惣領泰則

惣領 泰則
別名 Jim Rock
生誕 (1949-02-28) 1949年2月28日(75歳)
出身地 日本の旗富山県
ジャンル 歌謡曲J-POP
職業 作曲家編曲家
公式サイト Jim Rock Label & vocal Labo ボイストレーニング沖縄 of JimRock

惣領 泰則(そうりょう やすのり、1949年2月28日 - )は、日本作曲家編曲家。歌手・作詞家の惣領智子は元妻。

来歴[編集]

1960年代半ば、道徳再武装(Moral Re-Armament、略称MRA)の日本支部の音楽ディレクターだったロビー和田がモダン・フォーク・ブームに乗じて編成したレッツ・ゴーに加入。和田がマイク真木が結成したザ・マイクスに参加する為に去った後、和田に代わってレッツ・ゴーの要の役割を果たしていたが、1969年初春にレッツ・ゴーの日米混成のメンバー8名とシング・アウトを結成して、ギターを担当すると同時にリーダーを務めた。

シング・アウトは、当時元麻布にあったMRA日本支部の本部に出入りして音楽活動をしていた高校生の樋口康雄を迎えて、NHKのオーディションに合格し、翌1970年からNHK総合テレビジョンで放送が予定されていた新しい音楽番組『ステージ101』にヤング101[1]のメンバーとしてレギュラー出演することが決まった。放送開始の約半年前の1969年7月25日、シング・アウトはヤマハ音楽振興会が開催した音楽コンクール『第1回合歓ポピュラーフェスティバル'69』に出場して、『ステージ101』の音楽監督になった中村八大が作曲した「涙をこえて」(作詞かぜ耕士〕を披露して作曲グランプリを獲得し[2]、同年11月5日に同曲をデビュー・シングルとして発表した[3]。そして、翌1970年1月10日に放送が始まったステージ101にヤング101のメンバーとして出演し、「涙をこえて」を番組オリジナルソングとして披露した[4]。やがて番組との志向性の違いが明らかとなり[3]1971年4月3日に樋口を除くメンバー全員がヤング101を卒業[注釈 1]。同時にシング・アウトは活動を停止して消滅した。

同年、惣領はアメリカで日系アメリカ人の高橋真理子や後に妻・惣領智子となる吉原智子らとBROWN RICEを結成してリーダーとなり、MGMレコード社長マイク・カーブのオーデションに合格して、米国メトロ・ゴールドウィン・メイヤーレコード社とアーティスト契約を交し、ミュージシャンズユニオンカードを取得する等、数々の輝かしい業績をおさめる。アメリカでの活動中、フランク・シナトラなどのプロデューサー兼アレンジャーのドン・コスタと友人になり、彼に師事した。

1977年にソロアルバム「WINGS OF LOVE」発表。ユニット「ジム・ロック・シンガーズ」も結成。 ヤング101の元メンバー芹澤廣明牧ミユキ[3][注釈 2]広美和子[注釈 3]らも参加した。ジム・ロック・シンガ−ズはのちにユニット名をJIM ROCKSに変更。

1997年にヴォーカルスクールを設立、2003年には沖縄に移転し音楽事務所として Jim Rock Label を開設するとともに,豊見城市真玉橋にボイストレーニングを中心とする学校 Jim Rock Vocal Labo を開校した。現在は同校のホームページサイトは参照できる状態にあるもののボイストレーニング授業は「休校中」となっている。また同市にあった教室も現在は営業をしていない。2019年夏には同校の事務所は沖縄県南城市佐敷字新開に仮事務所移転している。

2019年、惣領泰則&ジム・ロックスとして1984年に映画「パンツの穴」のために書き下ろした作品集「LOVING CARE」が Amazon.co.jp [5]限定でCD化されて発売された。

主な作曲・編曲楽曲[編集]

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  • 珊瑚礁よ永遠に 惣領泰則 1977 イタリア映画 「珊瑚礁よ永遠に」Original Sound Track

アルバム[編集]

  • WINGS OF LOVE (1977年)- 惣領泰則
  • GOOD-BYE! GOOD-BYE! GOOD-BYE!(1977年、ビクターレコード、SGS-5)- 惣領泰則 & JIM ROCK SINGERS
  • COSMIC LOVE (1978年)- 惣領泰則 & JIM ROCK SINGERS
  • JUNGLE CITY(1979年)- 惣領泰則とジム・ロックス
  • SO LONG AMERICA(1982年、ビクターレコード、SJX-30164)- 惣領泰則とジム・ロックス

映画・テレビ主題歌[編集]

米国での業績[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ CD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)ライナーノーツ。
  2. ^ Yamaha Music Foundation”. 2023年1月26日閲覧。
  3. ^ a b c CD『ステージ101ベスト』(Ultra-vibe CDSOL-1043/44)ライナーノーツ。
  4. ^ NHKアーカイブス”. 2023年1月26日閲覧。
  5. ^ Amazon | 【Amazon.co.jp限定】LOVING CARE [CD] (Amazon.co.jp限定特典 : メガジャケ 付) | 惣領泰則 & ジム・ロックス | J-POP | ミュージック

注釈[編集]

  1. ^ 樋口は同年9月22日にヤング101を卒業したが、その後も1974年3月31日の番組最終回まで、作編曲などでステージ101に関与し続けた。
  2. ^ 1968年に木下節子の名義で東洋レーヨンエキゾチック水着キャンペーンCFに出演して、5月にビクターレコードから「エキゾチック・ラブ」(SV-707)でデビュー。同年10月「オータム・ノクターン」(SV-762)、1969年には「愛されたいの」(SV-805)を発表。NHKのヤング101に加入してシング・アウトらと共に『ステージ101』に第1回からレギュラー出演。1972年9月にヤング101を卒業。1973年から「いずみたくシンガーズ」のメンバーとして活動して日本TV『我ら青春』主題歌「帰らざる日のために」のヒットを出した。惣領泰則とジム・ロック・シンガーズ、スタジオ・ミュージシャンとして活動。サンリオ映画「キタキツネ物語」サウンド・トラックに参加。
  3. ^ 1971年にヤング101に加入して、同年7月7日から『ステージ101』に出演。チョロの愛称で親しまれて、1974年3月31日の番組最終回まで出演した。同年、HIROとして女性コーラス・トリオの「ベルベッツ」を結成して、シングル「長い熱い夜」を発表。1977年にテレビ朝日系『女王陛下のプティアンジェ』の主題歌を担当。沖縄アクターズスクール東京校ボイス・トレーナー。
  4. ^ ブラウン・ライスのアメリカでのデビュー・シングルとして提供された曲で、73年9月に発表された。日本でも話題になり、カナダのトロントにて日本語バージョンが録音されて、日本でもリリースされた。

参考文献[編集]

  • 土龍団、『シング・アウト物語』、2001年、CD『愛のつばさをーシング・アウトの旅ー/シング・アウト』(BMG、BVCK3708)
  • 風間嵐、『ステージ101について』、2021年、CD『ステージ101 GO! / ヤング101』(CSレコード DQCL 3611-15)

関連項目[編集]

外部サイト[編集]