戸川安通

戸川 安通(とがわ やすみち、寛文8年(1668年) - 元文5年9月23日1740年11月12日)は、江戸時代中期の幕臣旗本)・小普請組のち書院番通称は右衛門、のち十兵衛。

早島戸川家2代戸川重明の六男として生まれた。

元禄15年(1702年)3月、重明の隠居により跡目を継いだ兄の戸川安貞により、早島知行地のうち中島村(岡山県倉敷市中庄近辺)の一部400石を分知され、分家独立した。

元文5年(1740年)9月に隠居し、跡目は養子の安長に継がせた。

同年9月23日没。

系譜[編集]

先代
中島戸川家当主
初代:1702年 - 1740年
次代
戸川安長