志賀公園

志賀公園
志賀公園南西角入口(2013年平成25年)9月)
志賀公園の位置(愛知県内)
志賀公園
志賀公園の位置(名古屋市内)
志賀公園
所在地
座標 北緯35度12分8.9秒 東経136度54分16.4秒 / 北緯35.202472度 東経136.904556度 / 35.202472; 136.904556座標: 北緯35度12分8.9秒 東経136度54分16.4秒 / 北緯35.202472度 東経136.904556度 / 35.202472; 136.904556
開園 1935年昭和10年)2月1日[1]
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当初指定地の東側部分。道路形状が独特であることが読み取れる(2015年2月)

志賀公園(しがこうえん)は、愛知県名古屋市北区平手町にある公園。同市における組合移管公園の第1号とされる[1]

沿革[編集]

向口武志(2012)によれば、平手政秀宅址の保護を目的として指定された都市計画公園である[2]。指定当時は、史蹟であることを示す享和年間建立とされる記念碑が一基設置されているだけのただの田畑地であったという[2]。公園の設計・監理として狩野力が携わり、同市における都市計画公園のモデルケースとしての完成を目指した[2]。整備は市当局ではなく、土地区画整理の手法により土地区画整理組合が行った[2]。ただし、減歩率の高さにより、組合員の合意が得られず、計画地の一部の整備にとどまった[2]。また、公園の基礎は寄付により成立したが、その後市当局により整備が進められ、西側部分が防空緑地公園事業により用地取得されている[3]。ただし、当初指定地だった東側部分に関しては、戦後住宅地となり、公園としては整備されていない[3]

歴史・年表[編集]

  • 1926年(大正15年)1月28日 - 都市計画公園第12号公園として決定[1]。告示当時の面積は、7.89ha(23.9坪)とされた[4]
  • 1927年(昭和2年)9月 - 西志賀土地区画整理組合が成立[2]
  • 1930年(昭和5年)5月 - 公園の設計完了[3]
  • 1930年(昭和5年)6月9日 - 西志賀土地区画整理組合により、起工される[1]
  • 1931年(昭和6年)11月 - 工事完了[1]
  • 1934年(昭和9年)11月19日 - 同年9月に区画整理組合から出されていた寄付の申請につき、市会において可決[1]
  • 1935年(昭和10年)2月1日 - 告示により開園[1]
  • 1937年(昭和12年)3月1日 - 所在地である西春日井郡萩野村が名古屋市に編入される。
  • 1947年(昭和22年)5月6日 - 告示により、都市計画公園第12号公園としては廃止[4]総合公園の志賀公園として改めて告示[5]
  • 1956年(昭和31年)10月15日 - 都市公園法による公園となる[6]。指定面積を2.75haと変更する[6]
  • 1977年(昭和52年)1月 - 18日から27日にかけて、公園南東角に名古屋市消防局が設置する耐水性防火水槽の工事に伴う見晴台仮設考古資料館(当時)による学術発掘調査が実施された[7]。これまで遺跡としての存在は確認されてきたが、本格的な発掘調査に至ったのははじめてであるという[7]。調査では弥生時代中期後半ごろの土器や土師器などが15点ほど発見されている[7]

園内設備[編集]

整備当初のもの、現状とは異なる場合がある。

ギャラリー[編集]

クオリティライフ21城北[編集]

隣接する名古屋市立大学医学部附属西部医療センターなどが所在するクオリティライフ21城北について、志賀公園と連携した整備の構想が存在する[10]

志賀公園遺跡[編集]

公園造成の際、大量の土器類が出土したことから発見された遺跡[11]弥生時代から中世にかけての良好な遺跡であるとされる[12]。ただし、公園内において遺跡を示すものは存在しない[11]。出土品は名古屋市博物館および地元の小学校である名古屋市立金城小学校に所蔵される[13]志賀公園聚落址と表記する資料もある[14]。遺跡の範囲は公園内だけに限らず、北側の集合住宅[15]や西側の西部医療センターの下にも広がっている。さらに、平手町遺跡西志賀遺跡とも密接な関係があると思われる[15]

その他[編集]

この公園はTBSドラマキッズウォー」シリーズのロケ地として使われた。[要出典]

交通アクセス[編集]

  • 名古屋市営バス名古屋市交通局)「志賀公園前」バス停下車。
    • 西部医療センターが終点の市バスは「志賀公園前」を通過するため、終点下車後、徒歩で2分程度。
    • その他の市バスも先に西部医療センターに立ち寄ってから「志賀公園前」に停車する(概ね8時以前と17時以降は西部医療センターには乗り入れず「志賀公園前」にのみ停車する)。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 名古屋の公園100年のあゆみ編集委員会 2010, p. 65.
  2. ^ a b c d e f 向口武志 2012, p. 379.
  3. ^ a b c d e f g h i j 向口武志 2012, p. 380.
  4. ^ a b 名古屋の公園100年のあゆみ編集委員会 2012, p. 26.
  5. ^ 名古屋の公園100年のあゆみ編集委員会 2012, p. 56.
  6. ^ a b 名古屋の公園100年のあゆみ編集委員会 2012, p. 57.
  7. ^ a b c “志賀公園遺跡群を守ろう 土器や溝跡みつかる 貯水そう工事で 戦後初の発掘調査”. 中日新聞夕刊. (1977年2月4日) 
  8. ^ 名古屋の公園 (名古屋市役所 昭和18年5月発行)p.3.,p.25.
  9. ^ ラジオ塔 戦争語り継ぐ 中日新聞2017年2月25日朝刊22面
  10. ^ 名古屋市役所健康福祉局健康部クオリティライフ21城北推進室クオリティライフ21城北の推進担当 (2013年12月27日). “クオリティライフ21城北”. 名古屋市. 2015年2月28日閲覧。
  11. ^ a b 愛知県高等学校郷土史研究会 2005, p. 13.
  12. ^ 北区制50周年記念事業実行委員会 1994, p. 547.
  13. ^ 名古屋市北区役所区民生活部まちづくり推進室生涯学習担当 (2008年8月1日). “志賀公園・平手政秀宅址”. 名古屋市. 2015年2月28日閲覧。
  14. ^ 吉田富夫 1954, p. 7.
  15. ^ a b 愛知県史編さん委員会 2003, p. 226.

参考文献[編集]

  • 吉田富夫 著「志賀公園聚落址」、名古屋市役所経済局文化財調査保存委員会 編『名古屋史蹟名勝紀要』芸術案内社、1954年12月25日、7頁。 
  • 北区制50周年記念事業実行委員会 編『北区誌』北区制50周年記念事業実行委員会、1994年2月11日。 
  • 愛知県史編さん委員会 編『愛知県史 資料編2 考古2 弥生』愛知県、2003年3月31日。 
  • 愛知県高等学校郷土史研究会 編『歴史散歩23 愛知県の歴史散歩 上 尾張』山川出版社、2005年3月20日。ISBN 4-634-24623-6 
  • 名古屋の公園100年のあゆみ編集委員会 編『名古屋の公園100年のあゆみ』名古屋市・財団法人名古屋市みどりの協会、2010年3月。 
  • 名古屋の公園100年のあゆみ編集委員会 編『名古屋の公園100年のあゆみ 資料編』名古屋市・財団法人名古屋市みどりの協会、2012年3月。 
  • 向口武志「戦前名古屋における志賀公園の成立に関する研究」『ランドスケープ研究』第75巻第5号、日本造園学会、2012年、377-382頁、doi:10.5632/jila.75.377 

外部リンク[編集]