成田勝

成田 勝(なりた まさる、1959年 - )は、日本歌手実業家

1980年代に一世を風靡したディスコ麻布十番マハラジャ」を運営していた。

但し、東京地区マハラジャのみの社長であり、全国マハラジャ・マハラジャ全店の社長ではない(マハラジャは地域や店舗により運営会社が異なり各社長が存在する)。

身長183cmに甘いマスクに甘い声で、バブル期を象徴する青年実業家として人気を博す。

現在は「東京マハラジャイースト」の跡地にあるレストランバー「プレゴ」(2023年12月閉店)を経営するほか、各種アドバイザーとしても活動している。

概要[編集]

実業家[編集]

1977年に歌手を目指して上京し、平尾昌晃のもとで歌のレッスンを行う。

ディスコでは、新宿「クレイジーホース」、六本木「パウワウ」で従業員として勤務。

その後は平尾昌晃プロデュースによるNOVA21★グループのオールディーズライブハウス「六本木スパッツ」に勤務。ここでNOVA21★グループ社長の菅野諒(マハラジャのオーナー)と出会う。

実弟の成田恭教がカラオケパブ「六本木2001年」をオープン、NOVA21★グループ最年少社長となる。そして「六本木スパッツ」で優秀マネージャーだった成田勝は、東京進出予定だったマハラジャ社長を菅野諒より任命され、1984年に有限会社エヌ・エンタープライズの社長として、麻布十番マハラジャをオープン。全国的なマハラジャブームを引き起こす。

その後も「六本木マハラジャウェスト」「東京マハラジャイースト」「青山キング&クイーン」「川崎キング&クイーン」「プレゴ」「エデンロック」「ロイヤルトン」「六本木しゃらら亭」居酒屋「一乃蔵」を次々オープン、運営する。

クラブでは六本木「ヴェルファーレ」、青山「ジ・オービエント」でエグゼクティブ・アドバイザー、近年は六本木「ゼウス」にも携わる。

歌手活動[編集]

1984年
  • 「ビーナス・ストリート」「クールヒート」(実弟・成田恭教とのユニット名はイニシャルの「エヌ」)
    • 「ビーナス・ストリート」…麻布十番マハラジャ閉店時のスロータイムで流れた。
1986年
  • 「アラビアン・ナイト」「帰れないシーズン」
1987年
1988年
  • 「サマーブリーズ」…シーブリーズ'88年コマーシャルソング。
1989年
  • 「ターン・アラウンド・アンド・カウント・トゥ・テン」(デッド・オア・アライヴのカバーによるユーロビート)…オリコンチャートTOP40に入る。
  • 「ジャイブ・イントゥ・ザ・ナイト」(グリーン・オリーブスのカバーによるユーロビート)
    • ユニット名「成田勝&D.K.I.」でD.K.I.「デカイ」の略(成田恭教を含む三人は身長180cm以上)。
1990年
  • 「君の誕生日」(マハラジャのスロータイムで流された)
  • 「ウォーキング・アウェイ」(ブライアン・アイスのカバーによるユーロビート)
その他
  • 六本木2001年の定番曲「燃えるレター」をマハラジャイベントで歌う事もあった。

出演[編集]

芸能事務所「ビッグアップル」に所属していた時期がある。

俳優としてTBSテレビ連続ドラマ『毎度おさわがせします3』に主人公の母親達を誘惑するセールスマンとして出演。

脚注[編集]

参考文献[編集]