文室甘楽麻呂

文室 甘楽麻呂(ふんや の かんらまろ、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族真人のち朝臣官位従五位下下総守

経歴[編集]

清和朝初頭の貞観2年(860年従五位下叙爵する。のち、真人から朝臣改姓する。貞観5年(863年陸奥介に任ぜられると、貞観7年(865年鎮守将軍、貞観8年(866年上野権介と東国の地方官を歴任した。

貞観17年(875年下総守官職にあったが、俘囚が反乱を起こして官寺を焼き良民が殺害された旨を飛駅して奏上する。これを受けて、勅符により武蔵上総常陸下野諸国に対して兵士300名を徴発して援助するよう命ぜられた[1]

官歴[編集]

日本三代実録』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』貞観17年5月10日条

参考文献[編集]