一方、義守の隠居は永禄年間に遡らせる説もある。これは、長年元亀元年(1570年)の文書と年代比定されてきた義守が隠居の経緯について触れた、某年5月15日付の義守から伊達氏の重臣・牧野久仲に充てた書状に関して、元亀元年4月に失脚して伊達家から追放された牧野が同年5月に伊達家の家臣として受け取ったことになる矛盾が指摘されたことによる[8]
  • 天正最上の乱の後、当主を引き継いだ義光とは完全に和解したらしく、1583年(天正11年)に義守が危篤状態になったとき、義光は伊達輝宗・妹義姫夫妻らと父のもとを訪れている。そのとき義守が上杉氏や佐竹氏を警戒する訓戒を義光、輝宗の最上・伊達両家当主に与えた[17](なお、1987年のNHK大河ドラマ独眼竜政宗』では、その訓戒を与えたところで義守が他界するという、史実ではない描写が含まれている)。

偏諱を与えた人物[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 中野義建(よしたつ)の子で最上義淳の孫。
  2. ^ 戦火で荒廃した立石寺の大旦那となり再建に尽力し、延暦寺から不滅の法灯を得た[13]
  3. ^ 永浦尼については、永禄6年(1563年)永浦尼が息子最上義光の上洛の道中安全のため奉納したという文殊菩薩騎獅像が現存するが、義定が当主で健在であるのに出家していることから、永浦尼は義守のの姉妹との説もある[14]

出典[編集]

  1. ^ a b c 『系図纂要』『最上家譜』
  2. ^ 「伊達正統世次考」『史料総覧』9編910冊189頁。
  3. ^ 『寒河江市史 上巻』p.755-758
  4. ^ 武田喜八郎「山形・曽根家の中世文書の写本について」『山形県地域史研究』10号、1984年。 
  5. ^ 『言継卿記. 第三』pp.353-354。永禄6年6月14日条。
  6. ^ 伊藤 & 山口 2002, pp. 97–99.
  7. ^ 「立石寺文書」『大日本史料』10編3冊1012頁。元亀元年正月。
  8. ^ a b 粟野敏之「戦国大名最上氏の成立過程-元亀・天正初期の内訌をめぐって-」『史学論集』10号、駒澤大学大学院史学会、1980年。 /所収:竹井英文 編『最上義光』戎光祥出版〈シリーズ・織豊大名の研究 第六巻〉、2017年、57-58頁。ISBN 978-4-86403-257-5 
  9. ^ 伊達輝宗日記/原題天正二年御日日記『大日本史料』10編20冊589頁
  10. ^ 『伊達輝宗日記』/原題天正貳年御日日記『大日本史料』10編23冊259頁。
  11. ^ 伊藤 2016, p. 42.
  12. ^ 伊藤 2016, p. 44.
  13. ^ 伊豆田忠悦「一相坊円海置文」『山形市郷土館 郷土館だより』No.54、1993年9月。 
  14. ^ 粟野俊之(大本山永平寺史料全書編纂室室長)『村山民俗学会 会報』第207号、2009年。 
  15. ^ a b 胡偉権「山形最上氏と中野氏・寒河江大江氏―義光のゆかりを探る」
  16. ^ 快庵良慶長光尼「高野山観音院過去帳」
  17. ^ 『奥羽永慶軍記』最上義光記念館HP、片桐繁雄、2008

参考文献[編集]

  • 七宮ケイ三陸奥・出羽 斯波・最上一族』新人物往来社、2005年。 
  • 伊藤清郎; 山口博之 編『中世出羽の領主と城館』高志書院〈奥羽史研究叢書2〉、2002年。 
  • 伊藤清郎『最上義光』吉川弘文館〈人物叢書〉、2016年。 
  • 国立国会図書館デジタルコレクション 国書刊行会『言継卿記. 第三』1914-1915

外部リンク[編集]