成願寺 (中野区)
成願寺 | |
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所在地 | 東京都中野区本町2-26-6 |
位置 | 北緯35度41分39秒 東経139度40分54秒 / 北緯35.69408度 東経139.68164度座標: 北緯35度41分39秒 東経139度40分54秒 / 北緯35.69408度 東経139.68164度 |
山号 | 多宝山(たほうざん) |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来[1] |
創建年 | 永享10年(1438年) |
開基 | 鈴木九郎(中野長者) |
正式名 | 多寶山成願禪寺 |
別称 | 中野長者の寺 |
文化財 | 蓮池鍋島家の墓 |
法人番号 | 5011205000275 |
成願寺(じょうがんじ)は、東京都中野区本町二丁目にある曹洞宗の寺院。山号は多宝山(たほうざん)。中野長者(なかのちょうじゃ)と呼ばれた鈴木九郎の寺として知られる。
歴史[編集]
開基である鈴木九郎は紀州出身で室町時代に当地にやってきて[1]開拓・放牧を始め、成功し財を成し「中野長者」と呼ばれ、成願寺付近に邸宅を構えていた。鈴木九郎には小笹という一人娘がいたが18歳で病死し、九郎に深い悲しみを与えた。これを機に残りの人生を仏門に生きる決意をし、小田原の大雄山最乗寺の春屋宗能の教えを受け名を正蓮に改め僧侶となり、邸宅を寺院にしたのが当寺院の始まりである[1]。1438年のことであった。
名は娘の戒名から当初は正観寺となっていたが[1]、江戸時代に成願寺と改められる[2]。幕末には一時、新選組の近藤勇とその家族が当寺院に身を寄せていた。
明治時代に神仏分離令により十二社(現:新宿区西新宿)の熊野神社が分離され、現在に至っている。
史跡[編集]
- 本堂…本尊は鎌倉時代の釈迦牟尼佛如来像。
- 龍鳳閣 (開山堂)
- 圓通閣(百観音堂)
- 鈴木九郎の墓[3]
- 鍋島家の墓地(蓮池鍋島家。蓮池藩は佐賀藩の支藩であった。)
- たから第六天(山手通りを挟んだ反対側に所在)
- 大達磨絵
施設[編集]
当寺院が母体となって隣接してある幼稚園「中野たから幼稚園」を運営している。
アクセス[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c d 江戸名所図会 1927, p. 488.
- ^ 江戸名所図会 1927, p. 489.
- ^ 中野区公式観光サイト 鈴木九郎宝篋印塔.
参考文献[編集]
- 斎藤長秋 編「巻之四 天璣之部 多寳山成願禅寺」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、486-489頁。NDLJP:1174144/248。
- “鈴木九郎宝篋印塔”. 中野区公式観光サイト (2014年4月18日). 2021年1月24日閲覧。