斉藤学

斎藤 学
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県下館市(現在の筑西市
生年月日 (1963-08-12) 1963年8月12日(60歳)
身長
体重
176 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト1位
初出場 1986年4月18日
最終出場 1996年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 福岡ダイエーホークス
    福岡ソフトバンクホークス (2001 - 2006, 2008 - 2023)

斎藤 学(さいとう まなぶ、1963年8月12日 - )は、茨城県下館市(現在の筑西市)出身[1]の元プロ野球選手投手)、コーチ。右投右打。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

下妻一高では1年夏からアンダースローの投手になる[1]。2年夏にエースで県大会準優勝、3年夏はノーヒットノーランも達成してベスト4[2]1982年青山学院大学に進む。東都大学リーグでは3年生の1984年春に2部リーグでMVP、最優秀投手となり、1年上の小川博投手とチームの1部昇格に貢献[1]。4年次の1985年春季1部リーグ戦では8勝3敗で最優秀投手とベストナインに選出された。1部リーグ通算29試合登板15勝10敗、防御率1.69、147奪三振。スライダーシンカーが武器。

1985年のプロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから1位指名を受け入団[1]清原和博の外れ1位だった。

現役時代[編集]

実績のあるアンダースロー投手のため即戦力として期待された。

1986年4月18日にプロ初登板を果たした。しかし、初登板から2日後の4月20日の阪神タイガース戦で掛布雅之死球を与え、掛布は手首を骨折。後日、そのことに責任を感じ、掛布に花束を持って見舞いに行った。この骨折が2年後の掛布引退のきっかけになったと言われている。

1987年にウエスタン・リーグで1位となる防御率1.87を記録。

1988年は10勝6敗でウエスタンの最多勝となる[1]

1990年山中潔とのトレードで福岡ダイエーホークスに移籍した[1]

1991年には開幕当初抑えを務めるなど、プロ初勝利を含めて3勝3セーブを挙げる[1]。しかし、その後は一軍と二軍の往復生活が続いた。

1993年はウエスタンで13勝を挙げ2度目の最多勝となる[1]

1995年には自己最多の46試合に登板[1]し好成績を残したが、翌年からは再び二軍暮らしとなった。

1997年限りで現役を引退[1]

現役引退後[編集]

引退後は、打撃投手、球団広報を経て、2001年にダイエーの二軍投手コーチに就任[1]2003年から2006年は一軍投手コーチ(ブルペン)。

2008年は育成担当コーチ、2009年から2010年は二軍投手コーチを担当。

2011年から2012年は一軍投手コーチ(ブルペン)を務め森福允彦の才能を開花させた[3]

その後、2013年は三軍リハビリ担当兼ファーム巡回コーチ[4]2014年は三軍リハビリ担当兼巡回コーチ[5]2015年は三軍リハビリ担当コーチ[6]2016年は三軍投手コーチ兼リハビリ担当コーチ[7]2017年からは再び三軍リハビリ担当コーチ[8]2022年2023年は一軍投手コーチを務め[9][10]、2023年限りで退任した。

2024年からはファーム担当広報を務める[11]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1986 中日 6 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 48 9.0 21 4 1 0 1 7 0 0 16 16 16.00 2.44
1987 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 35 9.0 8 0 1 0 0 8 0 0 2 2 2.00 1.00
1988 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 22 4.0 8 1 0 0 1 4 0 0 6 3 6.75 2.00
1989 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 52 11.1 13 2 6 0 1 12 0 0 8 7 5.56 1.15
1990 ダイエー 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 72 12.1 26 0 12 1 1 8 0 0 18 16 11.68 3.08
1991 26 0 0 0 0 3 5 3 -- .375 180 39.2 56 7 9 1 2 23 0 0 30 26 5.90 1.64
1992 11 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 64 14.2 17 2 3 0 1 4 0 0 10 10 6.14 1.36
1993 8 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 62 13.1 20 2 4 1 1 4 0 0 10 7 4.73 1.80
1994 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 31 7.0 9 1 0 0 0 5 0 0 4 3 3.86 1.29
1995 46 0 0 0 0 3 3 0 -- .500 196 48.2 44 3 11 2 0 26 0 0 17 14 2.59 1.13
1996 9 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 25 5.0 7 1 3 0 0 3 0 0 3 3 5.40 2.00
通算:11年 135 0 0 0 0 7 10 3 -- .412 787 174 229 23 50 5 8 104 0 0 124 107 5.53 1.60

記録[編集]

初記録

背番号[編集]

  • 12(1986年 - 1988年)
  • 43(1989年)
  • 27(1990年)
  • 33(1991年 - 1997年)
  • 77(2001年 - 2002年)
  • 83(2003年 - 2006年)
  • 98(2008年)
  • 73(2009年 - 2023年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、238ページ
  2. ^ '94スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
  3. ^ 週刊ベースボール2012年2月24日号、2012プロ野球全選手カラー写真名鑑、6頁
  4. ^ 2013年 コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークス (2012年10月29日). 2023年12月22日閲覧。
  5. ^ 2014年 コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークス (2013年10月28日). 2023年12月22日閲覧。
  6. ^ 2015年 コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークス (2014年12月12日). 2023年12月22日閲覧。
  7. ^ コーチ担当変更のお知らせ 福岡ソフトバンクホークス公式サイト 2015年12月25日配信
  8. ^ 2016/12/21 プレスリリース 2017年 コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト (2016年12月21日). 2017年5月9日閲覧。
  9. ^ 2022年 コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークス (2021年11月1日). 2023年12月22日閲覧。
  10. ^ 2023年コーチングスタッフについて(2022年11月28日現在)”. 福岡ソフトバンクホークス (2022年11月28日). 2023年12月22日閲覧。
  11. ^ “ソフトバンク 今季限りで引退の高橋純平氏が野球振興部スタッフに 椎野新氏は3軍打撃投手兼スタッフ”. スポーツニッポン. (2023年12月22日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/12/22/kiji/20231222s00001173661000c.html 2023年12月22日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]